「首府改造昨日の續」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「首府改造昨日の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前條に記載する如く市區の搆造は四角六角八角及び圖形とも各其長所あり亦其短所ありて

專ら其一を採るべからず依て各形の長所を集合して爰に市區の新雛形を製し技術家の參考

に供す面の特に爰に一言すべきは此雛形を取て歐米諸國の各都府の圖に對照するに新國亞

米利加の市區に似ずして舊國歐羅巴の市區に似たる所多き一事なり〔図あり〕

以上は單に幾何學のみの点より市區改良法を論ずるものなり更に轉して地理、気象、貿易

及び政治等の点より觀察するときは尚ほ研究せざる可らざるもの甚だ多し盖し道路の方向

は地形のため制せらるゝこと少なからず例へば河流或は街道等の市内を橫斷することある

が如き是なり地位の都合に由りて何れの方角に市街を增築するも差支なき都會もあれば或

は両山の間に挾まり一小島の土地に限りある等の事情により實際增築の行はれ難き都會も

あり西班牙國「カプズ」港の如き島上に市街を成して土地に限りあるがため其仕組尋常な

らず道路は極めて狹隘に家屋は極めて高い屋上に物見柵等の設多きは純精なる空氣雨水を

得んが爲なるべし佛國「サンマロ」港の市街も「カヂズ」と大同小異の觀あるなり又世人

の熟知する如く伊太利國「ヴェニス」府に於て緊要の道路と云ふは大抵皆堀割用なり幾個

の嶋上尋常の道路とては一條もなく何れも皆狹隘屈曲實に驚くべきもののみなり然るに之

に反して「ホンガリー」國の諸府の如きは大抵皆廣大なる土地を占め隨て其人口も决して

稠密ならざるなり例へば「マリヤ、テリサ」府の如き「レクリウ」氏の報道に從へば全市

の廣さ八百九十六平方「キロメートル」の土地を占め名は都會にして其實原頭に井然たる

並木街道を作り其左右に人家を點綴せしめ渺漠たる原野に石塊の点々たると一般なりと

又季候の点より觀察するときは市中の通路の屈曲狹隘なるは寒暑を遮るの便ありと雖ども

空氣の流通を妨げ瘴氣の鬱積を釀すの害あり實驗に依拠るに大抵の都會は平常風の由て來

る所の方角に向て次第に其市街を擴むるの傾向あり蓋し風上の地方は空氣純精にして市内

の瘴氣に觸るゝの恐なく最も健康快活の塲所なればなり

又經濟上の点より觀察するときは人口の疎密在來の繁閑を計り處する所なかるべからず理

論上より云へば各道路の廣狹は之を通行する人馬の數量と比較して過不及あるべからざる

ことならん兎に角に中央區の焦点に達する要衝は廣且直にして昻低等の障碍なきを要すべ

市街改良は大抵既に存在する現形に制せられ新街の搆築を自在にすること能はず急に發達

したる新都府の類は豫め圖式を製し其指示する所に從て各部の市街を搆築し全都の市區整

然たるものなきにあらず日耳蔓「バーデン」の「カールスルー」府及び米國の諸都會の如

き是あり左れとも歐洲の諸都會は永き年月の間に漸次改良せしものなるを以て市街の仕組

整頓したるもの少なし

市區の周圍に城壁の設なき都會は市街を增築するに先つ近傍の都會と往來する街道に沿て

次第に四方に廣かるものとす然れとも城壁の設けある都會は左にあらず人口稠密するに隨

て郭外各處に点々集落を成し城内は人〓〓〓日に益甚しく一旦忍ぶ可らざるに至りて〓〓

城壁を撤し郭外の集落と合併するを常とす而して城壁の故趾は都會の中央區を周廻する九

軌の大道と製すべし佛國巴黎府の如き〓かに此痕〓を存するものなり通常此大道内の市區

は久しく狹隘區域に限られたるがため道路極めて狹く家屋極めて高く人煙極めて稠密なり

面して商賣遊嬉公私一切の事務を此中に集合し諸會社、寺院、官廳、劇塲等は一も此區内

を去ることなし又大道外の各集落は其道路概子皆中央區の方向に通し自然に幅の轂に集ま

る状形あり集落は道路も廣く人口も少なく家屋の間に空地をも存し中央區の熱鬧に引換へ

て甚だ閑靜なり墺太利國維也納府の如き時世の變遷に由て漸次舊都會に改良を加へたる最

良の一例たるへし

又地形の都合に由り市街を擴張するに各方一樣なること能はざるものあり白耳義國「アン

トワープ」府の如き「スケルト」河に面するがために近時其郭外の集落と合併して其全府

の形ち半月を成すに至りたり或は佛國「カレー」府の如き郭外唯一個の集落を有するのみ

にて此集落は中央區に比すれは人煙却て稠密なりとす又一朝忽ち都會の形状を變するは城

壁の徹去のみに由るにあらす大火のため全市或は其大部分を灰燼に附したる後之を再築す

るに當り大に市區を改正し新美屋を建て一朝にして其面目を改むること多し佛國「レン」

府か千七百二十年の大火に舊市街を一拂し新に整然たるの美麗の市街を現出したるが如き

是なり或は又人力を以て舊市街を徹し代るに善美の新市街を以てすることあり此塲合に於

ては從來府内の最陋隘の〓閭なりしもの先つ此變化を受け一飛して府内最壯麗の市街とな

るを常とす「ホウスマン」氏が執政中佛國巴黎及び其他の都府に施行したるものは此一例

なり

以上は我輩が市區改良法に關する意見の大略なり我輩は固より此疑問に關し十分に論究し

尽したりと云に非す唯我輩は市區改良の緊要なると其良法を論定することの困難なると且

つ從來世人の妄信する四角形の市區の實用に不適當なるとを世に公示するを以て足れりと

するのみ(畢竟)