「清佛交渉の跡を鑒みて感あり」
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本文
清佛交渉の跡を鑒みて感あり
豐濱漁夫稿
清佛交渉の安南紛紜は久しく結んて解けす遠西の強國佛蘭西は遼東の大邦支那と將に兵馬の間に相見んとするや宇内の觀望者は皆刮目して其結局如何に注意して怠らざるなり蓋し佛國は歐洲五大國の一にして西方文明の中心を以て自ら任するものなり又清國は其國民開化の度は遙に佛國の下に在りと雖ども邦土の大と國民の衆とは全世界中に其比を見ず而して其人智は未開にして其軍備は陳陋なりと雖ども土地豪族にして庶民富裕なり如斯の強國と如斯の大國と相戰ふ時は其勝敗の決する所は豫め測る可らず又其勝敗の孰れに在るも東西の大勢に關するは決して僅少に非さるなり就中我日本は一葦水を隔つるの支那にして此交渉あり深く人心を疾ましむるも亦宜ならずや
然るに去月下旬に至り佛軍は東京地方に於て土兵と對壘攻守の傍突然安南の首都順化府を襲撃し王を降し城を領し公然全安南國を擧げて佛蘭西共和國の附庸と爲したり此時世人は〓らく如何に北京政府が因循遅緩なりとてこれをも看過黙諾するの堪忍力はよもなかるべしとて大に注目する所ありたるにも拘はらず其實際北京政府の擧動は全く世人の想像する所に反し一言を其間に挟ます一策を其後に畫せす恬然見さるが如く聞かさるが如し畢竟何の心たるや知る可らざるなり然れども世人は尚ほ幾分の望を北京政府に屬し彼れ或は慮る所なきを必し難しとて只管後報を待つ折抦本月一日二日の兩日清佛兩軍安南に於て交戰し四千の清軍千五百の佛軍のために敗られたりとの報道あるに至りて偖は北京政府も手後れながら聊か抵抗を試るの覺悟あるかと思ひの外此清軍なるものも其實官兵にはあらで無賴の脱走兵黒旗黨樣のものなるが如し左すれは今日に至るまで世人が北京政府を寛恕して彼れ亦無下に因循卑怯ならずとしたるは大に其鑑定を誤りたるの意味あるが如し試に思へ嚮に清國政府の佛國安南政畧を非難せしや李氏を大臣となして佛國の使臣と商議せしめ兵を練り艦を購ひ將を遣はし敵を窺ふ等海陸の軍備を戒飾し世人をして両國の戰機既に熟せりとの感を起さしめたり然るに佛國眞に其押領政畧を實施したる今日に際し清國は一擧手一投足の處分たも施さゞるは其耻辱たる識者を俟て後ちに知らざるなり滿清朝廷人なしと雖ども豈是等瞭然たる利害を辧せざるの理あらんや然れば則ち此耻辱を耻辱とせざるは清國の當局者其人の罪と爲す可き歟曰く決して然らず蓋し勢不可なればなり人皆以爲く清佛既に戰はゞ佛は万里の波濤を越へ懸軍して來れる客兵なり清は土着の兵を以て其國境に戰ふものなり佛國は兵備を急にすと雖ども安南近傍に派遣せる軍艦は十數艘に過ぎず其兵士は五千に足らず清國は常備八十万と稱し精兵は少しと雖ども數万を得るに難からざる可し戰艦多からずと雖ども實用に適するものも亦二十艘に餘る可し且つ佛の本國は諸強國の間に介在して常に其〓に乗せんと欲する者ありて四方を顧慮するあるを免れず清國は邊境の憂ありと雖ども目下焦眉の急に至るものなし是れを以て二國の形勢を考ふるに勢の不可なるは清國にあらずして却て佛國に在るか如し而して其實は正に相反す蓋し國の大小民の衆寡主客の難易兵備の多少國歩の緩急に拘はらず清國に取りて形勢の更に大に不可なるものあり他なし清國は文明の要訣たる自然力を利用するを務めざるの致す所なり
抑當代文明の著るき諸點は其數多しと雖ども自然の勢力を利用して人力に代ふるの大なるを以て最も著るきとするなり今日文明の民は其國強大にして其家快樂なり社會の情况は人心の思想と共に不〓活〓なり志氣極めて旺盛にして企望頗る健大なり然れども其然る所以の原因を探求するに巧みに自然力を利用するに由ること尤も大なり吾輩の所謂自然力とは蒸氣電氣の二力なり今日蒸氣を利用して海陸の便工商の業水戰の備に用ゐること甚だ大にして殆ど測り知る可らず日本と米國は大洋を隔てゝ〓の半球に在るも二週日にして郵船を達す可し北米大陸の廣袤は千里に過くと雖ども一週日を出てずして西岸の人東濱に到る可し東洋より歐洲に至るに海路迂曲すと雖ども三旬を費さず彼我相去る三千里と雖ども日夜聲息を通し往來を自由にす又年々歳々百貨を製造し又之れを運輸するに蒸氣を使用すること極めて多し而して人を役するは其類に比して甚た少し故に小國にして大量の生産あり寡數にして衆多の用を爲す小弱の人民にして大國を服するに足るなり蒸氣の當代文明に恊力する大なりと云ふ可し又近事電氣の用は益々廣くして益々大なり然れども其通信を助くるの効用尤も大なり今日西洋人にて遠く東洋に客遊し又は泰西の強