「文明の交通法は必ずしも高尙ならず」
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時事新報に掲載された「文明の交通法は必ずしも高尙ならず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
文明の交通法は必ずしも高尙ならず
交通即ち文明開化なりとは我輩の持論にして交通とは人の智見を交換し有形無形のものを相互に通することなり先進の學者が後進の輩を導き、家の父兄が其子弟を敎訓し或は學術の會議討論の如き或は集會談話の如き皆交通の法にあらざるはなし其人生を益するの大なるは世人も普く許す所なりと雖とも元來交通なるものは獨り高尙なる學問社會のみに止まるの限に非ず一事一物至極通常のものたりとも之を知て人を益せざるものなし道を行くに捷徑を知り、物を見て其名を知り、人に逢ふて其履歷を知り、他鄕に遊て其地理を知るが如き何れも人生必要のことにして决して之を等閑に附す可らず况や商賣工藝の事に關しては物品生產の地を知り、其製造の法を知り、其器械を知り、其人物を知り、其製法の精粗、其時價の昻低、其運輸の方法、其賣買の手續等之を詳明するに非されば忽ち人の營業上に差支えを生す可し啻に營業者のみ然るに非ず身躬ら商工に非ずして唯商工の物品を消費する人にても以上枚擧する件々の大略を知るに非されば以て文明の世界に居る可らず今の世の中は昔に異なるものと知る可きなり
然りと雖とも古今世の形勢は異なるも人類の形は異なるに非されば器械の助けを仮りて交通の手段を便にせざる可らず其器械とは即ち蒸氣電氣郵便印刷等にして國に此器械を用るの盛否を見て其國の文不文を卜す可しとは必ずしも我輩の辨を要せず然るに我日本國に於ては交通の器械を用ること尙未た廣からずして蒸氣船車の如き甚だ不十分なり畢竟其業を興す者微弱なるが故に之を用ゐんとするも得べからずと云ふと雖とも我輩の所見に於ては獨り其罪を興業者のみに歸す可らざるものの如し試に今日我電信郵便の組織を見よ或は其價の廉ならざるに就て多少の苦情はある可しと雖とも其便利の點に至ては之を二十年前の飛脚屋に比して如何、實に數を以て云ふ可らざる程の相違ならずや我國人は現に此至便の器械を掌握しながら今日の實際に於ては其便利の割合に之を使用する者は少なし、又印刷の利を利用するは殊に新聞紙を以て最とし千里外の情况を掌中に一見し、今夕の事を明朝に知り、智見の交換瞬間に成る者と云ふ可し然るに過般時事新報にも論したる如く(四月十日時事新報社說)我日本國中に新聞紙發賣の紙數甚だ少なし、人文未だ發達せずして學問上の事を記すも之に眼を注く者多からざるは我輩の素より期する所にして姑く之を怪まざるも現に賣買上の利不利に關することにても未だ新聞紙を利用するに至らさるが如し其實瞪を知らんとならば諸新聞紙の面に廣告の少なきを見る可し冠婚葬祭吉凶の事、轉居旅行出處等の事に就て報告の稀なるは無論、彼の醫師の開業、商家の開店又は臨時の賣買等最も世に知らるるを要して其これを知らるると否とは正しく當局者の利益に影響すること大なる事柄にても尙默して廣告せざる者あり誠に怪しむ可きに非ずや假に今同樣の資本を以て同樣の商賣を始め同區同町東西相隣して同樣の店に開業する者ありとせん然るに其東店は開業の次第、商賣品の性質、賣買の方法、或は其價の大槪をも廣告して爾後隨時これを怠らざるに西店は之に反して默々すること今日普通の商家の如くしたらば両店の商况果して如なる可きや其利不利を斷すること甚だ易かる可し元來商家には開店の地を擇ぶこと甚だ緊要なり例へば東京にて日本橋の通町は最も商賣に適して其裏町は然らず、裏町の地價は廉にして通町の地所は甚だ高價なれとも商人が之に甘んずるは何そや通町は徃來繁多にして其店の所在を人に知らしむるに便利なる其上に店頭の品物もよく人の眼に觸るればなり、即ち江湖の人と商店と直接の交通便利なればなり、今直接の交通は商賣に便利なるを知て地價の貴きをも憚らざる者が新聞紙の廣告を以て間接の交通を求るを知らず畢竟數百年來蟄居の風に慣れたる商人輩が俄に文明開化の繁劇に逢ふて之に處するの法を求るに遑あらざるものと云ふ可し斯る普通の事情なれば方今我國にて交通の不便利を慨嘆し銕道布設の事共議論して只管興業家の無力なるを咎る者なきに非ざれとも一方より論すれば假令ひ其事業を興さんとするも事業の成跡を利用せんとする者少なく自から其議論に贊成を得ずして急に事業も擧らざることならん故に苟も交通の利を知て之を興さんと欲する者は常に手近く文明開化の主義を說き交通とは獨り學問上の談に非ず電信郵便の通信新聞紙の廣告も悉皆開明の事にして民利國益の源たるの旨を普く通俗に了解せしめんこと希望に堪へざるなりなり
本文交通の事を論したる序に又云ふ可きものあり人戶稠密徃來繁多の市都に在て商賣工業の人が引札を製し市中の處々に貼して諸人の注意を惹くは文明諸國普通の慣行にして例へば英京龍動市中の如きは最も盛に行はれ毎戶の壁にも主人の承諾を得れば爭ふて之を貼し然らざれば橋の欄干、停車場の柱、苟も人目の多き處には種々〓々の紙片を張付けて寸隙を遺さず甚しきは奇を以て人を驚かすの趣意か又は塲所なきに苦しみたるものか非常なる大紙に大書し又圖書を寫して之を徃來の石垣に貼したるものも甚だ多し一見すれば市中の整〓壯〓の美觀を損するが如くなれとも一步を進めて考れば流石に龍動市中の〓なるを卜とするに足る可し我國にては官の成規を以て張札は一切禁制なるが故に三都其外にて毎戶の壁は無〓〓〓石垣も目に觸るる所は至極淸淨なるに似たれとも若しも〓人輩の引札を以て文明交通の一具と爲し其各處に貼して繁雜なるは恰も此輩が聲を發して自家の賣品を衒ふものと視做すときは萬口囂々市中を動かすものに異ならずして大日本國都會の盛なるを表するに足るべし固より此事を許したらば何か弊害の生ずることもある可き歟我輩の〓向〓思ひ當らざることなれとも若しも之れあらは宜しく制限を定めて然る可きことならん〓〓