「商工農論」
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時事新報に掲載された「商工農論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
商工農論
凡そ一國の富强を求め文明の進捗を圖らんとするには其方策種々なる可しと雖とも究竟商工農業を隆盛にして大に富源を深くせざる可からざるなり扨我國一般の風として古より專ら農業を重じ商工業に至りては有れとも無きが如く啻に之を奬勵せざりしのみならず又隨つて之を抑制したるの跡なきにあらず是故に人民の種族等級を稱するにも必ず士農工商の順序に從ひ士は四民の長にして農は工商の首坐なりとす此說深く國民の腦裡に浸染して容易に洗滌し得べきとも思はれず士の等級の如きは廢藩以來漸次低落し今日に及ては敢て之を口外する人も無き程なれば今更其非を辨するを須ひずと雖とも農を以て三業の首となし農者國本也本固則國安等の語を以て萬世不變の法語となし之を固信する者も世に少なからずして前後緩急の考なきもの徃々之あり此等は一應辨せざる可らず今夫れ農工商の三業の如き均しく要務にして决して其一を廢す可からざるのみならず三者並進競走して初めて隆盛を期し得べきは勿論なりと雖とも就中何を以て最も急要なりやと云はは商を以て第一とし工に亞き農又之に次ぐと答へざる可らず即ち古來の稱呼を冠履顚倒して初めて當て得るものの如し依て我輩は農工商論と題せずして商工農論と題し一國富强の根源を養ふ所以の方策を講せんとす但昔の所謂商は國内の交易に止り今の所謂商は外國貿易に關するものにして其大小廣狹固より日を同くして語る可らざるものあり
農を以て國の本となすは獨り我國のみ然るにあらず東洋諸國亦皆同樣の事にして我輩の說に反對するもの少しとせず其說の頗る順序ありて稍取るべきものの要旨は左の如し云く邦國て初て闢け人間初て資產を得るに之を壤地とす壤地を耕作する之を農と名つく農ありて而して百物生ず百物生して而して工なる者起る農工盛にして而して後商なる者初て盛なり蓋農其物を產するにあらざれば名工も其技を施すに處なく工其品を製するに非ざれば商復た何者を賣買せんとするやと余輩も此說を以て悉く非なりとするに非ず夫の野蠻の邦國半開に赴くの順序は或は之を以て適當となすへしと雖とも半開の時代よりして文明の進捗を圖らんとするには决して此順序に從ふ可らず何となれば則ち農を以て本となすものは專ら衣食に須要なるものを產出し只其露命を繫ぎ僅に饑寒を免るるを以て目的となすに過きずして獨り衣食の不足なきを以て最上の計となす其禽獸の境界を去ること遠からざるものと謂ふ可し然れとも苟くも野蠻半開を去て文明に遷り國民の知見頗る開けて制度文物も粲然見る可からしめ國民生計の程度をも上〓せしめんとするには商工の盛なるにあらざれば能はざることなり蓋し農を以て本とするものは其利少くして貧弱を免れず商を以て本となすものは其利多くして富强の基を建つることを得べし例へば土地に產するもの其元價百万圓なるも之れに製造裝飾を加れば通常二三百萬圓の價を生し又之を他邦に販賣すれば四五百萬圓の高價にも達すべく尙ほ彼我交換有無相通するときは四五萬圓の代りに五六百萬圓を價すべき物品を〓らし歸ることを得即ち工の利益は農に二三倍し商の利益は之れに四五倍するの割合にて最も睹易き計算なりとす試に本邦農家と商家と何れか富有にして何れか貧乏なりやと云はは商家多く富んて農家少しく富むと答ふることならん方今農業を營むものにして土豪と稱し數十萬圓の財產を有するものなきにあらさるも其數誠に僅少にして而も祖先累代の遺產を其儘保〓したるものに過きす偶々之を增殖したるものあるも其額瑣微にして其進步の遲々たる蟻の物を〓ふと一般なり之れに反して商家は榮枯浮沈定りなく農業の確實なるか如きものにあらされとも數十万圓の資產を有するものは其數頗る多く而も一二代にして忽ち之を蓄積し或は明治維新後僅々十五六年間に數十百万圓を〓得たるもの亦之あり其進步の迅速なるは農家に於て嘗て有らざることなりとす蓋し農は天候地質に賴りて耕種するものなれば假令何程勉强工夫すればとて矢張一年一二回の收穫に過きず商は晝夜に奔走周旋して各地に交通運轉し一年中に賣買するもの數十回なるを知らずされば商家の一年は農家の十年とも相對する勢にして其進步に遲速を生し其利益に多少の差あるを致すは自然の道理にして一國の貧富强弱を判つ由緣も亦之れが爲めなり
抑も商業の隆盛は獨り商を利するのみならず〓て大に農工業を利し爲めに之を鼓舞するの功甚た大なるものあり總て物品消費の途あらざれは生產の勢力を〓すこと能はざるは普通の道理にして農產工產假令ひ饒多なるも若し其運轉の法澁滯するか又は販賣の途沮塞するときは農工の利益多からずして其農衰微せざらんとするも得可からざるなり又工業の進步して農具器械の製造大に開くるときは農業上の勞費を省き速成の法を得昔日五人の仕事は一二人にて之れを働き昔日十日の仕事は二三日にして之を終るに至るべし此の如くにして工業の進步は大に農業の進步を助くと謂ふべし即ち農業は商業工業の助けを得て愈隆盛なるものと謂ふ可きなり或人の農を以て本となし農工盛んにして而して後商業初めて盛なりと謂ふが如きは畢竟以上の道理を辨知せず瑣國の陋習に泥み半開の小康に安じ眼光未た内外に達せす膽力未た張大ならざるものと謂ふべきなり西洋諸國に於ても夙に富强の稱ある和蘭、英吉利等の如き皆主として商賣を勉めたるものにあらざるはなく殊に近代工業大に開け器械の發明等ありてより更に富强の域に長足進步したるも亦商工業の隆盛なるに起因せざるはあらず思ふに東洋諸國の貧弱なるは其〓は種々なるべしと雖とも職として農業を本とし主となしたるに由るものならん
以上論辨するが如く我國に於て古來商業を〓んずるの風盛なりして以て國民一般の氣風も商業を營む勇敢ならず隨て氣餒え體〓れ活發なる大事業を起すに至らざりしも亦深く咎むべきにあらざるなり今より後此氣風を一轉して商賣を重んずるの氣風を生したらんには職業自然に發達し其勢復た當る可からざるに至るべし凡そ何の〓〓の時代に拘らず當時の氣風に變化せられて識らず知らず其途に赴くは自然の勢にして例へば我邦封建〓〓の時代に敢〓决死の士續々輩出し英國海軍を重んするの氣風ありて全國の人海軍に熱心するが如き之を氣風の勢方と云はざるを得ず故に我國にても一たび其氣風の行はるるに至らば富商大估も輩出して勇敢决〓の商〓〓〓〓〓〓〓成するに至る可し是に亞て初めて商業の〓〓〓〓〓〓〓す可きなり