「日本人は果して朝鮮の誘導者たるか」
このページについて
時事新報に掲載された「日本人は果して朝鮮の誘導者たるか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本人は果して朝鮮の誘導者たるか
朝鮮をして永年鎖國の事を覺〓さしめ漸く外國と交通徃來するの緒を開かしめたるは何人
なるや我日本人なり我日本人は今の勢に乘して益朝鮮の開國を計り與に東海の表に立ち與
に文明の〓澤に浴し同しく富國強兵の幸福を享けんとするの友誼なきや朝鮮を開明ならし
め朝鮮を富強ならしめ能く其獨立國たるの体面を全くして隣國我日本と輔車相依り遠く其
光を世界に被らしめしこと我日本人の情願なり物に接するに道あり人に説くに法あり大象
の大なる棍棒を揮て其臀邊を毆打するも以て痛痒を感ぜしむるに足らず然るに穢手其頂門
を拍けは全體を感動せしめて餘あるべし又吾人が髪結に至りて頭髪を理するに當り床の生
人針大の箸端に數片の羽毛を括りたるを右手に執り左手に耳邊を撫して此針大の箸端を耳
孔の裡に轉回せしむるに吾人の其激動を感こと天地も崩るゝかと思ふばかりなり然るに此
箸を執て試に掌上を拂拭せんに何の痛痒もなかるべし今朝鮮と交際し之を文明に誘導せん
とするに第一の肝要は勞力を徒費せざるに在り棍棒を揮て臀邊を毆ち細箸を執て掌上に轉
するが如きの所爲あらば其目的の結果に到達するは何れの日に在るかを知るべからず此理
明治九年日韓絛約締結以來の事蹟に徴して明白至極なるべし故に苟くも朝鮮を誘導するの
義心あらんには必ず先づ其頂門耳孔の所在を明かにし一舉手一投足の勞一錢半紙の費も悉
皆其頂門耳孔は何れに在るや其國都漢城是なり政治軍國の事と云ひ學藝商工の事と云ひ朝
鮮百般の事物漢城を中心と爲ざるはなし漢城にして一たび文明の德化に歸せば他八道の草
木は催促を俟たずして其風に靡くべし朝鮮の交際通商は漢城より先なるものあるべからざ
るなり
明治九年日韓絛約締結の後慶尚道の釜山浦は貿易港の一と定り日本との往來甚近くして便
利なるが如しと雖も朝鮮國東南隅の僻陬にして京城地方との交通甚便ならず之を我日本に
譬れは徳川時代長崎に貿易港のありし〓の〓〓に異ならず次に咸鏡道元山津を開て貿易港
と爲せんと雖ども是亦北海の僻地にして京城接近の地にあらず之を譬れば新潟の東京に於
けると一般なるべし長崎新潟の二港に往來して大に日本の貿易を〓め得べしとも思はれず
大に日本の文明に益すべしとも思はれず必〓するに〓〓〓に勞して其功少なきものと云ふ
べし果して大に日本の文明を進め〓の貿易の利益を知らしめんとするには直ちに〓て横濱
に徃かざるべからず又更に一歩を進め東京の中央市塲に入らざるべからず是則ち朝鮮と交
際貿易を爲すには必ず京幾道の仁川港に〓〓し〓て〓〓〓に入り〓〓を漢城に入るの緊要
なる所以なり日韓絛約に依りて明治九年二月より向二十箇月の〓に〓〓〓しむげき二〓〓
にして何の〓〓なる理由ありて〓其〓〓やに〓〓し〓〓九年二月より全八十二箇月の後即
ち明治十六年一月に至り始めて仁川開港の沙汰ありたり未た開港の沙汰なき間は是非もな
きことなれども既に開港の上は片時も速かに此港に往來するの用意なかるべからす然るに
本年一月以來仁川〓開港したりと噂するのみにして日本より同港へ無事〓るの便あるを聞
かす我輩の記臆する所に依るに軍艦の〓航を〓〓日本船にして〓〓〓〓〓〓〓〓るは一月
以來二回に遇きざるが如し隨て仁川港〓〓〓日本商人の〓〓する者少なく貴〓〓〓の〓〓
やるが如し我日本政府は大に朝鮮?に〓〓「サイベリヤ」〓〓の貿易交通を獎勵し貿易交通
上第一の要事は郵船の徃來を開くに在るを察し三年以前より神戸、馬關、長崎、朝鮮、釜山
浦、元山津、魯〓浦潮斯德の間に毎月一回の定期郵船〓徃來せしめたり〓〓甚だ〓しこと〓
〓べし然れども今漢城咫尺の仁川港を取て之を浦潮斯德、元山津等に比するに其輕重果して
如何ぞや浦潮斯德、元山津尚且日本政府の注目に〓れずして一月一回郵船の徃來するあり況
や朝鮮の横濱とも稱すべ〓仁川港に於てをや一月三回の徃來を〓〓も〓〓〓〓〓〓あるべ
し本年一月以來仁川は既に開港したりと云ふも開港の名のみにして開港の實を見ず蓋し五
百「マイル」の海上徃來の船便なきが故なり貿易商人は?船會社の主人にあらざるを以て自
家の商品を自家の船舶に搭載し人の保護を仰がずして日本國の富強に資するの工夫なけれ
ばなり仁川の開港は既に八十二箇月さへ延引したる程の悠〓主義ゆえ目下尚開港前のもの
として強て之を顧〓ざらんとするも彼の漢江渡頭の楊華鎮即ち東京の品川とも稱すべき漢
城南大門外の開市塲は來る九月に開設するの約束なり是亦徃來の船便なくば徒らに名のみ
の開市にして終るならんか之をも能く忍びて無き昔なりと諦らめんとせんには寧ろ最初よ
り朝鮮の誘導者たる重任を辭し鎖國退守世界萬國文明の活劇塲〓〓〓するの念慮を絶ち赧
然として人後に逡巡す〓〓〓〓〓るに〓かざるべし支那の招商局は仁川、〓〓、〓〓の〓〓
〓仁川、上海の〓に定期郵船を開きたり我國政府は既に漢城に在留公使を送りたり以〓〓〓
〓便利のため近日郵船の徃復を始むるなるべし文明開化の〓〓の〓〓得たず逝く者は皆斯
の如く〓と〓ならず我輩は日本國人に向て速かに意の向ふ所を決せんことを希望するなり