「仁川居留貿易商人の地位」
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本文
仁川居留貿易商人の地位
頃日朝鮮仁川港より歸朝したる人の直話を聞くに同港は既に本年一月より貿易塲となりたれと
も其當坐は日本と徃來する船便なく偶々同港を出入する日本船は軍艦にあらざれば陸軍の御用
船にて商業上の用向を達すべからず獨り此用向を達すべきものは三菱會社の定期郵船なれとも
これとても一年に二回より多くは航海せざるものゝ由にて開港以來僅かに一回の來航ありしに
過きず然るに其後追々夏の暑さに向ふに連れ朝鮮海の風浪も和らぎたる折柄貿易商人等も一た
び仁川に渡航して大に朝鮮中部の貿易を開發せんことを欲し商品を用意して日夜船便を待つの
際なりしを以て去る五月中には大〓の小?船鎭西丸三菱會社の千歳丸とも政府の御用船にあら
ず全く人民の商品輸送のために來航し隨て留居人の數も大に増加し目下仁川港在留の日本人は
百五十名内外の多きに達したり然るに仁川港の居留地濟物浦は元來朝鮮の一寒村にして市街も
なく倉庫もなく商店もなく荒凉たる蕪穢の地のみ其?恰も三十年前の我神奈川の邊り橫濱村の
俤を寫したるものと云を可なり故に同港在留百五十名の日本人は貿易を目的に此地に上陸はし
たるものゝ差當り先づ雨露風燥を防くべき家屋なかるべからず飢渇を醫すべき飲食を求めざる
べからず疊建具なかるべからず鍋釜桶盥なかるべからず衣食住日用の諸品なかるべからざるな
り而して此等の諸品は其一二を除くの外悉皆これを日本より取寄せざるべからず故に居留商人
等は朝鮮人に向て商品の賣込み買出しの相談を爲すなりも先づ日本に向て衣食住諸品の供給を
催促せざるべからず然るに今や幸にして夏期に際し風浪の險なきを以て千歳丸は勿論鎭西丸の
如き小?船と雖とも仁川に廻航するの便を得て不充分ながらも百五十名の日本人をして飢塞死
に至らしむるの憂なしと雖とも思ふに今より三ケ月を過ぎ秋冷の候に至れば朝鮮仁川近海の風
浪漸く方さに險惡となり鎭西丸樣の小?船は勿論稍大なる千歳丸の如きものにても迚も此險を
冐すことは六ケ敷かるべし好し此時に至れば小?船の徃來を廢して大?船を廻航せしめ居留人
衣食住日用諸品の供給は勿論輸出入貿易品の輸送に些の遺憾を感することなからしめんとする
か仁川港の貿易は後來漸く盛大に至り到底日本の橫濱たる地位に進むべき見込みあるにも拘ら
ず今や不幸にして其開港の日尚ほ淺く其貿易事務尚ほ幼稚に属するを以て貿易品の輸出入未た
多額ならず僅かに鎭西丸若しくは千歳丸樣の小?船を使用するに堪る位の点に在るのみ故に今
俄かに秋冬の風浪に辟易せざる程の大?船を廻航せしめんには徃來の積荷小量にして迚も其航
海費用を完償すること能はざるべし毎航海に幾千圓の金額を損して此航路を維持せんことは到
底貿易商人の私力に望むべからざる難事たるを以て殘年至極ながら濟物浦頭〓〓蒼々白露霜と
成るを相圖として仁川灣へ商業上の交通は全く斷絶せざるを得ず此時に至りて同所在留の日本
人等は始めて其身の孤獨配流の罪人と地位を同しくするを覺とるも時既に晩し郷里に歸らんと
するか五百海里の風浪渡るに舟楫なし異域に留りて復た來る春を待たんとするか雨雪を防くの
家なく寒威を護するの爐火なく衣服飲食の貯蓄又半年を支るに足らず老若相率ひて空しく氷雪
の間に轉死せざることを得ば幸なるべし今此悲慘の出來事を豫防せんとするには唯日本政府が
少許の金額を〓まずしてこれを日韓貿易の保護に使用し一年間時の別なく仁川港はの定期航路
を開設するに在るのこと語れり
以上我輩か仁川港の實况を知悉するの人より聞き得たる所の實事譚なり朝鮮と徃來交通の不便
を歎するは我輩の持論にして我輩は幾度か仁川へ定期航路開設の必要なるを論説したり然れと
も今日に至るまで遂に其開設の事あるを見ざるは我輩の遺憾は盲ふに足らざれとも全國人民の
不幸これより大なるはなかるべしと獨り心を傷ましむるの際忽ち又此仁川港の實事譚を聞き唯
長大息の外なきなり抑も朝鮮國民をして外國あるを知らしめたる者は何人なるや日本人なり、
釜山元山續きて仁川の貿易塲を開きたる者は何人なるや日本人なり、歐米人の朝鮮に到るを〓
道したる者は何人なるや日本人なり、朝鮮の開明を希ひ朝鮮の獨立を希ひ朝鮮の富強を希ひ朝
鮮の貿易繁昌を希ふ者は何人なるや日本人なり、去年漢城の變卒にして彼我の間に干戈を動か
すに至らず大に朝鮮國民をして解悟する所あらしめたるは?國の交際を親密にし貿易を盛大に
するの好機會なりし然るに我輩は未だ今日に至るまで大に此機會を利用したるの實跡を見ず仁
川は既に六ケ月前に開港したり然れとも其徃來の困難尚ほ斯の如し今二ケ月の後には揚華鎮の
貿易も始まるなるべし然るも尚ほ其貿易は保護するに足らずとして數万金を儉約し時運の到來
を天然に任せんとするか我輩日本國民のために决してこれを取らざるなり