「德政之説」

最終更新日:  2021年12月25日 (3年前)

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目次
    1. このページについて
    2. 本文

1. このページについて

時事新報に掲載された「德政之説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

2. 本文

道德の品格其達する所に達して既に社會の氣風を成すときは、容易に破壞す可きものに非ず。蓋し氣風とは甚

だ言ひ難きものなれども、時としては之を風俗と名け又は公議與論とも稱す。即ち其形に現はれたる所にては、

世人の毀譽又は榮辱など云ふものゝ由て判斷せらるゝ所の標準なり。斯くしては不相濟、斯くすれば天晴なりと

云ふが如きは、何れも其一世の氣風を標準にしたる言葉ならん。既に一世の氣風と爲れば、德敎を以て容易にこ

れを左右すること能はざるのみか、其德敎の主旨も道を氣風に讓りて働を逞うするを得ず。例へば儒敎にて政治

上の德義は國有道則仕、國無道則去とて、孔子の如きも十二君に仕へたることあり。或は湯武放伐の如きも儒教

主義に於ては差支なきことなれども、我日本の士人は儒書を讀みながら全く反對の思想を養ひ、支那聖人の許し

て榮とする所は我封建武士の恥辱と爲り、彼れの有道は我が無道たるが如し。又德川の治世三百年の其間に、儒

者は直に世事に當るを許さず、唯僅に學校敎授の用に充るのみにして、學問を輕んずるの世に學校の敎授は最も

無力なれども、封建の大勢は儒者を容れず、社會緊要の大事は武人と俗吏との司る所と焉りたるも、亦以て儒教

の勢力の微々たるを徴するに足る可し。大勢の向ふ所は勁敵を見ず、支那朝鮮の如きは敎の具に大勢を制せら

れて國民皆其下風に立ち、曾て精神の運動を自由にすること能はずと雖ども、我日本の士人は常に能く儒敎を束

縛して自家固有の精神を自由にしたる者と云ふ可し。さればこそ支那と云ひ朝鮮と云ひ、之を日本に比すれば共

に所謂同文の國にして、政事も人事も大同小異なるに、支那人は西洋人に直接すること百餘年の久しきを經過す

れども、今日尚自大妄誕の迷霧を拂ふを得ず、朝鮮の如き開國十年と稱するも、其開國は唯韓廷の吏人が外國の

條約なるものに記名したるのみのことにして、國中の人民は國を開きたることをも知らず、少しく上て上流の士

人と稱する輩に於ても、舊に依て周公孔子の道を脩め、日に仁義忠孝を講ずるに忙はしくして、心身共に一轉を

試みたる者も少なし。同文の三國、文を同うするも思想を異にするの事實、明に見る可きなり。

(二行読めず)

〓〓〓〓〓〓〓〓〓に見て怪しむものなし。三十年來西洋の文明に逢ふて能く其激動に堪へ、東洋諸國中別に一

種の面目を擧げたるも蓋し偶然に非ず。然るを今日に當り世間或は儒敎を以て我國民道德の標準と爲し以て其

精神を支配せんとするが如きは、固より事實に行はれざるのみならず、今の開明の世に居ながら封建の舊士人に

對しても傀づ可き次第なりと云ふ可し。今や我國の大勢は如何と尋るに、國是を定めて外國と交際を開き、其文

明を取て彼我進歩の方向を一にし、文に武に商に工に一歩の前後遲速を以て百年の大計に影響を遺し、國權の輕

重、毛髪の間に存して瞬間も油斷す可からざるの時節なれば、此交際の重大事件たるを知り、文明進歩の辛苦艱

難なるを解し、此重任を負擔し此艱苦に當るものなりと覺悟を定めたらば、凡そ日本國中の士人にして如何の感

を生ず可きや。愛國の情は勃として自から禁ずる能はざることならん。凡そ人の子にして父母に事ふるには、先

づ父母の身の至重なるを知り、之を孝養するの辛苦艱難を嘗め、一日を怠れば孝養の方便を失はんとするが如く、

其艱苦の愈甚しきに從て孝心も亦愈勃起するを常とす。富貴の門に孝子を出さずして却て貧賤の家に孝行の沙汰

を聞くも其實を證するに足る可し。左れば今我日本國に於て、文明の主義に進て外國の交際を維持し、外國と競

爭して我國權を重きに置かんとするの辛苦艱難は、貧家の子が父母を養ふに等しきものあらん。然かも其孝養は

家の富むに從て盆上進す可きなれば、際限なく不足を覺へて貧乏の思想を除くの日なく、愈富て愈貧なるを感ず

ることならん。即ち愛國至誠の情の由て生ずる源にして、報國の心とは是の謂なり。叉内にしては封建の制度は

廢したれども士人忠誠の心は消滅す可きに非ず。日本開闢以來の歴史と共に終始を共にして、諸外國に誇る可き

一系萬代の至尊を奉戴し、盡忠の目的は分明にして曾て惑迷す可き岐路を見ず、諸外國にては君家に姓氏ありて、{

何姓の帝、何氏の王などゝて、其家筋の正否に就き動もすれば紛糾を起し、遂には大亂に及びたること心多しと

雖ども、世界中我日本國に限りて、帝室は日本の帝室にして、日本國中他に區別を煩はすを要せず。日本國民は

唯この一帝室に忠を盡して他に顧る所のものある可らず。帝室の安危云々の如きは眞實に我國民の想像外にして、

口に言ふものもなく耳に聞くものもなし。即ち忠義心の微妙に入りたるものと云ふ可きなり。(我輩が曾て世上

に主權云々の議論あるを聞て大に憂慮したるも、其微意蓋し此邊に在るものなり。我帝室は至神至聖、其光明は

普ねく日本國民を照らして、其近きに厚からず遠きに薄からず、一視同仁、爭ふ所なきものと信じ奉る可きな

り。)                                      〔十一月二十七日〕