「淸國は果して安南を爭ふの意なきか」
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時事新報に掲載された「淸國は果して安南を爭ふの意なきか」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
淸國は果して安南を爭ふの意なきか
我輩が昨日の紙上に記す如く安南事件に關する淸佛の葛藤は本年に入りて以來漸く危急の
?態を呈し在北京の當任佛國公使ブーリー氏は突然本國に召還せられ在東京のトリクウ氏
が代て新任公使に命せられ倉皇其任に淸國に就くに當り淸國の大臣李鴻章は北京政府の訓
令を牽し早く既に上海に駐轅して佛國使臣の來着を待つの時なればトリクウ氏は此地に李
氏に會して論談すること一个月尚ほ未た談判落着の沙汰なかりし中に李氏は本月四日の夜
半を以て突然上海を去り北歸早々直隷總督の任に復して両國談判の委任大臣たるの責を卸
したるが如し而して上海に置去りせられたる佛國使臣は進て北京に入らんか退て本國に歸
らんか未た决斷する所なく正に躊躇勘考の最中なるが如し故に折角兩國の大臣が上海に會
合して長き時日の間談判する所ありたりと雖とも此談判を以て兩國和熟と决したるにもあ
らず又兵力を以て各自の權利を爭ふべしと决したるにもあらず徒らに口舌と光陰とを費し
て一塲の水掛論を爲したるものに遇きざるを以て今月今日淸佛兩國の關係は未た此談判の
起らざりし其以前のものと毫も相異なる所なし淸佛兩國にして果して和熟するの機を失ひ
たるにあらざるなりあるいは又果して一戰するの意あらんか未た開戰の機を失ひたるにあ
らざるなり必竟するに両國の關係は再ひ前日の地位に立戻り和戰何れの傾向にも未た大な
る進?を爲さゞるものと云ふべきなり
淸佛兩國の關係は既に前條に述る所の如し然るに彼の両國葛藤の原因たる安南事件は如何
なりしや、未た淸佛の談判和戰の决定に至らざる間は安南事件も一時停止して佛國が安南
の土地人民を侵略すると否とは此談判落着の上にて初めて决定することなるや如何と問は
んにはこれに答ること甚た易し淸佛安南三國の關係に付今日迄の事實上より佛國政府の意
中を察するに淸佛の談判は淸佛兩國限りの一事務なり佛國安南の開戰は佛安両國限りの一
事務なり彼此毫も相關する所なしとの説を爲すものゝ如し見るべし上海にて李鴻章トリク
ウの談判止に頻りなるの際よりして佛國政府は盛んに海陸の援軍を安南に派遣し當時既に
陸には將軍ブーエあり海には水師提督メーエルあり海軍は東京海上を巡邏して支那と安南
との聲息を絶ち陸軍は東京の諸城に據守して援軍の來着を待ち小戰爭の外は未た大に交戰
略取の謀を爲さず嚴然戰爭の用意あるを又見よ佛國政府は更に水師提督クルベを東京征師
の大總督に任し新に東京艦隊なるものを編成してこれを同總督の麾下に属せしめ總督は既
に本國を發して今正に其途に在り而して當時東京海に在るメーエル氏引率の艦隊は更に轉
して支那海其他を巡邏してクルベ氏の新艦隊と相應援する筈なりと云へるを或は又佛國政
府は其殖民地太平洋ニウカレドニヤ諸島の大守に其地の兵師を東京に派遣すべしと命した
りと云ひ又佛國軍艦某々號は東京に向ひ本國を發したりとの電報到來の際に當り七月十一
日倫敦發の電報に依れば佛國外務卿は同國下院に於て安南王チウダツクは佛國の公敵なり
唯戰はんのみと公言したりとあるを見れば佛國政府は安南全國を敵として開戰することに
决し其準備既に整頓したる者と知るべきなり然るに安南兵も五月十九日大捷の後は軍勢决
して微弱ならす本月四日の夜には遂に海防港にまで推寄せ來り一時間餘市中を砲?したり
と云へり斯る事の次第なれば佛國安南の間に近日大戰爭ありて遂に安南の社稷を絶つが如
き出來事あるへしと豫期せらるゝなり
以上は安南事件の現?なり佛安両國兵を交へば安南の土地人民は忽ち佛國人の所有に歸す
べきや疑を容れず淸國にして若し安南を爭ふの决意あらんか先つ理を以て佛國に説かざる
べからず然れとも佛國は决て其耳を淸國に假す者に非ず今や既に兵力を以て安南を掠奪す
ることに着手したり此塲合に至れば淸國たらん者は唯兵力を以て其理を推前するの外に何
等の方便もあるべからざるなり然るに何の思ふ所ありてか緩慢なる談判に日を曠くするの
後諸事未决の儘に北京に退き其?貌或は初めより安南を知らざる者の如く然り其意に思へ
らく中國未た安南を放棄したることを明言せず佛國にして恣に其土地を侵畧することあら
んには是即ち人の國を奪ふ不義の擧たり中國は何時にてもこれに向て言を爲すことを得べ
しと然れとも何ぞ知らん佛國一たひ安南を併呑の上は再ひこれを還附するか如き迂濶無欲
の者ならざることを然らば則ち談判中途にして李鴻章が北歸したるの一事は未た淸佛?國
の和戰を决すべきものにあらずと雖とも此上悠々不斷にして數月を經過するときは安南を
放棄して佛國の自由に任したるものと同一の成跡あらんこと疑を容れさるなり