國にして東洋に爲す有らんとせば本國と氣脈を通せざる可らずこれを通ずるや一縷の鉄線あるのみ而して其通信の便は比隣に於るが如し又西洋の人は坐して東洋の情况を聞知す其速かなるは口耳相接して傳ふるが如し故に軍畧商機を計籌するに當り電線の用の大なるこれに比す可きものなし此他水雷火は巍々たる艟艨を破碎し電氣燈は暗夜を變して白晝となす等其利用する所は數ふるに遑あらず故に如斯く功用大なれば之れを用ゐる者は其益を受くる益々大にして之れを用ゐざるものは其便を失ふ益々大なり吾輩嘗て以爲く英佛の強きは英佛人の強きに非ずして蒸氣と電氣の強きなりと又英佛の富は黄白の多きに非ずして蒸氣と電氣とを利用するの器に富むなりと
是故に輓今歐米人の四海に跋扈し陸梁を極むる所以を察するに彼れ皆自然力を使用して人間力を數十百倍ならしめ以て能く寡數の人口を以て多數の種族を壓倒するに由るのみ歐米人の自から誇稱する所を聞くに白人種は獨り他種族に卓絶し心智俊秀にして体力強健なりと其れ然り豈其れ然らんや今日の黄白人種の心智体力を比較するときは或は教育の高下衣食住の精粗等より彼れ優り此れ劣る所なきにしも非ざる可しと雖ども直に以て白人は黄人の上に位する種族なりと斷定するは狼狽の僻見たるを免れず仮りに今日の歐米人が蒸氣電氣の力を假りて使用する万般の機械を奪ひ去りたらば如何今日の英佛は依然として英佛たる可きか吾輩は其然るを信せざるなり若し夫れ各々匹夫の勇を皷し擧を固うし腕を扼して挌闘せば黄人種も蓋し白人種に一歩を讓らざるべし歐米人をして蒸氣電氣無からしめんか牙なき獅子のみ爪なき鷲のみ何そ群獣を恐れしめ衆禽を壓するを得んや却て羊豕燕雀の侮る所とならんとす故に英佛國の強きは英佛人の強きに非ずして自然力の強きなり
顧みて支那の状况を觀るに上下倶に舊套を壘守し文明の何事たるを知らず東西相對立す可らざるを悟らず國權の重ず可きを辧へず又從て内外輕重緩急の形勢を察せず空しく中華中國を以て自ら居り激浪怒波の中に熟睡高臥して危きを知らず思はざるの甚しきなり支那人は概して活〓頴敏ならずと雖ども性忍耐にして苦役に慣る工業に富み通商に熟す且つ至大の沃土と至衆の生民とを有す故に之れに假すに自然力を以てせば其國力の彌猛にして其人心の活動するは期して待つ可きのみ豈獨り歐米と併立すと云ふのみならんや或は彼れを壓倒して四海に雄飛し宇内を睥睨するに至らんとす而して計謀茲に出てざるは何ぞや近隣小邦の爲めには祝す可きに似たれども東洋の大局に於ては慨嘆す可きなり試みに清國をして鐡道を布設して東西南北の邊境に達せしめ道路を開鑿して車馬を通し橋梁を架成して河を越へ港灣堀割を築造して水利を便にし海を煮山を鑄製造を盛にし郵便の法を制し電信を全國に通し沿海に〓船を多くし政府の四方に號令するは人身の四肢に於るが如く人民の之れに應るは響の聲に於るが如くならしめ之れに加ふるに教育を普くし軍備を盛にせば支那の國勢は一變して宇内に敵を求めんと欲するも能く敵對し得る者なきに至らん然れども是等諸般の改良を爲すは大抵蒸氣電氣を使用するに過きざるなり既に英佛の強大は即ち蒸氣電氣の大なるを知れば清國の積弱は即ち使用せる蒸氣電氣の小なるを知る可きなり
然れども四海の風波靜かにして貿易徃來を以て相交通するに止まらしめば東西自然力の強弱大小も隱然の内に其優劣を見る可きのみにして世人の注意を促すに足らず然るに一旦今回の安南紛議の如きありて將に樽俎の間に相見ずして弾丸雨注の下に驅馳せんとするに當りては平素より自然力を使用するに多寡強弱あるの得失は炳焉として掩ふ可らず滿清朝廷は彼我兵備の精疎鋭鈍の差は遙に懸絶して勝敗の決は亦疑ふ可らざるに當り忍んで生血を注き益々國辱を加ふるの不利なるを恐れ逡巡敢て決斷すること能はざるものなり古語に曰く舜何人ぞや吾何人ぞや今人は曰はんとす英佛人何人ぞや吾何人ぞや彼れ此を能くす吾何ぞ能せざるあらんや唯人間力と自然力と相拮抗するに至りては猶鈍刀を堅石に加ふるが如し英佛人は恐るゝに足らずと雖ども其使用する所の自然力にそ尤も恐る可きなり然れども彼れに在りて恐る可きは我之れを取て使用せば其効用必ず洪大にして彼れをして却て我れを恐れしむるも亦難からざる可きなり
我日本の如きは漸く〓〓の技術に〓し蒸氣電氣を使用するの範圍も少しく擴張せんと雖ども歐米の強大と〓日の〓に非ず是れ彼我國力の懸絶せる一大源因なり蒸氣を使用するに鉄道長からず〓船多からず製造興らず電氣を利用するに電信普からず電燈設けず水〓足らず是れ皆我文化發達國權擴張に於て大に憂ふ可きものなり吾輩日夜此れを嘆して彼れを羨み須曳も忘るゝ能はず〓々清佛交渉の跡を鑿みて此感を書す