「廣告の事に付商人某氏よりの來状」
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時事新報に掲載された「廣告の事に付商人某氏よりの來状」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
廣告の事に付商人某氏よりの來状
貴社新聞十月十六日社説欄内に商人に告くる文と題し貨殖の秘訣を示されたり私謹て拝見致候に商賣は利を博し富を得るの目的にして其目的を達せんとするには先づ自家の商賣を繁榮ならしめざる可らず、商賣を繁榮ならしむるの要は正直廉價を専一として其旨を廣く人に知らしむるに在り、廣く人に知しむるには種々の方案多しと雖とも新聞紙の廣告に過くる者はあらす而して新聞紙の廣告は費用甚た多からすして其効用は極めて廣大なる旨を縷述せられたり以上の事は私共の商賣上實地の經驗にても相違之れ無く且つ又其廣告の時期書き方及ひ費用の省略方まで最と懇切に指示せられたるは一々感服私共商人輩の考へ及はさる所にして大に發明致候こと少からす右の如く廣告の商賣上に要用なることを貴社新紙上に掲て世に公にせられたるは固より我か田に水の自利説には非らす實に商賣社會に公益を與ふる貨殖の秘訣を授くるに吝ならさる公平無私の主義にして貴社の寛大なる度量こそ推し測られて餘ある近代の一美擧とも申す可きか私は衆商人の爲めに貴社に謝し併せて私の意見をも左に少々申し述へ度奉存候
貴社の説にて新聞紙上に廣告をなすことの要用は説き尽して餘なしとも申す可けれど私の考にては廣告を爲すと同樣に又新聞紙を讀て廣く他人の廣告を閲覧し商賣社會の全体にも通曉して自家に廣告し又廣告せんとする物品の精疎、價直の高低等をも能く能く他と比較致し候こと最も緊用のことと存候譬へば書林にて新に一部の書籍を出版し其書名定價及び其書の効用をも廣告したりとせんに若も平生他の廣告を閲覧致し居り申さゞるときは自身の出版より前以て同樣の書籍を出版する者ありて早く既に世間に廣告し賣捌の道も大半塞がりたる後なるやも知る可らず亦或は同種類の書籍ひて同時の出版なるも他人の定價は自家の定價より若干の廉價なれば人情廉を好む、我れに來らすして彼れに至ることもあらん斯る塲合に於て獨り自から廣告したりとて日を數へ指を屈して買客の麕集せんと思ひの外一月二月を經ても店頭片履の至るなくして廣告甚だ無用なり可惜數圓の金を擲棄したりとて思案の最中、他の廣告者は廣告に因て金儲けの最中にてありしとの奇談もあらん此等は自から廣告を爲ざるの罪にあらす他の廣告を讀まざるの罪とも申す可きか其外直下の廣告賣出しの廣告等に就ても其品柄定價及び賣出しの塲所柄をも詳細に承知致し居らず候ては自身の商売上に直接又は間接に利害の影響する所頗ぶる多かる可しと相考へ申候之れ則ち私共の廣告を見るは廣告をなすと同樣に甚た緊用なることゝ存候譯に御座候
私共或る西洋人に承り候には彼の國にては總ての商賣及び世間一切の事柄苟も大勢を相手にする事件は悉く新聞紙上に廣告して其用を辨し候趣に有之譬へば會社の開業定價の改正新物の賣出し古物の賣却及び雇人招聘、家屋借受、遺失物捜索等の如き廣告をなす者あり廣告を見る者あり雙方共に注意を怠らざる故廣告紙面は恰も糶市塲に諸物品を堆積し賣主買主相會したるが如く又口入所にて家を借らんとする者貸さんとするもの、人を雇はんとする者雇はれんとする者相集まりたる如き有樣にて世務多端、事物混雑の間にも餘計の手間を費さず甚た簡便にして其用を達し候こと自在なりと云ふ然るに日本にても近代種々樣々の廣告相見へ候へ共多くは書籍、賣〓發賣等の事のみにして未た廣く各種の商賣又は世務に關する事柄を新聞に依頼して世上に告るの便利を知らざる者の如く相見へ申候此等は我國にて社會の事物未た非常に繁多ならざるが爲に世間に隨分閑人も多くして瑣細の事にも自から各地に奔走し多くの時間を費やすを厭はざるに依る者なるべしと雖ども私共商業仲間に於ては何卒早く西洋に行はるゝ如く新聞紙上の廣告にて百般の用便相成り候樣偏へに希望致し候事に御座候
右の如く尤も多く廣告をなし又能く廣告を見る者は廣く人に知られ又た廣く商賣の景況に通ずるを以て次第に商賣の繁榮を致し利益を得るは自然の道理に候得共貴説の通り世間に進て廣告を爲して大利を占めんとする者甚だ稀なるこそ遺憾の事共に候抑も自利主義より申せば世を擧て皆眠り吾獨り醒め獨り廣告の便利を専用するは同業の爲には氣の毒ながら自家の懐中は至極温かなる可き譯けに似たれども商賣社會の實際に於て決して然らず其社會全体の繁昌を致すに非ざれば永遠洪大に利益はなきものなり即ち私共は天下公共の繁昌に乗じて自利を營まんと欲するものなれば過日貴社新聞の社説は天下の為にし兼て又私共一個人の爲に利益少なからざるものと心得深く謝する所なれども今後各商人が續々廣告するに付ては其廣告の方法も亦一種の緊要的にして文字文体圖書等都て其体裁に就き樣々に注意氣轉を要するは固よりの事にして西洋諸國人の苦心工風の先例もあらん貴社に於て兼て御名案も可有之何卒内々御指論被下度奉願候也