「伊太利政府紙幣引換を實行す」
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本文
伊太利政府紙幣引換を實行す
千八百八十三年即ち明治十六年四月十二日は伊太利王國の歴史中一大記念の日たるべし此
日に於て伊太利王國政府は紙幣引換の擧を實行したればなり伊太利王國は建國の日を距る
今より僅かに二十二年歐洲の最新王國たり建國の初は歳出多くして歳入足らず國債を募り
て財政の急を救はんとすれとも内外國人の信用薄くして其募に應する者なし依て止むを得
ず紙幣を發行して一時の急を凌きたり實に今を距る十七年前なり紙幣の制は我日本の紙幣
の制と同しく所謂強迫紙幣なるものにして正金に引換ふることなく王國の法貨として金錢
取引上に受授せしめたるものなり伊太利の正金と紙幣の差は大抵一割内外にして一割二分
を超ることは甚た稀なることなりしこれを我日本帝國の正金と紙幣の差其大なるは七八割
五六割近日は大にこれを減したりと云ふも尚ほ三四割の間に在るものに比すれば其難澁同
日の論にあらず我日本人等の眼より見れば伊太利人民は未た具さに強迫紙幣の弊害を實驗
したるにあらず正金と紙幣と一割位の差異に囂々苦情を鳴くすは何事ぞとこれを我身に顧
みて他の堪忍袋の狭きを訝ることもあるへし然れとも伊太利人民は一割の差を以て歯牙に
掛くるに足らざるの小額と爲さずして速かに金髪同價の日に逢はんことを希望し頴敏活?
なる伊太利政府の飽くまて強迫紙幣の害を承知して速かに兌換紙幣に改めしことを欲し國
會の决議を經て實行の手續きを定め明治十四年より十五年に掛け紙幣引換の用に供するた
め國内國外に於て新たに七億二千九百七十四万五銭「リーラ」即ち一億四千五百九十四万九
千銀圓の國債を募集し此正金を以て約束の通り本年四月十二日紙幣引換の大業を實行し我
輩は伊太利王國の臣民にあらずと雖とも同情相憐の心の然らしむる所か此喜ぶべき報知を
得て滿足に堪えす伊太利國民に向て其〓運の無比なるを慶賀するなり
伊太利半島及び其附屬諸嶋の面積は凡そ十一万四千方英里にして日本帝國の版圖に比すれ
ば凡そ其三分の一を少なくしたるものと畧相似たり今より二十餘年前には國内幾多の邦國
に分裂し「サルジニヤ」王國あり「シシリー」王國あり〓地利國の屬地あり羅馬法王の領地
あり「トスカニイ」「パルマ」「モデナ」等の諸公國ありて壤土犬牙錯雜し其國勢の備弱至極
なる常に他人の侮蔑を免かるゝこと能はざりき然るに千八百六十一年に至りて「サルジニヤ」
王「ヴイクトル、エマニウル」伊太利を一統して新たに伊太利國王の位に即き地中海頭忽ち
一の強大國を現出したるの日よりして全伊太利人は刻苦精勵を恊せて新王國の富強を謀り
日耳曼の兵制に傚ひて全國兵の法を設く平時陸軍の常備兵二十万五千人戰時は七十三万三
千人に增すべし海軍は目下八十六艘の軍艦を備え世界中屈指の一強兵なり殊に伊太利の四
大艦と號する「イタリヤ」號「レバント」號「ヂユイリヨ」號「ダンドロ」號の四銕艦は甲
銕の厚さ二十二寸乃至三十三寸にして各百〓の「アームストロング」砲四門を裝置せり即ち
英國の海軍中にも其比を見ざる世界第一の堅艦巨砲なり農工商業の獎勵又軍備の擴張に劣
らず富國〓一の要用物たる銕道の如きも千八百六十一年前は僅かに數百英里を布設したる
のみにて觀るに足るものなかりしが此年新伊太利建國の擧と共忽ちに發達し爾來二十年の
間に五千餘英里の新銕道を布設したり然るに人民は銕道布設を私立會社の企業にのみ委し
ては其發達甚だ遲緩なるを憂へ政府をして自から其業に從事せしめ千八百七十九年(明治十
二年)國會の决議を以て向ふ十五年の間に二億銀圓の金を費して更に三十七百英里の新銕道
を布設すべし其銀圓の金を費して更に三千七百英里の新銕道を布設すべし其費用の何分を
負擔するため政府は向ふ十三年の間毎年一千万圓を臨時支出すべしと定めたり斯の如く伊
太利人民が鋭意文明を推〓せんとするには其費用固より莫大なり故に建國以來伊太利政府
の歳計は入るを以て出るを償ふこと能はず千八百六十六年の歳計の如きは歳出の歳入に超
過すること實に一億二千三百四十万銀圓なりし依て種々の税法を工夫の歳入を増加しこれ
を二十年前に比すれば目下凡そ三倍の金額に上り國債の総額は既に二十億銀圓の巨額に達
したり明治十五年度の歳出四億三千五百九十八万圓歳入四億三千九百五十八万圓これを伊
太利國の人口一千八百四十五万人に配當すれば一人に付十五圓餘に當る即ちこれを我日本
人民に比すれば凡そ十倍に近き國税を拂ふの〓〓なり實に驚くべき金額と云ふべし伊太利
人は其國を獨立せしめ世界の一大強國たるの地位に達せんが爲め斯の如きの大金を費して
斯の如きの重税を拂ひたり若し世間の古風なる政治家が口吻にする如く斯民を休養すべし
これを休養の道は唯其賦税を?するのみと云ふを以て人間の最大幸福なりと為さんには伊
太利人にして今の新強大王國を建立したるは此上もなき無分別なるべし伊太利人をして若
し二十年前の儘に他人の侮蔑に甘從せしめんには十五圓の租税をも拂はず百圓の國債をも
負擔せずして依然此世の中に生々し得たるなるべし然るに伊太利人は此を棄て彼を擇び費
用を吝まずして鋭意全國の文明を推〓し明治十六年四月十二日には又もや強迫紙幣の現在
流通高九億四千万「リーラ」即ち一億八千八百万銀圓の引換に着手したり實に其勇気には及
ぶべからざるなり我輩は日本國人に向て伊太利人の所爲に倣ひ此を棄て彼を擇ぶの政策に
出でんことを勧告する者なり