「内閣諸公の洋行を望む」

last updated: 2019-09-08

このページについて

時事新報に掲載された「内閣諸公の洋行を望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

内閣諸公の洋行を望む

我政府は内國各地へ巡察使を派出して其風俗氏情を探知し以て其實情を我政府に復命せしむると共に又大に海外万國へも巡視官を派遣し親しく文明日新の形勢を目撃せしめて以て歸朝の上大に我政府施政の方向に就て參考に供する所あらしむべしとは我輩の持論にして曾て時事新報に於て其理由及び方法を論して世間の公評を仰き又聊か當〓諸君の注意をも促したることありし然るに爾來世上の論者中此事に付き我輩に向て一の異論を唱ふるものなきのみならす我讀者の中には徃々書面を以て我輩の論旨を贊成せらるゝ人さへ少なから子ば我輩は此外國巡察使派遣の論を以て巳に世上公衆の同意を得たるものと思惟し心窃に喜悦に堪えざるなり

我輩が斯く巡察使を海外へ派遣せしむるの急務なるを説くと共に尚ほ玆に希望に堪えざる一事ありと云ふは他なし巡察使派出の外尚一歩を進めて内閣諸公の洋行之なり盖し今日の内閣諸侯は大概子不世出の才幹を抱き夙に文勲武功を立てゝ各其職に任し爾來孜々汲々とそ廣く宇内の大勢を洞察し日進の風潮を看破して政治に法律に文學に農工に何れも文明國の模範先例に鑑て之を改良し所謂今日の日本を造り出したる人々なれば今後と雖ども必ず此状態を變せず壯年有爲の人々と共に我日本國の文明を進捗せんことを謀り縱令ひ自ら西洋諸國の著書新聞紙を讀まざるも人をそ之を讀ましめ以て大に其施政上の參考に供せらるゝ等のこともあるべければ眞逆、世上杞憂者の常に配慮するが如く今日の世界に於て一切万事復古を尊び苟も新の一字を以て冠せらるゝ事物は悉皆之を除去し若くは排斥する等の患は万々之なかるべしと雖ども我輩が屢々論する如く今日の世界は實に日進月捗の世の中にして一時一刻も天下の形勢を忽せにすべきにあらず此繁忙多劇の世界に立て苟も一國の体面を維持し世界の文明と共に文明の競塲に速力を爭て而して後るゝことなからんと欲せば其一國運轉の機關手たる政治家は常に天下の形勢に注意を怠るべからず若し夫れ其國は巳に業に開國の主義を執て廣く万國と對峙し其關係日に益頻繁を加ふるの日に方を苟も之が運命を左右するの所の政治家其人にして万國氣運の向ふ所を明にせざるが如きあれば其人は則ち文明の政治家たる重任に適せす其國は則ち所謂天下落後の國たるを免かれざるべく又何に依てか國權の擴張を望むべけんや去れば今日の形勢彌が上にも天下の氣運を洞察すること内外施政の局に當る者に取て頗る緊要的のものなれば我政府内閣諸公の如き亦巳に宇内の大勢を了知せらるゝにも拘はらず尚ほ今後の大に万國文明の實况、其施政の方向等に就て一層の注意あらんこと我輩の甚た希望に堪えざる所にして而して此目的を達するの法其身躬から海外に巡遊して視察する所あるに如くものなきを信するなり盖し今日に至るまで我内閣中己に海外に遊びたる人あり又未だ之を爲さゝる人あり固より其既遊と未遊とに依て未た遽に其人物の如何を評すべからずと雖ども而かも巳に久しく外國に在て親しく文明の近况を目撃したる人と足未た海外の地を踐ざる人か又は仮令ひ踐むも爾來歳月既に久しき者とは其文明の進行を急ぐの心にも自から感覺を異にする所あるを免かれざるべし果して然らば時に歐米諸國を巡遊して其實際を視察するは隨分緊要の事柄なりと云て不可なかるべし

抑も我輩が〓に巡察使を海外に派出せしむるを促かすの一事を以て未だ滿足せず尚ほ進んて内閣諸公の身躬から洋行せられん事を希望する所以の者は他なし如何に巡察使が歸朝の上其實見したる文明の事物に就て我政府の參考に供すべきものを上申するも之を取捨する所の内閣諸公の中に於て或は未だ充分これに同意するの覺悟なきが如きことあれば折角の報告も徒に一席の茶話に歸して或は無益の勞たるを免かれざるの恐あればなり左れば内治に外交に一旦針路を改進に定めたる政府に在ては其政機の樞軸に當る内閣諸公にして勉て自から海外を巡遊し文明の実况を視察して文明の思想を養ひ以て天下萬國に後れざらんことを期せざるべからざるなり或は目下内外多事の折柄當路の上官にして海外に巡遊するは政務を曠くして國の大計を誤るの恐れありとの議論もあれども是れ眼光豆大の論者が僻見のみ何となれば其政務中の外交なる者も海外の實况に疎き時は大に其政略を誤て爲に國權の衰縮を來すが如きの憂なき能はず又内治と雖ども是が治者たる政府官吏の海外に遊ひ大に万國の事情に通曉したるが爲に從來の面目を一新して更に一層の善良を加ふ可きや必せり去れば内閣諸公の洋行は實に我國内外の施政の改良を促すの根原とも云ふべきものなれば何れにしても順次海外に渡航して親しく文明の新事物に接すること其當さに務むべきの職分なりと云ふも可なるべし我輩は其之を實行するの緩急如何に依ては我國前途施政の方向上に於て影響する所盖し少なからざるを信するなり