「造酒業を保護すべし前號の續」
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時事新報に掲載された「造酒業を保護すべし前號の續」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
人或は謂ふ專賣免許のことたる百般の工業上に於て必要なるは勿論にして我邦の學士も既
に此に着目し數年前より專賣條令設けざる可からざる所以を論及し政府の注意を促したり
現に我邦の諸製造或は器械等偶ま改良發明の事あるも未た此特許を得ざるが爲めに大に工
人の氣力を衰頽せしめ該業の進歩を碍けたるもの其例に乏しからず聞く所に依れば政府に
於ても早く此規則の編制に着手し一二の〓業は成りたることあるも種々の事情あり種々の
議論ありて其事も中止に屬したる姿なり葢し政府の此條例頒布に躊躇する所以を察するに
一旦此法を發し之れが管理の屬を減たるを其發明に係る事功の優劣を判定するの〓きの其
果して〓〓なり〓〓〓〓別するの易からざるの及び之れが免許を與ふるに付て一時免許を
得んとするもの續々該局に蝟集し來り遂に彼此訴訟を生する等の患あらんことを恐るゝに
由るものなるべしと專賣條例に關するの事情或は然らん然れども我輩の趣意は造酒業保護
のために俄かに右樣困難なる專賣條例を實施せよと云ふにあらず又造酒の性質たるや專賣
條例の下に屬して利益を享けしむべきものなりと云ふにもあらず唯商標條例の法に從て此
業を保護すべしと云ふのみ然るに又此商標條例なるものも一般商業を保護するの法律にし
て特に造酒業の保護を目的とするにあらず隨て此條例を設けんとするには一般商業上に就
て大に考察の上ならでは容易に手を下すこと能はざるべし而して顧みて造酒の有樣を見る
に今日既に屈竟の税源にしてこれより得る所の税額は地租を除くの外日本政府歳入の最大
部分を占むるのみならず漸く將に地租と其金額の多少を爭ひ或はこれに凌駕するの豫望あ
る程のものなれば該營業の保護は實に一日も猶豫すべからざるものなり斯の如く急速の塲
合に臨み一般商業に適用の商標條例發行を待ちて始めて造酒業の保護を得んことを希望す
るは寧ろ緩慢至極の工夫なりと稱すべしとの説もあるべし此説甚た道理あり依て商標條例
の發行を急にして造酒業保護の求に應することは當時容易に行はれ難きこととせんか好し
我輩は單に酒類賣買のみに關する特別の商標條例を發行するを以て滿足すべし酒類は既に
商標條例を要するに他に尚ほこれを要せざる商品ありとて此大切なる保護を酒類に與へざ
えるの理由なかるべきを以て不急の分は後に廻はし先つ其緊要なる酒類の商標より始むる
も一般商業上施政上に取て何も不都合のことなかるべし果して酒類商標條例實行の上は各
地各樣の造酒にして同一樣の外裝をなすも樽徳利表面の商標に依て眞贋を判別するを得て
精粗純雜の酒類に相當なる價の高下を生し其清純なる酒を釀すものは自から多く利潤を得
るに至る可し是れ其法律の疵保に依て製造上の權利を確定するを得べきなり
人又謂はん酒類は其精粗純雜おり芳味の如何に至るまで口舌の試驗器を以て之を鑑別する
ものなれば他の製品の如く形容を以て欺く可きにあらず何ぞ商標を用ふるに及ばんやと是
又一を知て二を知らざるものなり成程一枚の舌は以て純雜を鑑別するに足ると雖ども製造
商賣上最も尚ぶべきは信用にして世間の廣き其名を同くし其標を同くするものに逢へば妄
信心醉する者其人に乏しからず是れ世間一般の情態なり且其價の稍廉なるものに逢へば力
めて其廉を取るは一般の人情にして遂に粗にして廉なるもの能く精にして不廉なるものを
墮するに至る而して買客も遂に其眞を知るに及はざるもの徃々之あり加之ならず一定の商
標あらざるときは酒問屋又は小賣店に於て各地釀造の精粗を混合し例へば六圓の酒一石と
八圓の酒一石を混合し其買價十四圓なるに之を毎一石八圓宛にて賣るときに則ち一石に付
一圓宛の浮利を得るものとす(一般他の利益を算入せず)此の如く精粗の酒に價の差違を
生するも其利益は造酒家に歸せずして問屋又は小賣に歸し買客も亦價不廉にして粗雜のも
のを購ふこととなる量〓〓に酒造家を保護する所以ならんや我輩とても敢て酒造業に私し
偏に之を保護せんとするにはあらず則ち一般の法律に由て善良の人と精純の品とを保庇し
奸曲の計を防かんとするに過きざるなり
以上論述する所に從へば政府に於ては別に繁雜なる條例を設くるに及ばず簡單なる登記法
を定め一局の登記所を設け酒類商標の制を定むるときは各地各樣の造酒を判然區別して互
に混合するを得ざらしめて贋造摸製も之を防禦するに足れば酒造家の便利は甚た大なるこ
となるべし之れに加ふるに前日記述したる酒造家の情况を詳にして檢査の方法と収税の納
期等を改正したらんには仮令ひ税額の增加するあるも酒造家の難澁とては一も之あらずし
て却て該業の進歩を助け一般の酒客に於ても自から價格と品質の相當なる飮料を輙く購求
し得るに至り徃時に行はれたる專賣壟斷の弊を受くることなかる可し是れ豈に一擧兩便の
策にあらずや讀者以て如何と爲す(完)