「明治十六年歳晩の感」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「明治十六年歳晩の感」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

明治十六年歳晩の感

烏兎匆々明治十六年も早く既に十二月廿九日となり本年の日子は僅かに今二日を餘し當社時事新報も本日を以て今年の發兌納めと致したり來る明治十七年は一月四日の初摺より再び又看客諸君と紙上に相見るの榮を得べきなり

我輩は舊年を送りて新年を迎ふるの際に當り過去一年間の我日本社會の事歴を回顧して聊か感慨する所なきにあらず我輩は明治十六年の歳首に於て前途に希望する所を陳述し希望の數々ある中にも社會の調和と兵備擴張とは日本全國の幸福のために我輩の最も切に希望する所にして最も急施を要するの事なりと云ひたりや然るに明治十六年の一月より其十二月に至るまで日出で日沒し雨和らぎ風順ひ歳晩の今日無事に一年の日子を經過し了りたりと雖とも我輩の希望も亦共に大に達することを得たりしや否やと尋るに其希望未た滿圓ならすして我輩は尚ほ甚た殘心の情あるを哀しまんとするなり

全國政党の議論は今日の實況を以てこれを一年前の有樣に比するに或は其喧しきを減したるの實跡なきにあらず是將た調和の實功を奏して此現象を發表したるものか未た必ずしも然らざるべし全國社會の静謐なる何ぞ獨り政党に限らん農家は米價の下落に辟易して田圃の間に蟄伏し商家は無事閑散日に身代の減少するに辟易して店頭に獨坐大息し工業家は何樣の品を製造するも需用者の少なく物價の過廉なるに辟易して工塲を戸ざして閉居坐食し社會一般何の種類たるを論せず人事皆蕭索静謐ならざるはなし政党政論も亦人事の一部分たるが故に全國不景氣の大風潮に巻き添えられ其聲を収めて聞ゆる所なきが如きも是亦當然の事として恠しむに足らず然れとも其静謐の原因若し果して社會の不景氣に在るものならんには一旦回復の機を得て農工商業再び昌榮するの時期は即ち再び政党政論の喧しきを聞くの時期なりと覺悟せざるべからず我輩は社會の調和に關して今日既に其望を遠せりと公言すること能はざる所以なり

海陸兵備擴張の如き亦大に我輩の希望したる所にし〓爾來我政府が軍艦を新造し陸兵を揶する等の事に着手するを見て其奏功の速かならんことを希ひ鄙見を陳すること幾回なるを知らず目前の一事を例すれば安南事件に關する清佛の葛藤は實に東洋の一大事なり清佛果して交戰せんか我日本の如きは兵を接して嚴正の中立を守らざるべからず或は兩國遂に兵戈に訴ふるに及ばずして此葛藤を和解することあらんか無事平穩は甚た喜ぶべしと雖とも其實を云へば清佛兩國の軍備は唯清佛兩國間の戰爭にのみ用立ちて是を他の一國との戰爭に轉用すべからずと定まりたるものにあらず無事に一局を収結し有事に一局を提起して軍備の運用甚た自在なるが故に今日清佛の葛藤は忽ち變して明日何国との葛藤と爲るやも測るべからず實に今の文明世界に國を立つる者は治に乱に終始兵備の緊要なること水火よりも尚ほ甚しきものあるなり然るに不幸にして今の文明の兵備は其費用甚た莫大なるが故に大に全國人民の協和同力を得るにあらざれば其目的を達すること容易ならず我輩が日本の兵備擴張を希望すると同時に大に又社會の調和を希望して止まざるも決して理由なき空言にあらずと信するなり我輩は政府が兵備擴張に着手するを見て我輩が希望の達するも決して遠きにあらざるを喜ぶの折柄顧みて全國社會の有樣を見るに各業不景氣の甚しき實に我輩が明治十六年の歳首に當りて毫も豫想せざる所のものあり爾來一年の間不景氣の惨毒は益其甚しきを加へ人民の破産倒産、租税怠納延納等の報道續々我輩の耳朶に達し實に心痛の至に堪えず斯る有樣にして此上長く持續せんか全國社會の人事は當分中止するの外に工風なかるべきかと我輩をして日夜憂苦措く能はさらしむるなり

今や明治十六年の歳晩に當りて歳首以來一年間の社會の人事を回顧し我輩の胸中自から悽愴の感に堪えざるものあり嗚呼明治十六年も既に暮れたり知らず來る明治十七年の人事は我輩が今日の此感を拂拭し去らんとするか添加せんとするか