「支那の兩政党」
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本文
支那の兩政党
支那は世界に有名の大國なり土地の面積は大數五百三十万方英里にしてこれに住する人民
は四億一千万人と稱すこれを我日本に比較するに土地の廣きこと三十四倍人民の多きこと
十一倍なり斯の如き大國なるが故に其一擧一動皆世界の大運に關係せざるはなし支那にし
て頑陋古に泥み今を喜びざらんとするか全地球三分一の人類は遂に文明の德澤に浴するこ
と能はざるべく支那にして大に奮激勇進する所あらんとするか東洋の文明は一蹴して異常
の高度に進み欧米諸國と其鋒を爭ふこと難からざるべし支那政府の擧動は實に其影響を世
界に及ぼすものにして就中我日本の如きは先づ其力に感動するの地位に在るものと云ふべ
きなり
支那當代の光緒帝は幼冲にして未た大政を親からせず西太后垂〓聽政して万機を决せり大
臣中に二派あり一を今帝の生父醇親王?に老將左宗棠等の党として一を恭親王?に李鴻章
等の党とす醇左の党は上下共に守舊頑迷の人より成立し宇内の大勢に通せず文明の何物た
るを知らず中華の外に天地あることを信せざる如き有樣なり恭李の党はこれに反し早く世
界の氣運に注目し文明の慕ふべきを知り漸く全國の改進を促かさんとするの意ありて只管
外國の事に注念するの人々なり今李左二氏に就てこれを論すれば左宗棠は廉直方正の譽あ
りて頗る武人の心を獲たりと雖とも其器甚た狹隘にして大國の政機に當る可き人にあらず
例へば先年伊犁地方に於て北隣の魯國に對して其兵威を墜さず遂に支那帝國のため伊犁一
帶の地を回復したるの戰功に慣れて忽ち外國を輕侮するの念慮を強くし朝鮮安南の属邦論
の如き日本佛國を敵視するが如き斷然兵力を以て敵国を感服することの極めて容易にして
永久の得策たることを論して憚る所なきなり而して一方の李鴻章は英邁宏才を以て世に稱
せらるゝと雖とも其性傲慢にして常に人の毀を免かれず德望のみに就て論するときは左氏
に一着を讓らざるを得ずと雖とも其党中名士に富むを以て智力競爭の戰塲に立ちては支那
全國中これ〓鋒を爭ふ者なし李氏は〓節を以て自から〓る者にして左氏の〓〓〓何〓に興
せず事を外國と和熟して内國の平穩を謀らんとし安南を獨立せしめて佛國と直接の關係を
免かれ朝鮮を獨立せしめて東方の藩?たらしめんとし只管中華本部の土地人民をして直ち
に外國の刺激に當ることなからしめんとの説なるが故に今回安南事件に付佛國使臣との談
判に於ても兎角平穩無事を專一としたりしなり
然るに又恭親王は其以前權勢久しく赫々たりしにも拘はらず近来は其名聲漸く桑楡に屬し
醇親王が旭日の勢力に對して益々其光を失ふの趣あり殊に去年軍機大臣王文韶が贓罪一條
の關係に因て病と稱して數月家に在りし以來は物論頗る喧しくして其地位に安んすること
を得ず是より勢力頓に挫折して急に回復の望なき有樣となりたり故に恭李の黨は智謀に富
み名士に乏しからず内外の形勢を審かにして國のために慮ること深切なるにも拘はらず政
府の權力は全く醇左の黨に傾向するの今日に際し微弱なる改進論は守舊論の鋭鋒に當るこ
と能はず左れば李鴻章が上海にて佛國使臣と談判の際突然北歸して天津に抵りし儘進て北
京に入て親しく復命するにも及はず直ちに職を罷めて郷里に歸らんことを請ふの塲合に至
りたるも畢竟は李氏の説北京政府の容るゝ所とならず空しく不快の地位に佇立するの趣あ
るよりして然ることとはなりたるなり
抑も李氏は早く文明の採用を着手し西洋の兵制に倣て部下の兵を練り軍艦を購ひ海軍を起
し兵器局造船所を設け?船會社を創立する等支那全國人に率先して漸く一般の開明を促さ
んことに熱心せり故に海軍なり招商局なり李氏の登用したる人物は支那上流の開國家にし
て大抵南部諸省の人ならざるはなし而して又南部諸省中に就き廣東省は支那文明の本源と
稱する丈けありて李氏の部下には廣東人を見ること最も多きなり又李氏は長髪賊〓減の功
を以て其名を顯はしたるにも拘はらず常に其殘黨を慰撫し其志士を厚遇し官途の好地位を
授けたる向も少なからず故に此黨の今尚ほ多少の勢力を有しながら敢て騒乱を企るにも至
らざるものは全く李氏が待遇の宜しきを得たるがためなりと云へり斯の如き事情なるが故
に一旦李氏にして北京政府の擯斥する所と爲り其待遇無?を極むることあらんには李氏も
亦堪忍の紐を解くことなしとも云ふべからず事の勢果して爰に至れば在廷の執權者醇左の
黨は是より自家頑迷の慾を恣にし大に外國と難を搆へて中國の威光を耀かさんとするの前
に先つ内國の騒乱を鎮〓するの大事を引受けざるべからず支那も亦甚た困難なりと云ふべ
きなり
以上は我輩が或る支那事情に通曉するの人より聞き得たる所なり我輩固より其事實に違ふ
ことなきや否を保証する能はずと雖とも我輩が前節に言へる如く支那の一擧一動は其影響
甚だ廣大にして就中我日本國は直ちに其力に感動するの地位に立つものなるが故に我國人
の參考として取敢へず聞くが儘を記すること爾り