「似我主義」
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時事新報に掲載された「似我主義」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
似我主義
他をして我に似せしむ之を似我と云う似我の主義は夙に東洋人の間に行はれ支那の儒流最も之を助長せしものゝ如し詩の小雅に云く螟蛉有子蜾蠃負之と、之を註する者曰く蜾蠃は螟蛉を負うて化して其子と爲す以て似ざるものも敎て而して似る可きに喩ふなりと、傳に云く堯の子丹朱不肖と之を釋する者曰く不肖とは生子父母に似ざるの謂なりと古來日支兩國の儒流が父母を以て其子の典型と爲し子は必ず其両親に似るものなりとて養子を稱して螟蛉と云ひ又子は父母の徳に肖ざるを耻とし不肖の二字を以て子が其父に對するの謙辭と爲したるがごとき不知不識の際似我主義の範圍に陷り之を奉して周旋したるものと云ふ可し盖し人として己れと状貌を同するの子を愛して一體分身の看を作し又己れと氣質を同するの友を愛して莫逆刎頸の交を爲すは人情我に似たるを好むに出つ、故に似我主義は自ら凡俗の常情に稱ふと雖とも此常情に任して此主義を信するより世事文明の進歩を阻碍すること決して少小に非ざるなり何を以て之を言ふとなれば所謂進歩とは舊を棄て新に就くことなり然るに彼の似我主義は有る模形に擬似せしむるにて無き機軸を出さしむるに非ず苟も新機軸を出す能はざれば縦令ひ其擬似眞に過〓模形に對して慙色なきに至るも亦た唯優孟の衣冠のみ依樣畫葫蘆の類のみ進歩の痕は毫も其間に見る可らざるものゝ如し今試に有形世界の有樣を看るに子孫は其父祖に似ずして或いは寧ろ之に優り常に出藍の看あるが如し銃砲の鼻祖は火縄筒なれとも次第に改良して遂に今の旋條銃となり船舶の先祖は風帆船なれとも是れ亦新樣に移りて遂に今の蒸氣船となり双方相對して比較すれば實に月鼈も〓ならずと雖とも血統を正して論ずれば蒸氣船は風帆船の子孫にして火縄筒は正しく旋條銃の先祖なり蒸氣車は馬車の子にして馬車の先祖は大八車ならん、活版銅石版は木版の子孫にして烽火合圖は電信の宗家なり此他煉化石室の穴居に於ける綺羅錦繍の獸皮麻布に於けるが如き同一の血統にして累世其骨肉の相類似せざるものは枚擧に遑あらざるなり似我論者の瞑より見たらば蒸氣船旋條銃以下の者も共に不肖の子ならんと雖もも不肖の子孫〓續輩出するは有形實物の進歩に决して欠く可らざるなり
以上の所論果して是ならば〓に〓〓を出し今日に難きものをして明日に有らしむるに非ざれば有形世界の進歩を見る可らざるや明白なり若し此世界に在て似我主義を執らんとならば火縄筒は旋條銃に向て我に似ざる可らずと云ひ風帆船は蒸氣船を不肖なりとして之を〓斥せざる可らず旋條銃と蒸氣船は果して前非を悔悟して父祖の形に類似せんことを勉む可きや三歳の童子も尚其得失を辨することならん似我主義は既に有形實物の世界に行はる可らずとすれば社會の先進後進の關係に於ても亦往々此主義を採用す可らざるものあるが如し例へば父は其子に向て第二の我たらんことを責め子も亦箕裘を襲くと稱し或は衣體を傳ふと稱して只管其父徳に肖んことを欲し儒者は其子に敎るに己が嘗て學びたる所の道を以てして己が嘗て讀たる古書を讀ましめ以て一家相傳第二の儒者たらしめんとし古法醫は子孫をして其遺業を守らしめ以て第二第三の古法醫を作らんとし唯我獨尊、身を以て後進万世の儀範と爲して唯其我に似んことを促すが如きは仮令ひ其外面に一時の波瀾なくして凡俗の目には秩序の齊然たるを見ることもあらんと雖とも前途の目的に進歩の期す可きものなし西洋にて政治家などは大噐の少年を未來宰相と稱して之に属望することある由なれとも彼の似我者流の子孫には仮令ひ大噐あらしむるも之を大成せしむる能はずして却て平々凡々たる我に似んことを責め未來宰相をして一刀圭家一窮措大の偉業を守らしめんとするは之を社會全般の不利なりと云はざるを得ず
既に前節に陳述せし如く似我の主義は凡俗の常情に出たるものなれとも其働を逞するに至ては遂に尚古卑今の通習を成して其勢を挽回すること甚た易からす例えば日常の細事にても七十の老婆が兒女に向て五十年前の服飾を誇りて當時の品物を今と比較し世運澆季に赴きて品質も亦障りたるを嘆すれとも今の兒女が他年第二の老婆となり其老眼を以て時の品物を見、之を昔と比較したらば又古今品物の相似ざるに〓〓することならん第三第四の老婆も亦同樣にして順次際限ある可らず彼の古流先生等も尚古卑今の通習は之を免かるゝこと能はず定めて老婆と同〓にして世上の事物日に新なりと雖とも老眼曇りて其新なるを覺へず之に接して面目を失はざれば之を聞て不滿を抱かざるものは殆と稀なり老て面目を失ひ不滿を抱て終らんよりは後進を引て第二の我と爲し我に代て我が道を守らしむるに若かずとて只管其箕裘を襲かしむるに汲々たるは人生の老情に於て一應尤なりと雖とも世事の進歩は此老情を以て〓む可からす文明競進の世の中に在ては故吾も今吾に非ずして自身の〓〓すら尚一定の〓形に從ふ能はず况んや今の〓を以て子孫百年の〓法と爲し之を蹈襲せしめんとするに於てをや白〓の父祖が子孫の我に似たるを喜び笑を含て地下に瞑目するが如きことあらば其父祖の一心に於ては滿足するも天下文明の進歩の爲めには喪服を服して之を弔せざるを得ず父祖の老眼より其子孫の新學新業に就くを見たらば定めて不平を感するならん今の子孫も亦父祖の地位に立たば又子孫に對して同しく不平を感す可しと雖とも是れは老少循環の定數なれは如何ともす可らず老者が少者に對して不平を唱れば少者は老者の不平に對して更に又不平も多からん斯く双方より不平のみにては到底際限もなきことなれば少者も大に勘辨して無益に老者の情を傷ふなきを勉め老者も亦天下後世の爲には老婆心中一時の不愉快を堪忍し漫に蜾蠃の爲を學はずして文明進歩の競塲に不肖の子孫多からんことを求む可きなり