「攻防論」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「攻防論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

之を得るに難きものを得んとし、之に勝つに難きものに勝たんとするは、人生天賦の性情にして、之を人間の

慾心と云ふ。彼の富有者が既に富めるに尚富まんとして止まず、戰國の英雄が既に勝つも尚遠略を事として飽く

を知らざるが如き、富者の衣食尚未だ足らざるが爲に非ず、英雄の素志尚未だ達せざるが爲に非ず、唯これを得

るに難く、之に勝つに難きが故に、恰も其難きを悅て進むものなり。或は人生は苦を以て樂とするものと云ふも

可ならん。此言果して然らば、凡そ人間世界に貴き物とは、必ずしも其物の貴きに非ず、之を得るに難きが故に

貴きなり。黄金白銀の貴き、珍器古物の貴き、其實例として見る可し。左れば人の此性情の慾を和して次第に淡

泊ならしめんとするには、其得るに難きものをして次第に得易からしめ、其勝つに難きものをして次第に勝ち易

からしめ、以て其貴きものをして次第に賤しからしむるの外に方便ある可らざるなり。

方今世界は正に戰國の世界にして、一勝一敗際限ある可らず。佛一度び獨に勝てば、獨復た其仇を報じ、英人

其守備を怠れば、露人は印度地の北を窺ひ、伊國漸く勃興すれば、墺國も亦た默するものに非ず。彼に剛鐵艦の

堅きものを造れば、此に大砲の大なるものを製し、次第に堅く次第に大にして是亦際限ある可らず。途には彼の

二千五十二年の未來記に云へる如く、佛の「カレー」と英の「ドーウル」と兩岸相對して二十二里の海峽を隔てゝ互

に發砲し、互に其海岸の砲臺を破碎して勝敗尚未だ決せざるが如き奇談もある可し。加之近來地雷水雷の用法其

巧を致して、軍艦も之を避るに苦しみ、大砲も之に三舎を讓ると云ふ其際に、又爆裂藥の新發明に逢ひ、其劇烈は

地雷水雷の比に非ず。今後若し此爆裂藥の用法を硏究して、益藥性を改良し益其爆力を強大にして之を軍用に

供するが如きあらば、軍艦大砲も用を爲さず、三軍の貔貅も風前の塵に異ならず、從前の砲臺の如きは無用の古

器を排列したる骨董店頭に等しきの觀を爲すに至る可し。何れも皆千八百年代學問推理の結果にして、殊に我輩

が此に注目して獨り心に感ずる所は、其新發明なるものゝ十中八、九皆攻擊のものにして、防禦に屬するもの甚だ

少なきの一點に在り。( 此論は我輩が今日始て發言するものにして、今後尚この論旨に從て開陳する所ある可

し。)攻擊の手段劇烈なれば防禦の法も亦堅きを加るは當然の數なれども、防禦法は常に攻擊法に後れて、其進歩

相伴ふこと能はざるものゝ如し。此勢を以て次第に進て止まる所なくんば、遂に防禦の法は其極に達して盡るを

告げ、攻擊の工夫は尚止まずして次第に劇烈妙巧を極め、凡そ世界中の物にして破壞す可らざるはなく、人にし

て殺す可らざるはなく、物も人も苟も世に存在し又其生を保つを得るは、人の之を破壞し叉殺戮するの意なきに

依るのみにして、宇宙萬物恰も人々の掌中に在るが如き時勢に至る可し。既に我掌中に在り、之を得ること難か

らず、之に勝つこと亦易し。物も貴からず、人命も重からず、相互に度外に置て之に心を關する者なかる可し。

今人として彼の飛鳥走獸を見れば、一彈を試みんとするの念を起す可し。然かも其鳥獸の飛走迅速にして體力強

大、時として我れを害せんとするの恐ある者は、之を射るの殺念も亦甚しかる可しと雖ども、其性質の次第に溫

柔にして其運動の次第に遲鈍なるに從て、殺念は次第に止むのみならず、却て愛憐の情を生じて、其聾を聞き其

形を見ても之を悅ぶに至るも是亦人心の定則なり。之を無辜の動物と云ふ。蓋し無辜とは動物の性の善惡を評す

るに非ず、唯其愚弱にして人に害を加ふること能はざるの謂のみ。世に家畜を銃殺して樂とする者なし、蟻螻を

摺り潰して慄と稱する者なし、其生殺の權我掌中に存して無辜なればなり。故に攻擊の工夫次第に進歩して新奇

妙巧の器械に富むときは、人類は此器械に對して家畜蟻螻に異ならず、恰も其生命財産を此器械に預けたるが如

きものなれば、誰か故さらに之を使用して其人を殺し其財産を奪ふ者あらんや。所謂無辜の動物を害するものに

して、無益の殺生たる可きのみ。又事物の整齊にして其秩序運動の美なるを悅ぶも人の性情にして、如何なる人

にても盛夏嚴冬の雷雨風雪を悅で春花秋月の娟美清涼を惡む者はなし。人間世界の秩序整齊して萬民皆其業に安

んじ、共に天然の利益を利して天壽を終るは、春風の熏ずるが如く秋夜の靜なるが如し。誰れか故さらに之を紊

亂して快樂と爲す者あらん。今の世界の人民が動もすれば亂を企て、各國相爭ふて人を殺すの醜を爲すは、畢竟

自家の快樂を妨げられんことを恐るゝに出たるものなり、敵に勝つの難きを知て其難きを悅ぶ者なり。然るに今

や滿目敵とするに足る可きものなくして、其快樂を妨るも無益なるを知り、其無益の殺生たるを悟たり。然ば則

ち其天賦事物の美を悅ぶの性情を慰めんのみ。卽是れ世界に破壞論の止む日ならん乎。破壞極りて破壞を止むる

ものなり。

右は我輩が常に考る所にして、時としては人にも語り、千萬年後の想像なりとて、談語の終局は唯一笑に附し

たるものなりしが、近來西洋諸國の情況を傅聞し、又其新聞紙等に依て之を見れば、攻擊破壞の工夫は日に進歩

して、其器械材料の劇烈なること、人をして悚然たらしむるもの多し。或は我輩の想像を實ならしむるに、必ず

しも千萬年を要せざることもあらん歟と疑はざるを得ず。假令ひ或は其實際を見ざるも、歩々次第に之に近づく

の情況あるは、今日掩ふ可らざるの事實なれば、此恐る可き進歩の中に在て、學者政治家の考案を要するは無論

の事にして、千萬年は姑く閣き、今月今日の一日も千萬年中の一日として覺悟す可きものなり。〔四月三十日〕