「文明の進退は人心に於て見ざる可らず」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「文明の進退は人心に於て見ざる可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

文明の進退は人心に於て見ざる可らず

吾輩窃かに我社會の傾向を觀察するに益々進取の氣象を失ひ益々因循守舊の風潮を長ずるものゝ如し是れ今日識者と倶に慨嘆に堪へざる所以なり然るに僅かに此説を皮相より速了し去りて駁する者あり曰く汝の説は事實に違ふの空想杞憂のみ汝は曰く我文明は漸く退歩すと然れども泰西日新の事物制度は日に月に輸入して怠らず先づ銕道を延長し汽船を增加し郵便を擴張し電信を普及せしめ道路を修治し學校を增置し軍備を改良する等は今日我朝野人士の汲々と勤むる所にして一も文明の事物に非ざるはなし是れ汝の言は事實に違ふと謂ふ所以なり又曰く汝の説は泰西を欽慕するの餘り洋癖に陥りたるものなり汝は曰く東洋古來の道德を再興するは文明の進歩に害ありと然れども社會を經理し人心を誘導し以て一國の進歩を計る者は宜しく其社會に固有したる制度事物の以て此目的を達するに用ゆ可くんば維持保存して其用を全からしむ可し新事新物を採用したるを以て必ずしも文明の進歩となる可らず要するに近年我社會の風潮は將に正經に復し急進に失せず退守に陥らず取長袖短の活用を得るに近からんとす是れ汝の説は洋癖に陥ると謂ふ所以なりと

吾輩是等の駁論を聞き大に悦び他人の説を批評して誤謬の論理を正さんとするは其好意に於て深く謝す可きなり然れとも駁者の説は終始皮相の速了たるを免れざるを奈何せん抑一國文明の進退を見るは其人心の傾向を察するより切なるは莫し人心先つ因循退守するを好めば早晩必ず其外形の事物を感化して終に百事退歩の實相を願はすものなり假りに論者の言の如く事實より觀察せば我文明は進歩して止まずとせんか人心にして既に退歩の途に就かば之れを稱して既に退歩すと云ふも不可なきなり况んや吾輩を以て視れば事實に於ても亦退歩の傾向を發見するに於ておや吾輩以爲らく我邦の人心は兩三年來漸く嗜好を變じたるや疑なし嚮きには洋品を好み洋法を尊ひ翕然として風を爲したり當時或は之れを憂ひ我人民の愚昧好奇にして此洋癖を致せしなりと論する者多かりし實に洋癖の極は邦國の体面と理財の整理に於て聊か不利なるありと雖とも其進歩を好み改良に勇なる精神は大に嘉みす可きものありし然るに近年上流の人士、主として其主義を變し着實家を以て自ら許し揚々高言して曰く舊物を保守し古法を維持し以て其用を失はざらしむるは我長所を存して我社會の基礎を固ふし我人民の特風を顯はすものなり彼の徒らに新を求め奇を好み漫然として事物制度を變ずるは癖なりと此説たるや表面より玩味せば甚た佳にして亦間然す可きなきが如しと雖とも其全國人心に波及する結果は甚た恐る可きものあるを如何せん是れ言語の表裏よりして其結果を思はざるの誤なり我邦維新以來百般の事物を改良し全國の形勢を一變し人心を一新したりと雖とも年月猶淺ければ前代の人にして生存するもの甚た多く是輩は當代の時勢を辨へず前代に在りては各其職を得、分を守りて妻子を養ひ子孫の計を爲すに甚た苦まざりしも當代の時勢と共に一變し俄に其職を失ひ分を守るを得ず我一身と妻子の生計にだも苦むの状況あり豈其心一日も前代を慕ひ當代を惡むの情を忘れんや如斯く不平家多きに際し社會の上流に立ち一國の模範たるべき者にして一時術策の爲め其説を豹變し舊物守る可し新物拒く可しと云はゝ彼の大勢に暗く生計を憂ふるの輩は皆上流人士の説を表面より會得して他に深意のあるを悟らず異口同音に舊物守る可し新物拒く可しと云ひ其勢水の低きに就くが如し而して少壮の輩は嚮きに老儕の説を論破して之れを僻隅に郤ぐ僅かに志を得て漸く我説の行はるゝを喜び將に西洋の新主義を自由に採用して日本全國の改良を計らんとせしも一旦天外より一箇の奇説墜ち來り霹靂一聲老儕の耳を驚かし再ひ其説をして行はれしめ老儕は口に沫を吐き從來の不平を一時に漏らし汝少壮の輩は固より取るに足らざる者なり我説こそ眞に治國平天下の大義に則り我民を堯舜の民となすものにして天地の間に所謂道なるものは唯一無二なり故に飽く迄斯大道を闡揚して其民の安寧を計らざる可らず汝輩復た言ふ勿れと茲に於て少壮の輩は不可思議なりとは思へども僻地に在りて大勢に暗き悲しさは終に老儕の風彩に驚き又上流より下れる説なりと聞き或は事理然るものかと半信し先つ屏息し後ち終に老儕の下風に立ち其説を賛成して時勢を見るに敏なるが如き假貌を爲すに至らんとす則ち全國の氣風を再變し人心を復舊し遂に本來の頑物に復せんとす是に於て上流人士の着實家が自ら世を憂ひて新たに奇説を流布し社會の秩序安寧を保たんと欲する老婆心の結果は裏面より意外の方向に轉し安寧の極は淹滯となり進歩改良の風を失ひ四十年前の蠻民を氣取り蠑螺殻中の小天地に退居して自ら喜ぶの時既に漁人の手に在るも知る可らず恐れざる可しや上流人士の婆心果して我々を利す可きや吾輩は唯其反對を恐るゝ者なり

