「首府改造」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「首府改造」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

首府改造

東京は日本帝國の首府なり殖民地の村落にあらざるなり明治千百年〓持續すべきの帝都な

り一時の假住地にあらざるなり唯だ其れ然り故に之を改造するに當りては千百年の計畫を

なさゞるべからず英人某曾て嘲て曰く羅馬は古都なり故に徃時曾て壯麗の建物を建てし地

を存す華盛頓は新都なり故に未來に壯麗の建物を建つべき地を存素?者共に其閑散空?な

るは一なりと然れとも羅馬の徃時に壯麗の建物を建てし地を存するは暫く論せず華盛頓府

の未來に壯麗の建物を建つべき地を存するが如きは誠に千百年後の計畫を千百年前に豫定

し整然として紛雜する所なからしむるものにして新に大都を築く者の爲さゞるべからざる

所の者なり豈に其當時に閑散空?なるを以て之を嘲けるべけんや且つ近時日耳曼に遊ぶ者

の〓を聞くに別林の府外數里の地麥畦菜畝縱横する處に幾個の標柱を立て某街某番地と〓

すを見る是を路人に問へば曰く是〓未來に別林府の市街たるべき處なりと云へりと今や東

京は日本帝國三千六百万人の首府にして明治千百年に持續すべき帝都なるに改造の測量地

圖を製して以て豫め千百年の計畫を爲さゞるは勿論十年の計畫も尚且つ定まらざるが如き

有樣なるを以て都人が家を造り橋を架し道路を修築し河渠溝港を開鑿する皆な漠然たる無

形の推測と當時の出來き心とによらざるなき能はず故に若し其築造する所のもの僥倖にし

て地の冷〓と商業の〓〓とに適合せば〓ち可なりと雖とも彼の無形の推測と當時の出來き

心との間違ひ易き物の道理にして東京の商勢は某々の會社何々の建物等の新設せるにより

毎歳多少の變遷ありしは既徃の經験に徴して知る所なるを以て一〓不幸にして冷熱處を換

へ盛衰〓ち異にし去年〓地に架する所の鐵橋も今年閑散無人の廢路に通する者となり今日

銷金窩裡に遺る所の石屋も後日亦た門前雀羅を設くべき者とならざるなきを保し難く終に

鐵橋の鐵や石屋の石や倶に是れ不燃質不朽体ことして千百年に持續すべきの物なるにも拘

はらず其「ペンキ」未だ乾かず「モルタル」尚ほ瀛ふの時に於て早く既に之を取り崩さゞる

を得ざる者あるに至らんも未た知るべからず左れば若し我東京も米國の華盛頓府の如く又

た日耳曼の別林府の如く千百年後の計畫を千百年前に定めて精密なる改造の測量地圖を製

し一木も苟も立てず一石も苟も置かず多少の建置経營も皆な此國によらざるなきに至るこ

となくんば滿都在る所の千橋萬屋之を石にするも之を鐵にするも一も皆な永久の性質を有

する能はずして終に假設の物たるを免かれざるべし首府改造の測量地圖豈に製せざるべけ

んや

近時歐米に於て都會を築く者は交通の便と守禦の利とを要としたり那勃翁三世帝の巴黎府

を改造するや專ら守禦の利を謀り砲臺以て之を周らして巍然たる城郭をなし敵の郭門に入

らんとする者に向て左右の砲臺より十字線形に放發するの工夫をなし苦心實に此點に盡し

たりと雖ども普佛戰爭の一擧普軍の大砲は遙に此十字放發の線外に在りて城内の佛軍を亂

撃したるを以て那勃翁帝か金湯の城池として恃み切りたる十二砲臺も終に其効を奏するこ

と能はざりし爾来都會の築造に守禦の利を謂ふものなく單に交通商業の便を是れ謀ること

なればなり

東京の都會は昔時幕府〓廷の在る所三百諸侯の賜邸遠近四方に割據して其組織を成せしも

のなるが故に縱横の市街屈曲斷續して毫も貫通する所なし冷〓盛衰の地交通〓雜し紛擾も

亦極れり故に商家の地を卜し屋を購ふもの大抵皆な交通の便宜を察し商業の都合を〓ぶに

若し彼の商業の機關たる驛〓局の日本橋にあるにも拘らず中央電信局の獨り采女町にある

が如きの不便は措て論せず近日其同運輸會社の本局を箱崎町に置き日本鐵道會社の事務所

を築地に新築せんとし又た日本銀行と十五銀行の各々永代橋と新橋とに僻在するが如きは

其社員の商〓に敏捷なるに拘はらず未た中央市區の定らざるが爲に終に〓〓の〓地を擇ん

て之を卜すること能はざりしものなるへし若し然らずんば金に飽かせても中央〓近の地を

卜せざるの〓なければなり〓或は曰く運送會社の箱崎に於ける日本鐵道會社の築地に於け

る日本銀行の永代橋に十五銀行の新橋に於ける皆な日本橋を距る十數丁の〓の〓十數丁の

ベを隔つ〓に中央に接近せざるものと〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓に都下の事情に通せざるの論

