「日本の用終れり」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本の用終れり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

嘉永開國以來我外交の沿革を案するに舊幕政府の末年に至るまでは我れは固より外國の事を知らず彼れも亦我國情を知らず互に相知らずして互に相疑ひ我れより暴を以て接すれば彼れ亦暴を以て來り些少の事故よりして不測の禍を招きたるもの多し生麥及ひ下の關の償金の如き是れなり然るに王政維新の一擧大に我國人の心事を改め國是を開國と一定せしより外人も亦交際の面目を新にし頻りに我文明開進の主義を賛成するに至りしは我外交沿革の一段落として見る可し固より此際にも双方の間に困難なきに非ず泉州堺にて佛人を襲撃したることあり京都にて英公使參内の途中に暗殺を試みたることあり其他樣樣の暴動又失禮の爲に或は和親の交際も如何やと危懼するもの少なからざりしかとも毎度平穩に局を結びたる其有樣を舊幕政府の時代に比すれば實に天淵の相違なりき夫れ是れの事情を考るに舊幕府の時は外人皆威力を以て我日本を威嚇せんとしたる者が維新以來は文明を以て誘導するの方向に變したるが如し前後の變化不可思議なる者と云ふ可し當時我國に識者あり竊に此事相を視察して謂らく近時西洋人が我れに接するの擧動は决して偶然に非ず仮令ひ彼の人人が相互に討議したるにも非ず又一名の指令者ありて其指圖に從ふにも非ざれとも東洋に對して利害を共にする同種類の者なれば此種の人の運動する事跡を察すれば恰も一個人の方寸に出たるが如きものを見る可し即ち彼等が今日の擧動は目的に非ずして正に方便を〓むものならん〓〓にも日本の國民が〓〓の端を開きたれば頻りに之を助長して文明の實跡を表せしめ其實跡を東洋の全面に〓〓して他の〓大國を〓〓し此等の國國が日本に對して次第に競爭の意を抱き其熱度の頂上に上るの日を期して始めて大に宿昔の企望を遂けて大目的を達せんとするの底意ならんと迄に臆測したりき盖し識者の腦中に斯る臆測を生したるは亦自ら多少の意味なきを得ず抑西洋の人人が千里を遠しとせずして東洋に來るは共に仁義を語らんとするが爲にあらず唯尋常に利を謀らんとするに在るのみ西洋人は利のために東洋に來る者とすれば其將に來らんとするの初に當て東洋諸國中人口多くして版圖洪大なるは何國なるか沃野千里遺利最多きは何國なるか今後通商上にて共に大利を語る可きは何國なるかと先づ其胸算を定めたることならん胸算既に定て眼光の注く所は何國なるや問はずして支那帝國なることを知る可し西洋人が斯る目算を抱て支那の海邊に來りたるは西暦千五百十六年元の忽必烈の治世に始まり當時は葡萄牙人のみ專ら其貿易に從事したりしが千六百年代の初め荷蘭人來りて之に代り其後百餘年英佛諸國の人人も亦陸續〓至することとはなれり然るに支那は固陋の國にして西洋人を見れば之を嫌忌し鴃舌腥■(にくづき+「亶」)の西夷近つく可らずとて動もすれば之を掃攘せんとするの有樣なり廣東■(うかんむり+「心」+「冉」)波等の支那人は西洋人に接すること日久しきが故に貿易の一点に至ては或は事を與にすることある可しと雖とも西洋の品物とあれば兎角内地の人氣に合はざれば支那人も其國産の交換として西洋尋常の製品を受取らず唯銀貨のみを企望するより西洋の銀貨一時東洋に奔注し歐洲市塲より嘗て銀貨を引き去りたるの一原因となるに至れり勿論阿片貿易の盛に行はるるに至ては西洋人も製品を以て支那産に換ふるの機會を得たりと雖とも支那内地の交通は未た其便を得ずして商業の區域割合に狹く固陋の儒者官吏等も兎角西洋人の妨碍をなし道光阿片の一舉にも及びたる始末なれは支那の人多く地大なるに比較しては西洋人も未た胸算通りの利を占むることを得ず是に於てか窃に一策を案し畢竟當分の儘にては充分の企望を達するに由なし別に大に支那人を〓發し其機に乘して初志