「外國巡察使を派出すべし」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「外國巡察使を派出すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

外國巡察使を派出すべし

參事元老兩院の議官其他政府長上の官吏が民情視察のため巡視巡察使として數月來内國各

地を巡回してありしが大抵は既に歸京復命したる趣なり各地よりの報道に依れば此巡察使

いが各縣内を巡回したるがため各地の施政上に直接間接の利益を與へ又改良を加へたるこ

と决して少小ならず地方人民中には巡察使の來るに遇て積年の鬱屈を慰したる者も必らず

ありたるならんと云へり是等は巡察使の巡回に依て地方人民の蒙りたる直接の利益とも云

ふべきものにして隨分に廣大なるものなれども巡察使の功能は此等のみにしてい盡るにあ

らず中央政府は此巡察使を以て耳目と爲し全國の民情に付政治論の實况に付農工商業の盛

衰興廢に付道路運輸の便否に付學問敎育の方向等に付其未だ聞かざる所を聞き未だ見ざる

所を見、此の如くなりと信し置きたるもの却て彼の如く、彼の如くならんと想像したるも

の却て此の如くなるを知り或は驚き或は悔ひ或は憂へ或は安心し或は悟る所ありて大に奮

起することを得べきや必然なれば其利益實に甚だ大なるべし左すれば中央政府が巡察使を

派遣するは此一回にして止まず今後必ず毎年これを全國に派遣して耳目を聰明ならしめ施

政の方針を定むるの大用に供すべきや疑を容れざるなり

中央政府が内國の事情に關して其耳目を聰明にするは我輩の甚だ希望する所にして一日も

これを忽せにせざることを欲するなりと雖ども我輩は此希望と同時に其聰と明とをして今

少し遠大廣濶ならしめ世界万國の事情に關しても决して聲盲の如く然ることなからんこと

を希望するなり抑も我日本が今日の日本たるを得る所以のもの並に今日以後の日本が今日

以後の日本たるを得べき所以のものも决して德川幕府二百五十年間の國情の如く古きを貴

びて新しきを厭ひ文恬武煕孔孟の古學を空談して彈丸の小天地に蟄居安坐するがためなら

ず全くは早く文明の進路に就て世界に一歩を讓らんと决心し鋭意能く其目的を達すること

あるを以てのみ若し果して幕府の舊例に因襲し内に安じて外を顧みず自から天下の樂國と

稱して獨り高臥することありたらんには我日本國人は今月今日の此日本を見ること盖し六

ケ敷かるべし故に此上尚ほ當代日新の文明を知りて其採用を怠らず世界各國の事情に通し

てこれに應するの道を求むるは日本の日本たるを得る所以の最要務たるへし

今の日本を取てこれを三十年前の日本に比較し前後文明の進否如何を言へば今の文明の高

度なる固より論を俟たず此文明は西洋の書を讀み西洋の人に接し或は自ら西洋に航して親

しく其有樣を實見し漸くこれを促かしたるものにして其速力は明治維新の後に至り俄然其

速きを加へたるものとす是則ち維新以後西洋を知るの便利は其以前の如き不充分なるもの

にあらざるが故のみ然るに凡そ知識を得るに書を讀てこれを知り人に遇てこれを聞きたる

塲合に於ては其心に感すること甚だ冷淡にして永く其痕を留むること難しと雖ども一たび

其實物を目撃してこれを知りたる塲合に於ては其心に感することの深切なる書に讀み人に

聞きたる折の比例にあらず是元と人情の然らしむる所にして所謂百聞一見に如かずとの諺

ある所以ならん故に日本の文明を促かすに當て其力の及ぶ所最も廣濶なるものは讀書なり

と雖も其深切活溌なるものに至ては洋行實見の右に出るものなし例へば明治六年全權大使

の一行が歐米諸國の回覽を終りて歸着以來全國の人心が文明の風潮を追ふに俄に急速を貪

るの状を呈したるが如きは其最も著名なるものと云ふべきなり

前條の次第なるが故に今我日本國人をして當代文明の貴重なる所以を知らしめこれを採用

するに日も亦足らざるの想あらしめんとするには自から歐米諸國に渡航し親しく其實際を

目撃せしむるを以て甚た肝要なりとす然るに野に在て私業に從事するの人々は營業上の都

合に由り内國を去ること能はざる者多く或は隨分外國行を爲して差支なき人ながら旅行の

費用に當惑して止むを得ず内國に留まる者に至りては更に又多數なるが故に目下在野の人

にして歐米諸國に旅行する者其數尚ほ甚た僅小なり隨て四海の外文明諸國の事情に疎く一

身の損益より一國の大計に至るまで爲めに蒙る所の損失决して少小ならざるなり盖し私の

事は俄に強ふべからずとして漸くに其正に就くの道を求めて可なるべしと雖ども一國の公

務に任する政府の如きは决して然らざるべし苟も世界の文明に後れず獨立國たるの体面を

辱かしむることなからんとするには大に其耳目を聰明にし飽くまで世界の事情に通曉して

これに應するの善國を爲さゞるべからず否ざれば自家半歳睡眠の間に世界の形勢は一變し

或は再三變し長足に進行して吾を待たず一朝惰眠を破攪せられて卒爾に其怠慢を恨悔する

も遂に其罪を贖ふの方便を得ざることあるべし故に政府が内國の事情を知らんとするに當

り坐して地方より報告の到るを待たず自から進て全國を巡察し以て現時未來の施政の方針

を定むるの計を爲すは能く其義務を盡すものと云はざるを得ず左すれば又其耳目の總明を

一層遠大にし海外諸國に巡察使を派出して其事情に通曉し以て日本全國の幸福を增進する

の計を爲すも亦其義務なりと云を不可なかるべし依て我輩は日本政府に向て大に外國巡察

使を派遣せんことを勸告するものなり