「鐵道敷設の資金を得ること難きに非す」
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時事新報に掲載された「鐵道敷設の資金を得ること難きに非す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
鐵道敷設の資金を得ること難きに非す
事物の利害疑はしきものは之を辨するも亦要用なれとも社會全般の所見に於て其利巳に明白にして更に疑を容る可らざるものは唯夫れ鐵道の敷設乎故に我輩は今日に在て徒に其便利云々に就て無用の辨を費さんより寧ろ其敷設の方法に關して鄙見を陳へんとす抑も鐵道敷設に就て道に橫はるの難題は資本の一事なれとも我國力に於て全く之を着手するの資本なしと云ふに非す唯今の時勢にして鐵道に資本を用ひたらは他の工業商賣に用ふ可きものを一方に移すの姿にして國の事業に偏重偏輕を生す可しと云ふことならん然りと雖とも我輩の所見に於ては鐵道の便利を以て其工商の業を更に盛大ならしめんとこそ欲するものなれば一時資本の赴く所を變するか如きは素より以て憂とするに足らす兎に角に國に用ふへきの資本あらば一日も早く之を用ふるこそ知者の事なりと信するなり今これを集るの方法を案するに或は華族に命すると云ひ或は地方の有志者に募ると云ひ其說樣々なれとも區域廣からすして鐵道敷設の如き洪大にして活潑なる事業に適せざることなれば斷して之を政府の一手に任し公債証書を發賣して廣く國中の資本を募集するに若かず其事甚た難からざるが如し元來我國にて公債証書の時價に昻低あるは政府を信するの厚薄に由るに非ず唯全國商况の景氣不景氣に關するものにして商賣の活潑なるときには現金を要すること多きが故に証書は下落し之に反するときは騰貴す即ち昨今頻りに騰貴の狀あるも其一例なり故に不時の昻低は之を舍て問はず之を平均して凡そ公債証書を所有する者は其元金に對し一年一割の利子を以て目的とするものの如し此時に當り政府より鐵道敷設公債として一年一割二分利付の新証書を發行したらば人民の爭ふて之を買ふや疑を容れず如何となれば人民は政府の公債証書を信ずるの習慣を成して一年一割二分の利子は從前のものを所有するよりも利益多ければなり然りと雖とも國中の人民既に一年一割の利子に甘んずる者を殊更に促して一割二分の利子を授るも固より無益のことなれば利子は一割二分と定めて之を株式取引所に出して糶賣せしむるを良とす斯の如くして人民果して一割の利に滿足せん歟、額面百圓の証書は百二十圓たる可し或は一割二分に非されば足れりとせざる歟、百圓の証書は百圓に止る可し政府に於ては何れにても苦しからず詰局一割より下らず一割二分より上らざる利付の金を人民に借用して鐵道に用ひ一手の權を以て活潑に事を起すことなれば其工事の速成は固より論を俟たず我輩の所見にて方今鐵道敷設の業を實施して其速なるを期するには唯この一法のみと信ず
新公債証書の高利なるものを發行すれば以前の公債証書も其割合に從ひ賣買の價を減して所有者に難澁する者あらんとの說もあれとも其所有者は素より一年一割の利益を目的として所有するものなれば新証書の發行あればとて舊証書の利子に差響あるに非ず唯己が舊來所有の品は新發行の如くならずと云ふに過きず、新に利を得ざるのみ舊來の利を失ふに非ざるなり、或は是れまで公債証書を所有する者は必すしも永久これを持續くの目的に非ず機に投して買ひ機に投して賣る者少なからされば若しも大に之を買ふて未だ賣らざるの時に當り新証書の發行に逢ふて頓に舊証書の下落しては爲めに產を破る者あらんとの掛念も一理なきに非ざれとも其禍たるや唯活潑なる商人社會に及ふ可きのみにして此輩は又自から之を避るの法ある可し例へば新証書の非常に低價なるものあらば之を買ふて舊証書の非常を救ふに足る可し如何となれば舊証書の不利を致したるものは新証書の利なればなり
又一難問は斯く政府にて公債証書を發行して其利子の拂方は如何す可きや今日の歲出入に相償ふの其際に新に利子の爲に歲出の一項を增すが如きは會計の前途を〓らざるものなりとの說あれとも我輩は之に答へて然りと云ふを得ず元來一國の大計は一家の計に異なり國債の如きは器械的の原則に時と重さと相償ふものに異ならず、百の重さを一分時間に擧るは十分時間に十の重さを擧るに同し故に國の負債も一年に之を償はんとすればこそ大儀なれとも之を十年にし又百年にすれば之を負ふも决して重きものに非ざるなり一家の信用は輕くして短し一國政府の信用は重くして長し永遠の目途あれば負債は恐るるに足らず况や其負債は無益なる万里の長城を築くに非ず後宮奢侈の用に供するに非ず正に殖產の本源たる運輸交通の器械を作り國の資力を増して人民を富ますの用に適するものなれば負債の声は殖產と鳴る可きのみ國富み民豐なるに至れば何そ之を百年に負はんや十數年を出てすして負債償ふて餘あるの日に逢ふ可きなり