「士族の授產宜しく其精神を養ふ可し」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「士族の授產宜しく其精神を養ふ可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

士族の授產宜しく其精神を養ふ可し

廢藩置縣の一擧以て士の常職を失ひ隨て其世祿に離れて全國四十万戶の士族一時に生計に苦しむの事情は普く人の知る所にして其士族の個々に就き局處を見て論すれば當局者に咎む可きものなきに非ず家祿奉還したりと雖とも祿券のあるあり米祿變して金祿と爲るも公債証書は以て毎年二回の利子を領収す可し唯減祿の不幸に逢ふものと覺悟すれば必ずしも饑寒に迫らるるの慘狀に陷ることもある可らざるに今其然らざるは畢竟本人の不覺悟にして家を守るの智力なきのみならず其無智の禍は妄に進て不案内なる商法等を行ひ之が爲に却て其滅亡を促かしたるものなり云々と一槪に論し去れば夫れ切りの事にして之に答る難きが如くなれとも是れは所謂無味無情の淺近論にして我輩は之を取らざるのみならず今日に在ては徒に士族を罵言輕侮するよりも之が爲に謀て生計の道を求め其方向を得せしめて祖先遺傳の能力を失ふことなからしめんとするこそ一國永遠の利益と信するものなり抑も廢藩の後に至り士族が家產退守の方向に安んせずして不慣なる商賣工業に狂奔したるは畢竟錢なきに苦しみ目下の饑寒に迫られたるものに非ず如何となれば廢藩の後とて頓に無一錢無一粒の慘狀に陷りたるに非ざればなり然るに今衣食〓足るものにして商工の營業に齷齪するは何ぞや即ち是れ士族の士族たる所にして盖し第二の地步を占めんとしたるものなり士族既に其常職を失ひ恰も世間に無用視せられて甚しきは之を目して社會の長物政府の約介など云ふ者あるに至りしは畢竟書生輩の輕躁論にして取るに足らざることなれとも士族の心に於ては之が爲に不平なきを得ず是に於てか其心事を一轉して謂らく既に武家を以て功名を取る可きなし、好し商法を以て第二の功を立て武功に易るに商功を以てせんとて商賣に工業に苟も殖產の道とあれば聞て試みざるはなし知て行はざるはなし其活潑急進にして徃々人の耳目を驚かす者多きは衣食に迫られたるが爲に非ず祖先以來政事に兵事に人後に瞠〓たらざるの〓に〓せられて此社會の大變革に遭遇するも其進取の氣象自から禁するを得ざるの一証として見る可し左れば其進取は貧賤に蹙々たるに非ず富貴功名に汲々たるものにして即ち士族の士族たる所なれとも如何せん商賣工業は政事兵事に異なり數百千年來の慣行もあることなれば仮令ひ士族の氣力才能あるも舊來の商工輩と容易に鋒を爭ふを得ず或は其公明正大の氣風正に政事兵事に適するの所のものが恰も今の商賣工業に適せざるの意味もありて十中の七八皆失敗せざるはなし以て今の慘狀に至りしことなり

然りと雖とも今この慘狀を見て直に之を救はんとするも固より時勢の許さざる所なれば唯其自力自活の道を得せしむるの外手段ある可らずと雖とも此手段を施すに當り特に注意す可きは士族をして仮令ひ力役自活の業に服するも其身自から賤業に墮落したるの思を爲さしめざるの一事に在り盖し此種族の心事を察するに敢て苦役の苦を苦とするには非ずして賤業の賤を賤とするのみ苦役の苦は唯肉体を犯すのみなれとも賤業の賤は精神に感するものにして其輕重固より同日の論に非ず廢藩以後士族が貧〓に迫て自殺したりとの話は往々新聞紙上にも見る所なるが我輩の察する所にては此士族貧は則ち貧ならんと雖とも其死を决するや必すしも糊口の策の盡果てたるに非ず耻を忍び醜に堪へ唾せらるる蹴らるるも恬として意に介せざること彼の所謂世襲の下郞と同樣ならんものと覺悟したらば尙一線の活路はある可きに其然らざるは何ぞや一片の精神其苦痛に堪さればなり廉耻心の穎敏なる死に頻して麻痺するを得ざるものと云ふ可し我輩は斯る新聞を聞て毎に〓〓の情に堪へず現に今机に對して此事を此紙上に草するにも涙落て紙を濕すを知らざるなり世上必す我輩と感を同ふする人もあらん左れば今士族に生計の道を授けんとして之に苦役を與るは可なりと雖とも其苦役を裝ふに社會上流の体面を以てするは極めて緊要の事なりと信ず其法他にはあらず服役中にも士族固有の風を存して言語應對の趣を攺めざることなり、舊藩時代の禮儀廉耻を〓らざることなり、家に在ては夫婦親子相互の稱呼を舊の如く守ることなり、祖先の忌日祭るに錢なきも其日を忘れさることなり、子弟の敎育意の如くならざるも學ぶ可きの道理を說くことなり、其他枚擧に遑あらず苟も是等の〓意に從ひ一家擧て苦役と方向を定るときは生計も亦决して〓きに非ず心身の素質を論すれば固より他三民の上に位するものにして仮令ひ何事を執るも到底其下に居る可きの理なし苦役苦中自から精神の快樂を存して次第に進むときは士族固有の美を失はずして他年一日商工殖產の功名に於ても他を壓倒するの成跡を見る可きや又疑を容れざるなり近日これを聞く參州の舊某藩士族は生產〓話會なるものを團結して陸軍砲臺に用る煉化石の製造に從事し其力役の性質は固より尋常役丁の事にして所謂賤業なれとも舊藩士の男女老幼を問はず終日土を搗き、泥を煉り、煉化を運び又これを數ふる等各体力のあらん限りを役して日に定りたる賃錢を取ること毫も他所の工塲に異ならず唯この製造所に固有なるは會長即ち日傭頭も士族なれば帳面方も差圖方も士族にして所中常に禮儀を正し舊藩時代の格式こそ論ぜざれとも言語應對の際全く士族の舊風を存して苟にも下郞社會の擧動を許さず。顏面日に晒らされて墨の如く乱髮風に吹かれて蓬の如くなるも何々家の主人なり、手足泥に汚れて粗布僅に身を被ふも奧方なり又令孃なり又これに加るに少年子女の如きは力役の餘暇に些少の敎育を授るの法も設けたり實に此團結士族の如きは苦役苦中に精神の快樂を享るものにして實際の事業も自から之が爲に進步して退かず、尋常役丁の右に出ること萬々にして生計の道も稍や緖に就き前途の望少なからざるの勢にして近傍の諸舊藩にても漸く此法に傚ひ尾州邊又一團結の企ありと云ふ方今士族授產の法を論ずる者甚た多し其法或は資金を貸すものあらん、又與るものもあらん、土地を授けて耕作養蠶の業に就かしめ、工塲を開て產物を製造せしむる等何れも皆力役の事にして我輩の素より贊成する所なれとも有形實物の補助を與ふるに兼て無形の精神を慰るの工夫あらんこと斯望に堪へざる所なり