「蟄居主義を廢すべし」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「蟄居主義を廢すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

蟄居主義を廢すべし

人誰か其記事を愛せざらん人誰か其郷里を慕はざらん之を愛し之を慕ふは所謂人情のみ又

他より左右し得べきものにあらざるなり而して此性情漸く進んて其郡其區其縣其府に及ぼ

し遂に其一國を念ふの念即ち所謂愛國心なる者を生するに至るものなれば墳墓の地を愛慕

するの土着精神は實に國家存立の基礎と云ふべきものにして人民たるものは一日たりとも

之を忘却すべからざるなり然れとも其心常に故國を思ふの切なるより其身亦た唯區々たる

一小域内に止まりて廣く社會に縱遊橫行するの勇なく空しく一郷の小天地に俯仰局促する

が如きことあれば啻だに其人一個の不利なるのみならず社會交通の爲め即ち文明の爲め其

進?を妨ぐる實に鮮少にあらざるなり郷里を愛慕するの精神は我輩甚だ之を稱賛すと雖と

も壯年有爲の男子にして徒らに父母の膝下に蠖屈し洋々たる社會の大波に遊泳するの勇な

きが如きは我輩の頗る同意を表する能はざる所なり我輩は我邦人の勉めて此勇を養成せん

ことを希望するものなり

交通即ち文明なりとは天下の定論にして文明の人たらんものは勉めて交通の利器を利用せ

ざるべからずとは我輩の飽くまで主唱する所なり而して此利器を利用するは必ずしも郵便

電信等文字書簡の徃復にのみ限るにあらず其身亦た東西に奔走し南北に駈廻りて遠く相徃

來交通するに非ざれば眞に文明の利器を利用したるものと云ふべからざるなり今や我國銕

道の敷設殆んど皆無に等しく?船の徃來亦甚た不足なりと雖とも概してこれを云へば國内

交通の便利なる又昔日の此にあらず行くに〓車あり歸るに〓車あり海路の旅行に〓〓は更

に便利を〓〓るが如く内海の〓〓大概の?船日々相徃來せざるなし斯かる事の有樣に達し

たる今日なれば各地諸方の人々は勉めて其郷里にのみ土着せず縱遊橫行の習慣を養はざる

べからず斯くてこそ眞に文明の人たるに愧ざる者と云ふべきなれとも今日我邦人の動止を

見るに尚ほ封建時代群雄割據し封土相分かるる時の如く兎角に郷里を去て他域に旅行する

を以て甚だ容易ならざることと思考し居るが如し例へば書生が笈を負ふて東京に遊學する

も其心中常に東京を以て頗る遠隔の土地なりと思ひ涙を拭て父母に告別すれば父母も亦た

其子の旅行を見て恰かも死地に赴むかしむるの思をなし殆んど再會も覺束なからんと諦ら

め居るもの滔々皆な然り或は人の他所に旅行するものあるときは其友人知己相謀つて爲め

に送別の宴會を張り以て餞贐の意を表することあり是れ固より朋友親愛の厚情に出たるも

のにして甚た嘉みすべしと雖とも今日は是れ殆んど四通五達の世界にして?船車一蹴忽ち

其行かんと欲する所に行くを得べきの時節なり去れば一たび其地を去て他所に旅行するこ

とあるも互ひに相遇ふことの易き又昔日の此にあらず日本國内両端の土地に相住するも尚

且旬日を費さずして互に膝を接し談話するを得べし况んや一山一水を隔つるの近地方をや

决して相別かるゝと云ふ程の大道なる事にはあらざるなり親子の情の切なる朋友の交の厚

き固より間然する所なしと雖とも此情のため交のために世人の腦裏に旅行を恐怖嫌忌する

の妄念を生せしめ冥々の間日本文明の進路に大障碍を置くの實あるが如きは我輩が常に慨

歎する所なり社會は一般知識の度を平等にし都鄙の別を以て人智の發達に高低の差あらし

むべからず仮令ひ全く差なきに至らしめ得ざるも漸く此点に達せしむるの方便を取らざる

べからす然るに今日我國都鄙の有樣を對比するに其文化發達の度殆んと同日を以て論すべ

からざるものあり是れ其間の交通尚ほ甚だ盛んならざるに依るものなるが故に今日の急務

は多々益徃來を頻繁にし舊來の蟄居主義を廢して大に天下に飛揚するの勇氣を養ひ身輕に

旅裝して縱橫遠近に出遊するの習慣を成さゞるべからざる筈なるに我日本國人は尚ほ封建

の殘夢に酔ふて因循其生土に蠖屈し以て安全無事の思をなすは我輩の甚だ遺憾に堪えざる

所なり

日本國内各地の小天地に固着して郷關外に出遊するを厭ひ以て一生を終る者滔々皆な然か

りとは前節已に述ぶる所の如し今此意を擴めて廣く我日本國人が外國に渡航するの有樣如

何を考ふるに又我輩をして甚だ遺憾に堪へざらしむるものあり盖し今日は是れ外交の世界

にして我日本國も一たび万國と交を結びたる上は政治商賣農工學術全然其面目を一新して

又昔日の〓を存すべきにあらず〓れば政府が外交官を派出すると〓〓に〓〓〓〓〓〓〓〓

舊風に慣れて盛に外國に渡航するの勇なく徒らに故園に戀々として遠く海外に遊ぶの志望

に乏きは我輩の甚だ殘念に思う所なり今統計年鑑に依て明治十三年度我國人が海外に旅行

したる事由を記載したる一表を見るに(公用)三百七人(留學)四十二人(商用)四百九

十八人(要用)三百七十三人(職工及奴婢)二百六十六人(漁業)二十四人之れなり今此

表に就て見れば商用の爲めに外行したる者最も其多きを占むると雖とも公用を帶て渡航し

たる者は實に三百七人の多きありて日本國中の商人數百万の中より僅かに四百九十八人を

出だしたるに比すれば其割合甚だ多しと云ふべし去れば我國人が外國に渡航するは概ね官

用の爲めにして其私に志を抱て斷然海外に乘り出す者尚ほ甚た寥々たりと云はざるを得ず

去迚は四通五達の世界に在りて已に廣く交を万國に通じたる日本國人には甚だ不似合なる

次第にあらずや我日本には有爲の志士に乏しからざるなり然るに此志士にして其志に似合

はしき所業を爲す者の少なきは何ぞや唯舊來の蟄居主義に慣れて未だ大に其志を立つるの

法を求めざるのみ