以上吾輩の言は數十百年の後を想像したる小説に非ず現に我日本國中の過半に流布波及したる状況なり故に郷先生は起て生徒を集め大學章句を講し號して脩身齊家の道と云ひ武藝家は劍術槍術弓馬の道塲を開き門弟を招き稱して護國攘夷の具と爲し茶道を温習し和歌詩文を吟誦し呼て士君子雅遊の事と謂ふ是他、日常の器物儀式交際の風習に至る迄次第に復古の傾向を現はし外國品は便なるも之れを措き内國品は不便なるも之れを珍重するの偏窟家あり内人の爲す事は拙と雖とも之れを賞し外人の行ふ事は巧と雖とも之れを斥くるの自尊者あり要するに日新進歩繁多錯雜の世に倦み文明長歩の世界に幽閑なる生活を送らんと欲するは我邦今日の人心にして其結果は漸く實物の現象に現はれんとするものなり論者が鐵道電信郵便等の事を引きて文明の進歩を證せんとすと雖とも既に人心に退歩の傾向あるを如何せん夫れ魚の爛するは必ず先づ臓腑よりす社會の衰退するは必ず先づ其人心よりす幾を知るの神智あるもの必ず當さに憂る所知る可きなり

論者又曰く東洋古來の道德は眞に治國教化の要具となす故に此道德主義を社會に傳播普及して人心を正さんとするは則ち固有の長所を存して我社會の基礎を固うするものなりと吾輩甚だ其説に疑あり抑々我邦道德の衰退して人々德義を重せざるが如き風あるは實に論者と倶に歎す可しと雖とも之れを救ふに其道を以てせず直に支那三四千年前の舊主義を採用したるは甚だ奇怪と謂はざる可らず試みに論者に問はん此道德主義を以て我社會を前代の社會と爲さんとする歟論者若し然りと曰はゝ吾輩復た何をか曰はん若し否然らず社會は日新進歩せんことを欲し道德は舊時の主義に復せんことを欲すと曰はゝ吾輩將さに其望む所と爲す所と相反するを笑はざる可らず夫れ道德は人心を制馭するものなり而して人心は社會の發動力にして百般事物皆人心に從ふて運動するものなり故に人心は緩漫にして社會は活動せんことを望む豈啻に木に縁り魚を求むるの類のみならんや彼の支那主義なるや人心を閑散にし世道を淹滯せしむるを免れず其教ゆる所は大抵仁義五常の道と唱へ言必ず先王を稱し行必ず古聖に則る故に新奇を求むるを禁し異説を立つるを阻み要は人民をして古代蒙昧の蠻民僅かに酋長の支配に從ひたる時の如くならしめ社會をして前進するを欲せず却て之か後退するを務む故に此道德主義は唯安寧を保持するのみにして進歩を奨勵するものに非ざるなり

維新以來我國の文明は實に長歩せりと雖とも猶西洋二百年來の文化に及はざる遠し又我文明長歩を以て自ら誇ると雖とも同年間に西洋文明の長歩せるは我れに優るあるも知る可らず嘗て米國西州の某氏久しく我國に客遊し維新以來我社會の變化を目撃せし者あり其歸國するに當り吾輩問ふて曰く君は我邦近時文明進歩の急速なるを驚かるゝならん又始めて來れる時と今去る時と其變化如何ぞやと某氏答て曰く足下の言眞に然り然れとも予が郷里金山州(カリフオルニヤ)の如きは同年間に其進歩の速度は日本社會の進歩よりも一層著るきなるべしと是言を推すも我文明の長歩急速なるは日本に在て未曾有となすも世界に在ては其例なきに非ず西洋諸國は二百年來繁養するあるの文明にして猶此急進長歩をなして止まず我邦は廿年来の速成文明にして其進歩の速度は遂に彼に及はざるならんとす到底彼れと並馳するの時なきも知る可らず而して彼我文明の度に高下ある時は決して彼我國權の同等對立するを望む可らず是識者の深く憂ふる所以なり然るに此繁忙無比の世に當り我人民をして益々懈怠せしめんとする者あり奈何んぞ吾輩其説に疑なきを得んや蓋し論者の崇敬する道德主義にして若し我社會を覊束せば人心に著るき結果を生し益々列國交際の法に暗く文明進歩の途に倦むに至らん此時に當り果して我國家を維持するの策ありや論者必ず先づ茲に反省せざる可らず是故に論者幸に人心を淹滯するは社會の進歩を阻隔するの結果ある支那主義の道德は人心を淹滯するの弊害あるを悟り今日古學をして我邦に其勢を逞する無きに至らしめば邦家の幸福たる必ず尠少に非ざるなり

豊濱君の言深切緻密時勢を憂るの情紙面に溢れて見る可しと雖とも全編の主眼とする所天下の人心既に退歩に屬したりとは或は過慮に非ずや我國の大勢は既に開進の方向に決して動搖す可きものに非ず但両三年前より聊か風潮の變常を見るが如きは其原因の在る所深きにも非ず又廣きも非ず社會某部分の二三者が一時の發意にて古風を唱れば一時これに雷同する者なきに非ざれども其之れに雷同するや眞に心に悦を盡力する者は所謂社會の老朽にして實際の用を爲す可き有力者に非ず其他苟も心身の活動する人物にして古風論を喋々するものは唯一座臨機應變の外装たるに過ぎず故に今後歳月を經るの間に老朽者は眞に老朽し去る可く又彼の外面扮装の輩は其變化固より容易なるべければ此輩が一時の喋論は社會の小波瀾として深く憂るに足らず唯我輩は折節其言行の甚しきものを聞見して局處に之を咎ることもあるのみ君の深意も蓋し此邊に在ることならんと信すれとも敢て編末に蕪言を附して高案を乞ふ

時事新報記者