を大成すること肝要なり而して差當り其一策と云ふは日本の開進を促して之を支那の刺衝となし日本にては鉄道も敷設し電線も延長し軍艦銃砲も亦西洋式を採用し駸駸乎として日に進み其底止する所を知らず同しく東洋の國にして日本の進歩は此の如し支那も亦袖手傍觀す可らずとて隣國の實况を指して其羨望の心を導くこと是なり其時に至らば支那も徒に之を看過するを得ず進んで西洋人に依頼して文明の利器を採用するに至ること明白なり我我多年の利心を達するは此策の右に出つるものなしとて〓〓裏に日本の開進を助長したるの意〓なしとも云ふ可らず我輩嘗て老商の談を聞くに固陋質素の金満家に向て其品物を賣り付くるには正面より珍翫奇具を衒ふたりとを决して其購買心を動すに足らす素知らぬ顏にて先つ其東隣に至り勉めて之に品物を賣り付け機會を伺ふて更に以前の守錢家に行き大に其家内に吹聽し東隣の令孃は珊瑚釵を調へたり奧方も亦鼈甲櫛を注文したり又その主人が新〓の洋服は文明國の紳士たるに愧ちず抔とて窃に其羨望の心を挑撥すれば家内一同既に東隣の近状に注目して漸く之れを慕ふの際忽ちこの吹聽に逢ふて一家の購買心は益動き固陋質素の頑翁も亦之れを制するに由なく括嚢漸く開きて家人の望に從ふに至る可しと右は老練の商人が質素の金滿家を誘ふて其利を占むるの一手段なるが西洋人も亦此故智を襲きを徐に東洋の巨利を領有せんと欲するの思念ありしに非ざるなきか支那は國富み地廣けれとも固陋退守世間の裝飾を羨むの念なく自ら是れ東洋の一守錢家なり西洋人が此守錢家を誘ふて家人の與論を變せんとするに先づ東隣の日本に向て頻りに文明の利器を賣り付け其外觀の整頓するを待て大に之を吹聽し其評判をして次第に支那の耳朶に觸れしめたるは其をして漸く日本の擧動に注目し又之を羨望し遂に其金庫を傾けしむるの深意なるが如し然るに西洋人の企望空しからず維新以來我邦にては社會万般の事物皆之を西洋に資り政治法律學問商賣は申すに及ばず鉄道電信の工事も既に其端を開き軍艦銃砲の類も亦西洋新式を取捨し駸駸乎として文明の進路を快奔し來りたる其勢は古今世界類例を見ず且つ其文明の利器を挾て東洋の先導者を自任するの勇氣を顯はしたれば果して然り支那人は此有樣を聞見して漸く日本の擧動に注意し又之と競爭するの念を發し日本にては鉄道を敷設したり支那も亦之を敷設せざる可らず日本にては電線を延長したり支那豈に之を増架せざる可けんやとて頻りに文明の工事を起し其他軍艦銃砲の如きも年年之を西洋に注文し數年以來は數多の鉄艦を新製し既に進水したるもあり或は目下製造中なるものもあり而して其支那の依頼に應して新規注文の器具を調達するは獨り西洋國人にして利益は固より其專有する所なり今後支那にて更に内地の交通を開き鉄道電信を延長して貨物運搬の便利を増すことあらば西洋人は獨り其工事を請負ふのみならず大に通商の區域を擴め十八省中の商利は悉く其嚢中に集まることともならん而して彼の西洋人が支那を誘ふて此に至らしめたるは先つ日本の開進を促し之を目前の刺衝物として其羨望の念を挑撥せしに在るものの如し然らは則ち西洋人が土地小に商利薄き日本に向て〓外に意を致したるも或は大に爲にする所ありしならん我輩嘗て碁を善くする者を見るに其初緩緩落子恰も意を經ざるが如く然り故に傍人〓に以て閑手とな〓〓其黒白盤面に〓〓攻防將に〓ならんとするに〓り〓きの閑手は則ち今の急手たるを發明することあり西洋人は東洋の全局を見て豫め着手の順序を考へ先づ力を閑地に用いたれば一時傍人の怪訝を來したりと雖とも其閑地に着手したるこそ却て急要の衝に注目したるなり我輩は明治の初年我邦の識者間に西洋人が故ふに日本の開進を助長するは他日支那に事あらんとするの底意ならんとの臆測ありしことを追懷し今日に至て更に東西の實勢を〓〓し來り〓者の先見果して空しからざるを知れり而して其先見の空しからざりしは果して東洋の幸なる歟不幸なる歟我輩は敢て之を言ふことを欲せず讀者自から斷して可なり