「工業を論ず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「工業を論ず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

工業を論ず

世界工業の事頗る多く陶器、漆器、銅器、玻璃器の製造より造船、製銕、紡織、裁縫等に至り又酒造、精糖、製粉、抄紙の如き其規摸廣大にして裝置精巧なるものあり隨て產出夥多製品良好なるもの葢亦多し獨り日本の工業は商工農論に云る如く古より有れとも無きが如く之を奬勵せざりしのみならず又之を抑制するの狀ありしを以て一も廣大なる製造所を建立するに及ばずして技術も亦進步するに至らざりし而して其僅かに工業と稱すべきものは唯農產製造と小細工品あるもになり是れ内國工業化の罪にあらず畢竟外國貿易の慣習あらずして其供給全く内國に止り需要の以て之を振作するものあらざりしに坐するのみ例へば農家の綿を種えて其婦女絲を紡ぎ機を織り以て木綿織物を製するが如き是一工業なり農家春時に蠶を養ひ絲を繰り農間絹布を織る是亦一工業なり其他砂糖を製し蠟を製し紙を抄き茶を製する如き大抵分業の法に由ることなく各家内の一小工業に過ぎざるのみ其間事業の稍々盛なる地方にありては或は別に製造所を立て職工を雇ひ多く資本を御して專ら工業に從ふものなきにあらざるも器械粗苯にして規摸大ならず安ぞ能く多量の物と精巧の品とて製產するを得可けんや小細工品の陶器、漆器、銅器、雜貨(家具、翫具類)に至ては別に工人の有るありて其業に從ふと雖とも其供給の區域は僅かに當時の諸侯、大臣、富豪の家に止りて狹隘至極のものなり隨て其業の振るはざるも亦深く怪しむに足らず我輩嘗て日本政府統計院の調製に係る統計年鑑を一閱するに其表式整理せざるにあらず科目亦稍完備せりと雖とも其工業の部に至りては酒類釀造、度量衡製作の外更に科目を見ることなし於是歎息咨〓する良久しく之ある哉我國工業の錄すべきなき此如しと

我國の工業は農家の餘業に非れば則ち一人の手術に成るものにして未だ嘗て器械を裝置し製造所を建立し之れが旺盛を謀りたる者あらざるや事實に於て明白なり然るに一旦海外貿易を開くに及て輸入の駸々增進するに抅らす輸出も亦養分の增加ありて不權衡なからも之を擴充したしたる由緣のものは幸に此物產あり此新〓ありしに由るものの如し(生絲、茶の農家より出でて漆器陶器の手術に成るもの卽ち是れなり)然りと雖とも凡そ我國の物產は國〓に非ずして寧ろ家產と稱すべきものなれば其國土に〓〓なきも其火事に變換あれば勢衰退せざるを得ず近代海外貿易の盛なると同時に明治維新廢藩置縣の擧ありて此影響を國產、否、家產に蒙らしむるもの少しとせざるなり例へば九谷の陶器の如き加賀の國產にあらずして前田家の家產たる姿なるを以て前田の家運に變換あるときは亦陶器に影響なきこと能はず庇護の製蠟の如き熊本縣下の產物にあらずして細川家の產物たるを以て細川家東遷の後は製蠟の業亦自ら減退するに至れり姬路木綿の如き〓〓にて國產會所を設け藩札を發行し此紙幣を以て木綿を買い集め又は木綿問屋に荷爲替法を以て紙幣を貸貸與し其荷は藩用物として大坂若くは江戶に輸送し之を賣り拂ふて正金を受取り以て完償するを法としたりし時代に於ては木綿問屋も各製造者より買い入るるに資本に差し支ゆることなく輸送の法は藩にて之を辨し金融運輸共に便宜を得たりしも廢藩の後此法廢れて木綿製造又廢れりと云ふ其他諸國の所謂國產なる者大抵國王が直接又は間接に或は財主となり或は製造元方となり之を斡旋したるを以て其一家一人の變動の爲めに忽ち國產にまて影響を及ぼしたるもの極めて多きことならん此の如く藩主の干涉は餘り好ましからず或は爲めに專橫の法律を設け或は小吏の私をなすが如き獘害も亦少なからずして全國永遠の利益とするに足らずと雖とも之を一私人の富豪財王として見るときは又其無きに優るや萬々なり殊に農產製造の如きは多くは農隙の時に方より老婆幼婦の手に成るを以て此業をなすも、なささるも本業に關係あることなく而して其衣食料等は均しく之を費すことなるを以て苟も損耗とならざるに限りは遊手坐食に優り且之を販賣するも利益多きを要せずして價目ら〓なりとす而して數百十家の產之を總計するときは俄然たる一個の國產となるものなり豈に輕々に看過す可けんや之を要するに日本の工業は商業に屬するより寧ろ農業に屬するもの多く農家〓工業に密接する程利益愈大なること知る可し故に農家の製產は其地味氣候を察し適當の〓〓に〓ふものは隨分之を勉强すること緊要にして敢て纔かに之を〓するに及ばず以て農家の〓利と工業の增益を攻むるは全國經濟の點に於て我輩の非〓とせざる所なり

古來美術の發達は王侯貴人奢侈の中に養成せられたるは各國皆然りとする所にして我〓美術の進步も家多くは〓大名の爲めに養成せられたるものとす漆器陶器〓〓等の如き皆是なり然るに維新廢藩以來大名は美術の保護者たるの地位を失ひたる折柄〓き外國〓〓の〓〓〓〓〓て一旦廢れんとせし美術も忽ち外國人の愛翫に依て〓生するを得たり今や他の一切の工業も美術と同しく外國貿易の德〓に依て昔日の名聲を落とさず益我特異の技〓を世界に〓〓するの機會に遭遇したるは日本工業家の〓〓〓ある可らず此時に當り我輩の最〓〓〓する〓は日本の工業家が在來の小技術に安せず或は又小技術に小改良を加へ得たるを以て安心せず舊技術を保〓改良するの傍に新技術の發達を謀り他の文明國に一步の後れをも取らざらんことを决心するの一事なり今の世界の廣き製作品需要者の衆多なる鎖港の世の中と同年同日の論にあらず適當の道を求めて製作品の販賣を計らば何程の大工業を營むも故障あることなかるべし全國の工業家は大に慮る所あらまほしきなり