「世態論時事新報に呈す」
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時事新報に掲載された「世態論時事新報に呈す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
福澤先生が初めて「學問のすゝめ」を草したる頃は、王政復古の大業正に成るの時にして、社會の百事或は眞
實に古に復らんとするの勢なきに非ず。政祭は一途に出づ可しと云ふ者あり、夷狄は近づく可らずと云ふ者あり、
天下の輿論、漢儒の古流に非ざれば皇學の再興、( 皇學の皇の字も此時代の製作ならん歟、余輩は當時初めて之を
耳にしたり。)國民一般は依然たる封建の民にして、政府の新陳變革したることさへ辨へざる程の有樣にして、當
時或は西洋の主義を悅ぶ學者士君子なきにも非ざる可しと雖ども、全國一般の氣風は恐る可きものにして、一人
の頭角を現はして西洋文明の主義を公言する者なし。社會の有樣を見れば、法律も未だ確定するに至らず、政權
と人權との區別さへ分明ならず。裁判の權は地方官の專にする所にして、舊時の町奉行代官に等しければ、代言
人の用もなく、世間又代言の名をも知らず。世に新聞紙なきに非ざれども、日常の雜記にして、今の諸新聞紙の
雜報の極めて不完全なるものに過ぎず。洋學者の如きは固より政府に容れられず、偶ま容れられて或は官に就く
者あれば、其者は唯橫文を解するの技藝を以て他に使驅せらるゝの用あるのみ。啻に官に容れられざるのみなら
ず、學者にして少しく西洋文明の主義に基て論を立る者あれば、忽ち輿論の攻擊を蒙り、罵詈叱咤、其喧しきに
堪へず。例へば福澤先生が「學問のすゝめ」を草したるが爲に諸新聞紙の攻擊を蒙りたるは、今日の時事新報が
朝野新聞記者の爲に叱咤せらるゝと同樣にして、世間一人として先生の説を贊成する者なかりしは、記者にもよ
く記臆する所ならん。
然るに社會開進の風潮は之を留めて駐む可らず。民權自由の主義丈けは漸く世間に行はれ、暇令ひ或は眞に之
を解する者少なしと云ふも、苟も之を唱へて大に拒む者なきに至りしは、我日本社會の一大進歩と云ふ可し。然
りと雖ども、凡そ事物の一方に熱するときは他の一方を忘るゝの憂なきを得ず。故に民權論も至極緊要なりと雖
ども、餘り之に熱して國權を忘却するの弊はなきや、或は其民權論者も數の次第に增加するに從て、眞の主義を
誤る者はなきや、僅なる内々の小利害に齷齪して、外に對する全國の大利害を看過することはなきや、去り迚は
國民最上の目的たる國權擴張の主義に戻るものなり、斯る迂闊の事ある可らず云々とは、時事新報の殊に深切に
論ずる所にして、余に於て固より異議なきのみならず、世間の識者は必ず余が所見と違ふことなかる可しと信ず。
況や朝野新聞記者の如き、今日は既に已に活眼を開きたる筈なり。決して否説を云ふ可きに非ざれども、前日は
唯匆々に人の文を讀み、一時の熱心、勃として憤りたることならん。固より私心に非ざれば其情は甚だ嘉みす可
しと雖ども、天下の事は至大至重なり。熱心の熱中、又時として靜に思考し、以て今後十年の謀を爲んこと、余
が餘所なからにも祈望する所なり。以上開陳する所の旨は、明治十四年福澤先生著「時事小言」の緒言にも記し
たるものあり。世間既に之を讀みたる人も多からんと雖ども、尚參考の爲に之を左に記す。
( 前略)蓋し時に居て時を語るは政事家の事にして學者の本分に非ず。余は政事家に非ず。時事に迂なり。
迂にして語るは自から取らざる所なれども、抑も亦止むを得ざるものあり。維新の初に當て其革命を王政復
古と稱し、天下の人皆其復古の文字を讀て其義を解する者少なく、復古とは鎌倉以前王代の古政に復するこ
とと想像したりしにや、大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、啻に政機當局の人の
みならず、世の耳目たる可き學者論客に至るまでも、其流行に流されて嘗て自已の主義を唱る者なく、輿論
の風に吹かれて名利の海に浮沈し、民權等の談に至ては擧世一人として之に耳を傾る者あらざりき。記者に
於ては聊か不平なきを得ず。大義名分以下の事は固より大切なるものなれども、其一方に思想を委ねて目的
を定め、却て民權護國の何物たるを忘れたらば遂には其目的をも誤るに至る可しと思ひ、是に於てか西洋の
書を飜譯し、又其書の主義に從て新に書を著はし、以て斯民をして政治の思想を抱かしめんことを勤めたれ
ども、之に應ずる者誠に寥々たり。思ふに此時に當ては天下の人も亦記者に對して不平なりしことならん。
當時記者は誠に望洋の歎を爲し、迚も我主義に應ずる者はなきことと、或は一度は覺悟したる程の次第な
りしかども、國歩の進捗は亦意外のものにて、日新敎育の影響、近年に至ては民權の議論漸く盛にして、殆
ど普通の常談たるが如し。今日其學者論客を見るに、數年間に少年の成長して大人たる者なり、前年の輿論
を脱して今の新主義に移りたる者なり。恰も一人にして二生あるが如し。誠に愛す可し誠に祝す可しと雖ど
も、本書第二編に云へる如く、新に衣を製したる者は頻りに之を着て其敞るゝを知らず、初て馬を飼ふたる
者は漫に之に乘て其疲るゝを忘るの事實に違はず、此輩が興に乘じて頻りに民權論を唱へて却て大に忘るゝ
所のものあるは、記者に於て再び不平なきを得ず。卽ち其忘るゝ所のものとは何ぞや。國権の議論、是なり。
記者は固より民權の敵に非ず、其大に欲する所なれども、民權の伸暢は唯國會開設の一擧にして足る可し。
而して方今の時勢これを開くことも亦難きに非ず。假令ひ難きも開かざる可らざるの理由あり。然りと雖ど
も國會の一擧以て民權の伸暢を企望し、果して之を伸暢し得るに至て、其これを伸暢する國柄は如何なるも
のにして滿足す可きや。民權伸暢するを得たり、甚だ愉快にして安堵したらんと雖ども、外面より國権を壓
制するものあり、甚だ愉快ならず。俚話に、青螺が殻中に牧縮して愉快安堵なりと思ひ、其安心の最中に忽
ち殻外の喧嘩異常なるを聞き、竊に頭を伸ばして四方を窺へば、豈計らんや身は既に其殻と共に魚市の俎上
に在りと云ふことあり。國は人民の殻なり。其維持保護を忘却して可ならんや。近時の文明、世界の喧嘩、
誠に異常なり。或は青螺の禍なきを期す可らず。此禍の憂ふ可きもの多くして之を憂る人の少なきは、記者
に於て再び不平なきを得ざるなり。唯如何せん、今日は是れ民權論一偏の世の中なれば、世論或は却て記者
に對して不平なるものもあらんと雖とも、今後十年を期し、其論者が心事を改めて今日の記者と主義を同ふ
するの日を待つのみ。云々。 〔七月三十日〕