「國財論」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「國財論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

或人の説に、酒税を重くすれば酒價を高くす、酒價高ければ酒を飮む者を減ず、全國の酒造、其石數を減少す

るときは、税率に增すも物品に減ずるが故に、収税の額面に就て見るときは殆ど得失なかる可しと云ふ者あれど

も、是れは唯增税發令の其年に、無識なる酒屋が世態人情を知らずして狼狽する者あるが爲に、一時減石の變相

を呈するまでの事にして、自然に其舊に復するは甚だ明白なる事實なれば、到底增税の爲に酒を飮む者の數を減

却す可きに非ず。例へば我政府にて酒に税を課するの法は明治八年十月より實施して、其時には酒造營業の者は

酒類賣捌代價十分の一を釀造税として年々上納可致との布告なりしものが、明治十一年九月二十八日第二十八號

の布告を以て石數に應じて納税と改まり、清酒は一石に付一圓、濁酒は三十錢、白酒味淋は二圓づゝ、燒酎は一

圓五十錢、銘酒は三圓の税を課したり。次で明治十三年九月二十七日第四十號の布告には酒類を分て三類と爲し、

第一類釀造酒、第二類蒸溜酒、第三類再製酒として、一類は一石に付二圓、二類は三圓、三類は四圓と定められ、

又次で明治十五年十二月二十七日第六十一號の布告を以て、右第一類二圓なるものを四圓と爲し、第二類の三圓

を五圓、第三類の四圓を六圓と爲したり。卽ち今日の税則なり。又一方より全國酒造の石數と其年度に從て增減

の情況を見るに、統計年鑑に記す所左〔次頁〕の表の如し。( 但し年鑑には明治十二年より十三年までを記しあれど

も、以下二ヶ年は其筋の調査に據るものなり。)

此表に就て注目す可きは、清酒の多くして濁酒以下雜酒の少なきことなり。明治五年より同十五年に至るまで

十一ヶ年の間、毎年清酒と雜酒との比例を算するに、十一ヶ年造石の總額四千八十一萬九千百二十八石の内、淸

酒三千九百五十二萬八千九百二十三石、雜酒百二十九萬二百五石にして、雜酒の高は淸酒百分の三強に當る。卽

ち清酒百石を醸寸者これは、雑酒は僅に三石除を造るのみ。囚に計ふ可き數に非ず。是卽ち我輩が雜酒を顧みず

して專ら清酒に注目し、濁酒燒酎の如き下流の用料たるものは極めて其税を薄くして、廣く民心を傷ふことなき

を祈る由緣なり。又其石高增減の狀を見るに、明治八年までは三百何十萬石の大數なりしものが、同年の布告に

賣捌代價十分一を上納す可しと定まりてより、翌年俄に減じて二百五十萬石と爲りしは、課税の影響ならんと雖

ども、其次年に至れば則ち殆ど舊に復して二百九十萬石と爲りたるは、其影響の久しきに持續せざること、以て

知る可し。卽ち酒造家が税と聞て一時減石するも、實際世間の需要は減少せざるが故に、忽ち舊に復するものな

り。又明治十一年税法を改正して、其翌年は造石の高減ず可き筈なるに、十一年度の三百九十萬石は增して五百

年   次    清  酒      濁  酒     燒  酎     白  酒     味  淋    銘  酒

石        石        石        石        石       石

明治  五 年 二、九六三、三七八  一一三、一二九    一、八三二    一、五七五   二〇、〇四七    一、五七二

同   六 年 三、二六七、五三九   八二、八六〇   一四、五六六    一、五九七   三二、四八三    二、二三五

同   七 年 三、六一一、七一四   六八、九〇六   三三、六三三    一、八九四   三一、五〇八    二、五四一

自同 八年一月 三、一一八、八七六   五四、一一九   三五、五〇五    一、八八二   二六、八九八    二、二五八

至同 九年九月

自同 八年十月 三、〇〇二、九六八            二八、一二四    一、二九九   二六、六三一    二、一五七

至同 九年九月

自同 九年十月 二、四九一、七九四            二〇、四三六    一、一一二   二一、六七三    一、六九九

至同 十年九月

自同 十年十月 二、八六二、四一六   一六、七六七   二七、一六八    一、一二三   二一、二二一    二、四三一

至同十一年九月

自同十一年十月 三、八五一、七八一   三三、八二九   四八、八〇八    一、一七六   二六、六八八    二、九三七

至同十二年九月

自同十二年十月 五、〇一五、二二七   六五、四四七   八三、七三八    一、四九八   三八、五八一    三、六一六

至同十三年九月

自同十三年十月 四、四九六、四〇八   三四、二〇二   七四、九六八    一、五四九   二八、二二一    四、五三六

至同十四年九月

自同十四年十月 四、八四六、八二二   三七、八一九   六一、八二〇    一、七九五   二四、五〇二    一、五八九

至同十四年九月

合   計

明治  五 年 三、一〇一、五三三

同   六 年 三、四〇一、二八〇 

同   七 年 三、七五〇、一九六

自同 八年一月 三、二三九、五三八 

至同 九年九月

自同 八年十月 三、〇六一、一七九 

至同 九年九月

自同 九年十月 二、五三六、七一四

至同 十年九月

自同 十年十月 二、九三一、一二六 

至同十一年九月

自同十一年十月 三、九六五、二一九 

至同十二年九月

自同十二年十月 五、二〇八、一〇七

至同十三年九月 

自同十三年十月 四、六三九、八八九

至同十四年九月

自同十四年十月 四、九七四、三四七

至同十四年九月

二十萬石の數と爲りたるは、此年より政府にて頗る精密の調査を遂げて、管理法も梢や整頓したる故ならんと云

ふ。然るに明治十三年酒を三類に分て税を収るの法を布告してより、同年度五百二十萬石のものが翌年頓に減じ

て四百六十萬石と爲りたるは增税の影響にして、次で其翌年卽ち十四年度は復た增して四百九十萬石の數と爲り

て、殆ど舊に近き數に昇りたる其趣は、明治八年增税の事情に異ならず。左れば明治十五年又增税の布告に逢ふ

て、本年冬の造石高は如何なる可きや前知す可らずと雖ども、瑕令ひ一時は減却するも、爾後は次第に舊に復す

可きのみ。抑も飮酒は人の慾の最も劇しきものにして、酒色とさへ文字を對して用る程のものにて、酒慾は殆ど

色慾に等しと云ふも可なり。僅に其物に税を課して僅に價を增せばとて、此人慾の劇しきを制す可けんや。今の

酒價を一倍にするも全國飮酒の量は決して減少することある可らず。唯斯の如くしては下流の人民が高價の酒を

飮み、酒の爲に産を破る者ある可きやも計られず、瑕令ひ其程度に至らざるも俗間の苦情喧しからんことを恐る

ゝが故に、前節にも述べたる如く、濁酒と燒酎とを税外に置き、自家用料の石數を寛にして自由ならしめんと欲

するのみ。我輩は專ら清酒に依賴するものにして、其清酒の造石高は增税の具に減少するなきを期するものなり。

〔六月二十三日〕