のみ〓の十〓の〓〓〓之に加ふるに十數丁を〓〓す〓〓り〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓覺げず〓

れ〓〓〓〓〓如く〓〓〓其〓〓〓〓〓〓〓〓〓を加へざるへし然れとも都下十丁の道之に

加ふるに十數丁を以てす是れ道程を二倍にするものにして爲めに遠きを加ふるを覺ふるは

亦た免かれ難き所なるべし其れ〓〓道程を二倍にして亦た甚た遠きを加ふるを覺ふ其間の

運搬賃實に二倍の多きを加ふるは勢の然る所なるべし左れば海陸運輸銀行等の諸商社をし

て單に彼の甲掛け脚牢草鞋掛けにて出京し來る所の田舎漢のみを相手にする者ならしむれ

は則ち可なりと雖とも若し夫れ其相手をして時是れ金の箴語に從て縱横活?〓〓を算〓の

間に爭んと欲する者ならしむれば則ち斯る東京の片田舎に僻在するを以て可なりとすべけ

んや故に先つ速かに東京改造の測量地圖を製し豫め中央市區の形畫を定め以て此等商賈を

〓競ふを交通便宜の地に居を卜し活?の商業を日本の帝都に榮することを得せしめんこと

我輩の希望に堪へさる所なり

我輩は首府改造を論するに當り「レヴイウ、サイアンチフイク」新聞に就て「バヅロウ」氏

が考案に係はる市區改良法を一見したるを以て取敢えず之を左に抄譯し東京中央市區改定

の責に任する各當局者の參考に供すること然り

「バヅロウ」氏市區改良法

市區の仕組に付ては種々の方案あり中に就き四角形のものは甚た簡易にして市街屋内の装

置を容易ならしむるの便益あり然れとも千街一形にして人目を倦ましむるの不便あるのみ

ならず府中一部分の地より他の一部分の地に到らんとするに四角形の両側面を通過して迂

路を取るの不便あり最初我輩は數學上の計算によりて市街最良の組織を工夫したれとも到

底此事は幾何上の工夫に属することを發明したり我輩は市區改良法を左の二樣の点より研

究したり第一何等の法に從へば成る可き丈け狭き土地に成る可き丈け長き道路を作り得る

や第二徃來交通の道路殊に最要の通〓をして成る可き丈け短く作り得るやの疑問是なり市

街の組織に付從來四個の方案あり四角、六角、八角、及び圖形是なり數學上の計算によるに

成る可き丈け狭き土地に成る可き丈け廣き宅地を占め成る可き丈け長き道路を作り得るは

四個の中にて六角形を以て第一とするが如し尋常市區は四角形のものよりも六角及び八角

のものゝ方徃來交通の便利?に地面の経濟とも甚た大なるものとす唯六角及び八角形の市

區は其宅地をして六角形のものには六十度、八角形のものには四十五度の鋭角を生せしむる

の不便あるなり實際の経験に依るに都會の住民は成る可き丈け中央に近接せんとし從て人

口は中央に稠密にして之に遠さかるに從ひ次第に稀少となるなり故に此有樣より考ること

は圖形の市區を以て甚た適當なるものとすべし固形の市區なれば周圍の各地より中央の一

集點に直線の道を輻湊せしむることを得べく又中央を遠さかるに從ひ次第に宅地の面積を

廣くすることを得べければなり此等幾何學上の性質より推すに一府の中心にして人口は極

めて稠密、地價は極めて高く、徃來交通は極めて自在なるを要する中央市區は六角形を以て

最上とすべし伹し此中央區中に數箇所の空地を存し紀念碑を建て噴水盤を置く等の塲所と

なすべし此六角形の中央區の外圍は馬車幾軌を併へて馳すべき程の大路を設けて一周せし

め又此大路外の市區は彎曲線の道路を作らざる樣に注意して十分圓形ならしむるを好とす

斯の如くすれば中央區外各集落の要衢は何れも直線に中央區に集まり或は直線に有或は少

許の屈曲を以て中央區を横斷して進行し且つ各集落市街の仕組は稍四角形に搆造すること

を得べし又横道は中央區を遠さかるに從て次第に其距離を増し宅地の面積を廣くすべし左

の圖式(次號に載す)は以上の主義に從て製したるものなり(以下次號)