「支那は能く爲すことなきなり」
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時事新報に掲載された「支那は能く爲すことなきなり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
佛國の遠征軍は遂に安南の國都順化府を占取したり我輩が數日前より時事新報紙上に於て報道する如く横濱の「エコ、ヂユ、ヂヤポン」新聞は八月廿九日の紙上に佛國水師提督「クルベ」氏は艦隊を率て順化府河口の防守を破り兵員を上陸して府城を攻撃し遂にこれを占取したるよし昨夜東京の其筋へ電報到來したりと記し又八月廿七日倫敦よりの電報には「テンプ新聞(巴里刊行)は其紙上に安南國王は佛國使節に降服したりと公言せりとあり又佛國が安南を保護するの仕組は既に確定したりともあるのみならず一昨朝の「エコ、ヂユ、ヂヤポン」新聞には今回佛國が順化府占取の後使節「ハーマン」氏と安南の全權大臣と締約したる條約書の大意(本日の雜報欄内に譯出す)を記し是は在上海の佛國行使「トリクー」氏よりの電報なりとあるを見る以上は今回佛兵が安南の國都を占取し同時に佛國が安南に對し十分の保護權を握るべき條約を結びたるは相違もなき事にして其時日は未だ判然せざれども八月の下旬なるへしと察せらるゝなり佛兵は既に東京地方に占據し今ま又安南國王の在る所順化府を領取し同時に安南全國を擧げて佛國の保護國とするの條約を結びたり是よりして佛國人は柴棍、順化府、東京地方と南北脉絡を相通し次第に内地諸般の障碍を除去し其名義は保護國にもせよ屬邦にもせよ其實際は安南全國を擧けて佛蘭西共和國の一殖民地と爲すは其日必ず近きに在るべし
安南の現状既に斯の如し彼の清國は如何したるや清國が安南を屬邦視するは一日の事にあらず又佛國の擧動を恠しみ其封豕長蛇の慾て遏めんと欲して北京に巴里に佛廷及び其使臣と論辧難詰すること既に甚だ久し殊に本年五六月の頃は清國の擧動頓に活〓を加へ急に李鴻章を起して上海に抵らしめ安南保護のため南方の軍事を督すと宣言して軍艦を艤し陸兵を点呼するなど其状体の容易ならざる觀る者をして佛國のために憂慮せしめ無謀の輕擧遂に東洋の最強國に敵對するの困難に陥りたり佛國人が多年養成したる安南畧取の政畧は到底成功の見込なかるべしなど云はしめたり然るに佛國は清國の恐嚇に畏怖せず一意安南策略を推前して他を顧みず其擧動傍若無人なるにも拘はらず清國は折角張り詰めし勇氣も何れへか逃け失せ今は李氏が上海に滞在するさへ手持無沙汰なる時宜となり梶X天津に北歸したる後は野分の跡の秋の夜の如く四面闃として一聲を聞かす支那全國の人は安南論に關して爾來健忘の病に罹り永久平癒の期なきものゝ如き状態なり今や安南の國都は佛兵の占取する所となり安南國王は佛軍に降りたり此報知未だ以て清軍を起して南下せしむるに足らずとせば清國は終に安南を爭ふの意なきものと斷定せざるを得ず左すれば曩きに軍艦を艤し兵員を召呼し理以て敵を服するに足らざれば力以てこれを壓すべしとの決意を示したるものも今にしてこれを考れば皆是れ例の支那流の〓喝にして電撃のなき雷鳴一般なりしこと甚た明白なり支那は四年前魯國と伊梨の爭論ありし頃よりして俄に海陸軍備の擴張に從事し士官を歐洲より聘して陸兵を訓練し城壘を修め大小砲を購入し新に數十の軍艦を求むるなど日夜孜々として倦むことを知らざりし殊に昨年七月朝鮮漢城の變の如き當時李鴻章の不在にも拘はらず天津の總督は咄嗟に軍艦十隻陸兵三千を朝鮮に派遣し直ちに王城を據守して號令する所ありしなど其所置の理に適すると否らざるとは姑らくこれを舎き其豪大活〓の氣象に至りては天下を擧けてこれを感賞せざる者なく或は多數の中には氣を奪はれ瞻を寒したる人のなきにしもあらざる程の有樣なりし爾來世人は支那人を評して今昔を同一視すべからず其活〓勇敢に加ふるに海陸の兵〓を以てす支那は侮るべからざるなりと云ふ大に敬畏の意を表したりしが今にして又これを考れば世人も亦例の通り支那の老儒輩のために一着騙瞞し去られたるのみこれに由てこれを觀るに到底支那は能く爲すことある者にあらざるなり支那の能く爲すことある者にあらざるは今回安南事件に關し清佛談判中の一小事を見てもこれを斷するに餘あり過日來時事新報に記載したる巴里駐在の支那公使曾紀澤と佛國政府外務大臣との徃復書を一覽すべし安南は支那の屬邦なり否獨立國なりと爭論辧難する其談判に佛國外務大臣より千八百八十年九月廿七日に贈りたる書翰に對し曾公使は其翌年九月廿四日に返書を寄せて支那の權〓を爭ひたり即ち一通の書翰を裁するに一年の日月を費したるなり仮令此事に關し本國政府に稟議する所ありたるにもせよ支那と佛國との間には電信線の連續するあり又〓船の徃來するあり若し電信の意を盡さゞる所ありて文書の徃復を要すとするも三ケ月にして北京政府の返書巴里公使館に到着するを得べし然るに曾公使〓に北京政府は他に何の緊要事ありてか此切迫の談判を爲すに一書一年の日月を費したるや其閑慢を俟たず此一年の長日月中に油斷なく安南策略を推前して早く既に東京の沃土を占有しあらんとは然るを尚ほ天下文明の勢力を悟らず傲然中國を以て自から誇稱し時に〓喝の陳手段を以て四隣を壓服し永く国家の安全を計らんとす思はざるのみ