「文明の進路を遮ることなかれ」
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本文
文明の進路を遮ることなかれ
米國の使節水師提督ペルリが我日本に渡來し時の政府德川幕府に迫りて外國貿易を承諾せ
しめたるは嘉永六年の事にして今を距る三十年の昔に在り爾來我日本の民情は漸く變化し
て漸く其?を速め明治維新廢藩置縣の大變化と爲りてより以來は沛然との水の方に至るの
勢を成し遂に今月今日の天地を現出するに至りたり今日より顧みて昔を見るに嘉永六年以
前の日本と以後の日本とは全く別天地の觀ありて些との相似寄りたる俤だにもなき有樣な
り然るに此内國の變化と同時に全世界の文明は嘉永六年以來長足の進?を爲し月に日に新
にして又新ならざるはなし例へば天下の名城に羽翼を附し自在に世界を橫行するものと稱
する彼の甲銕軍艦の如き嘉永六年には全世界中に一隻もなかりし、支那日本を始め東洋諸
國と歐洲との徃來航路を二三乃至五分の一に?し東西洋交通の有樣を俄然一新したるスヱ
スの堀割は嘉永六年には尚ほ未た世にあらさりし、嘉永六年には日本に在て歐米諸國の知
人と通信すべき電信線の接續なかりし、嘉永六年には二週間前後の日を費して日本より米
國に達することを得る快駛の郵船なかりし、嘉永六年には米國の大陸を東西に横斷して交
通上に大便益を興るの銕道なかりし、其他傳話機の如き電氣燈の如き三十年も前になくし
て今日世界文明の大機關とし 現出しあるものを計ふれば實に枚擧に遑あらざるなり世界
文明の進?實に斯の如く甚た迅速なり故に我日本が此三十年の間孜孜として文明の?を追
ひ一日の懈怠なかりしと雖とも試に眼を放ちて自國の外を見れば曩きに喜びし所の嘉永以
後の變化も尚ほ其甚た淺小なるを憾むるの情なきにあらず我輩は此三十年間我日本の文明
を進むるがために艱難辛苦を顧みざりし諸老先生に對して常に其勞を謝するのみならず其
恩を感することの深き實に蒼海も啻ならずと雖とも我輩又諸老先生の擧動を見て心竊に樂
まざる所なきにあらず嘉永以來社會の局面に當りて日本國民の幸福を推前し來りたる諸老
輩の人々を見るに何れも皆文政天保弘化年間の人にして十分に嘉永新紀元以前の空氣を呼
吸し居る者なるが故に紀元以後文明の諸事物を採用するに當て幾分か踟躇する所なきにあ
らず既にこれを採用することに决して又これを廢せんことを希ひ施行中途にして忽ち又其
利害如何を疑ひ自から其種を播して其苗の發育を忌み急なるべきを緩にし緩なるべきを急
にし憂ふべきを喜び喜ぶべきを憂へ無用の勞作に其心身莫大の力を消費するの跡なきにあ
らずために日本全國の大計上に蒙る所の損害は實に計量すべからざるものたるや甚た明な
り然れとも諸先生輩の心事を察するに决して日本に不利ならんとの意ありて斯の如く不完
全なる擧動あるにあらず一心唯日本の大計に注目し常に最上適當の處置なりと信するもの
を施して尚ほ未た安心すること能はざるに相違なく一身の〓義上に於ては毫も咎むべきも
のなかるべしと雖とも如何せん一國の大〓上に於ては人の〓不〓を見て其〓〓を判すべき
ものならず仮令〓人君子の行ふ所と雖とも其の〓して國のために不利ならんには氣の毒な
がらこれを罪せざるを得ず實際の公益上には私情の如何を問ふに遑あらざればなり又諸老
先生輩が擧動の不完全なるは其害單に當面直接の事物にのみ波及して止まるものにあらず
一家の父兄一國の長老として正に社會の局に當る者なれば其言行擧止一として子弟弱輩の
摸範たらざるものなく遂に一國一時の氣風を養成して容易に回轉すべからず大豪傑の士出
ると雖とも頓にこれを如何ともすること能はざることあるべし故に諸老先生にして一?を
誤るときは其間接の弊害は廣く一國の全面に波及しこれを救醫すること甚た困難なり今の
日本全國の氣風を察するに其政治學藝農工商業に關するを論せず少壯有爲の士にして文明
の旅行に漸く疲倦の色を顯はし自から老成退守の風を裝ひて小天地内の起居に滿足するも
のゝ如く然り而して顧みて現時日本文明の程度如何を察すれば其淺薄微弱なるこれを歐米
諸國に比して尚ほ幾等の下に位するなり内政改良せざるべからず國權擴張せざるべからず
農を勵まし工を獎め國の富源を深くせざるべからず銕道を敷き船舶を造り運輸交通の道を
開かざるべからず外國貿易を盛大にし富を得るの術を求めざるべからず歐米の學藝を輸入
して全國に普及せしめ旁ら古學の弊を矯めざるべからず海陸の兵備を嚴にして人の家國を
窺ふの盗賊に備へざるべからず此等は皆今の日本國の燃眉の急務なりと稱して不可なかる
べし然るに此等の急務の目前に遮るものあるをも顧みず名を老成若實に假りて無事平穩を
希ひ文明の旅行に一?を退くるも一?を進めじとの决心あるが如きは我輩の甚だ感服せざ
る所なり是れ將た誰が過ちづや少壯有爲の士の不埒は固より論するまでもなし 雖とも畢
竟するに嘉永新紀元以來今日に至るまで我社會の局に當る諸老先生輩が舊に泥みて新を喜
ひず徒らに文明の進路を遮斷して國のために其計を得たるものとするの致す所なるべし我
輩は諸老先生のために深くこれを惜むなり