「沖繩縣よりの來翰」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「沖繩縣よりの來翰」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

沖繩縣よりの來翰

一書呈上仕候陳ぶれば私儀は沖繩縣の一民にして本縣は父母朋友の里、祖先墳墓の地、永年住息の家國に候得ば事、該地の利害休戚に係る者なるに於ては差出が間敷くも我等の哀情一應申述度偏に御推察奉願上候偖本縣元琉球と相唱へ候頃隣國の支那人等は我を指して日清兩屬の國なりと云ひ甚たしきは琉球爲中國之所屬など謂はれもなき事共申して實は島民の面目を辱しむること少なからざりしかども如何せん我等の一國は固より絶海の孤島、人少く力乏しく唯彼の言ふがまゝにして忍ひ居りし折柄天未だ琉球を見棄給はず手を本國の大政府に假りて支那の驕慢を挫き我等嶋民は虎狼の口を脱して慈母の手に歸したるの心地、永劫の大恩誼此上もなき次第に候然處彼自大の支那國は今以て覬覦の念を絶たず頻りに軍艦を作り兵備を張り清廷にて當時顯要の或人々は中國は必らず琉球を爭ふべしと迄に口外致候との取沙汰有之我等直接の利害を感ずる者共に取ては實以て不容易次第日夜眠食すら安んじ難く恐悸痛心罷在候そも沖繩の縣地が日本の版圖たるべき証跡は千百之ある中にも指當り言語の日本國に同き風俗衣服の亦日本國に同きは畢竟日本本陸と沖繩と開闢以來一体分身の國柄たる証據に相違なく又全島民の口碑に今の沖繩人民が本陸民の後裔なること紛れもなき實証多き其中にも特に分明なる者を擧れば舊國王の系統は其昔御曹子爲朝の後裔にて遠くは清和の餘派なること爭ふ可らざる事實に御坐候且つは慶長の十四年島津義久幕命にて琉球を撫綏あり爾後其配下に屬して三百年一日の如く日本國の保護を仰ぎ居候處爰に王政御一新忝くも聖天子親政を執らせられ明治五年九月舊國王尚泰に勅諚を下され藩王の封爵を賜り日本國の朝廷に接邇して直接に天日の威光を奉仰し殊に本島の人民台灣の夷民の屠戮を受け其遺族訴ふる所なきを御憐憫ありて辱くも本國の大兵を煩はし又支那との談判を勞し奉り藩王へは大政府より種々の恩賜を給はり更に明治十二年四月に至り恐多くも聖天子の思召にて藩王を華族に列せられ舊主人は永く輦下に駐居して聖廷に咫尺し奉り其恩遇の厚き他の武門公家の諸公と同一の格式を以て御扱ひ有之而して全島の人民は則ち縣治の下に属し他の諸府縣と一樣の布政を蒙むる事と相成候右樣の御思澤その難有こと如何樣喩ふるに物なく我等全島の者共生て此聖澤に逢ふ心中の喜悦是上もあらず候實に絶海の島地若し本國の庇蔭に由らざりせば我等爭で天日の威光を仰視し永代聖朝の民たるを得申す可きや之を思へば愈聖恩の渥きを感し第政府武斷の御政略を拜するの外無御座候

然處この恩威を戴くの傍に爰に尚苦心と申すは前段にも開陳仕候通り今に至るまで隣國支那人の擧動に御座候我等獨り孤島に在て對岸の支那國が頻に疑似の形述を其言に發し、行ひに顯はすを承はり候ては我等の心細さ殊に甚しく固より大政府の御保護に對し兎や角不足を申す儀には無御坐候得共元來敵手は無作法の支那人故今日攻め來るやも難知、斯ては何を賴みに防ぎ戰はんか人口僅に三十五万、土地狭隘四周皆海、殊には積年文學を事とせし國柄なれば敵と鬪はんずる武力あらず内地の兵備尚未た嚴ならずして海岸に砲臺なし又軍艦を見ず左ながら垣根なく門戸なき零屋に獨居して盗賊の來るを待つの心地、せめて海底電線の敷設にても候はゞ急を本國に告ぐるの便利、幾何か安心の種に可相成候得共これさへ未た實施の塲合に至らず難堪事に候斯る有樣に候得ば一朝支那國より沿岸の測量などを名義にし其軍艦を以て我海口に出沒する歟伹し万國の公法にも無頓着なる者共突然に兵士を上陸致させ何等の所業に可及哉も難計寒心の至に不堪斯く申上候ては嶋民共如何にも卑怯の樣に思召さるべく汗顔の次第に候得共人の言を承るに近來の文明世界にて武力の強弱は全く道具仕掛けと申す事に候得ば支那人の武勇素より我日本人に及はざること遠しとは申ながら彼等の富有を以て軍艦銃砲の器械を自由自在に使用致し候得ば一旦の變に成敗の程も甚た心もとなく被存候に付ては誠に自由が間敷請願には候得共大政府特別の御仁慈を以て沖繩の海港には常に三四艘の軍艦を以て非常を警衛し海岸の要害には砲臺を設け陸上の兵備、海底の電線、本陸と氣聲を通して機を誤ることなき樣仕度左樣相成候得ば支那人が如何に我島を窺〓致居候共我等島民旦夕に危懼の憂へを免れ又彼等も是上は其肝を冷やして野卑の心を絶ち旁大政府の御心配をも休め奉ることと考へ罷在候從來當縣の義は政府の御厄介にのみ罷成り縣地の國税地方税迚誠に微々たる者にて政府の御大計上に於ても出入相償はざる事と存候得共絶海の孤島、他諸縣の御例に拘はらず海防の御手當は即ち日本國の防禦と思召されて篤く御注意を賜はり哀れ我等臣子をして危懼の憂を免かれしめ島地廢藩置縣の恩澤を無窮に傳へ我大日本國の武威を率土の濱にまで治ねからしめんこと島民一同の請願に御座候この請願は我等如き身分に於て大政府へ〓達するの〓もなく地方廳へ出願することさへ如何やと憚り胸中の苦心やるせなき折抦幸なる哉時事新報御社にては早くも日支の關係を能々御洞察これあり平生の御議論實に我等の賴み甲斐あることと存じ斯くは我等の心情を申上げ且つ其餘白を假て廣く我同胞諸兄の輿論にも問ひ奉り度、唐突の仕〓ながら前文の微衷〓に御憫察の上御酌取被下度紙に臨んで胸中言はんと欲する所を失ひ不盡意の所は萬々御察し被下候樣奉願上げ候頓首

明治十八年八月 沖繩縣 一老生

時事新報編輯局御中