「商人に告るの文」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「商人に告るの文」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

    ((本文當社新報商事編輯主任員が商人某々氏に與へて貨殖の祕訣を論じたるものなり)

 ((前略)商業は何のために營むものに御座候哉其目的は利を博し富を得るより外には有之間敷候人間の幸福

は富ならでは買ふべからず人生七十古來稀幸福を享くべき時限も極めて短きものに候へば富を得るの工夫

も十分に精神を込め大急ぎに急がざれば間に合ひ兼る事と存候

商業の繁昌は利を得るの基なり然るに此繁昌を來たすの術は正直と熟練とを以て十分衆客の望みに應じ

且つ其價を廉に致すに在ること勿論なりといへども此正直と熟練と且つ其價の廉なるとを世間に示すの工夫な

ければ商業繁昌思ひも寄らざる事に候今爰に甲乙二人あり同樣の場所にて同樣の商業を營み正直熟練廉

賣等の諸點は甲乙の間に差別なきに其實際を見れば甲の店は一年一萬圓の賣上げなるに乙の店は二萬圓の賣

店は暖簾甚だ古くして客足甚だ繁きがためなることを發明するは毎度の例なり左すれば乙の繁昌は其腕前の甲

に勝る所あるがためにはあらで甲乙の二人が人に知らるゝことの多少よりして店の賣上げに斯る相違を生じ

たることゝ知るべし商人は人に知らるゝこと甚だ大切なりと申すべし

人に知らるゝこと甚だ難し尋常商人が人に知らるゝの手段は先づ人通り多き場所に店を設け店頭に招牌

を揭げ店を裝飾して人の目に付く樣に品物を竝らべ特別の商標を用ひて注意を喚ぶ等の事なり或は十字街

頭人行最も繁き所に廣告の張紙を爲し或は種々の引札を調製して戸別に配布するなど何れも皆大切なる手段

なりといへども今の時代に在りては其及ぶ所の甚だ廣く其費用の甚だ廉なるものは新聞紙を借りて廣告する

に匹敵すべきものなし新聞紙は上天子の宮殿より下陋巷の茅屋に至るまで東西南北都鄙遠近の別なく行き渡

らずといふことなし若し人ありて新聞の手を借らず他の引札張札等の方法を以て新聞同樣の廣さに廣告を

行屆かしめんと試むることあらんには其費用と手數の莫大なる尋常人の資力には及ぶべがらざるものならん或

は物好き半分にこれを實行せんとするも到底力の及び得ざる所あるを發明するなるべし當時商人の風習にて開店

賣出し抔の弘めには數百或は數千枚の引札を摺立てゝこれを遠近の人家に投入れしむるを例とせり是固より無き

に優る披露の一法なりといへども其手數費用と家々隈なく行渡ることゝを比較すれば新聞紙の廣告に及ばざるこ

と甚だ遙かなり殊に人情の常として新聞紙は自分の錢を持出して買ひたるものゆゑ社説なり雜報なり又廣告な

り讀まざるは損と心得て多忙の中にも一讀するものなれども無代にて投入れられたる引札なれば又何品か賣付

けに來りたりと先づ心に逆ふる所あるより假令一讀の閑はありても大抵取上げて見ぬを例とするなり左すれば

配布の枚數は同一にても其廣告の利き目に至りては新聞と引札とは天淵の相違あるも

日本商人等が想像し得る所にあらず米國にては一年十萬弗以上を廣告代に費す者數名あり千弗以上二萬弗以

下を費す者は或る廣告取次店の知る所のみにても數百名ありといへり其盛んなること推して知るべきなり

今日本にては商人にして廣告の利を知る者甚だ少なし若し我店の隣人等も我と同樣に廣告せんには我廣告の

功能も左樣著しかるまじきが幸にして隣人等は引札配布團扇進呈位にて滿足する折柄なれば大に我腕を揮

ひてり富を占んこと此時を失ひて又他に好機なかるべし篤と御勘考急ぎ金儲けの御工夫專一に奉存候