「全國徴兵論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「改正徴兵令」(18840104)の書籍化である『全國徴兵論』を文字に起こしたものです。

本文

緒言

人として身を愛せざる者なし身を愛するの心ある者國を憂ふるの心なかる可らず方今世界各國の交際日に開け月に旺んにして商工農百般の事一として競進の勢あらざるはなし就中兵制軍備の如きは訓練精密到らざる處なし兵備の擴張瞬時も猶豫す可からざるの秋なり苟も我日本國に男子たる者は護國の大義務あることを忘れず奮て精神を此點に注ぎ努めて萬國對峙の力を盡さゞる可らざるなり本編は曾て時事新報に於て先生が全國徴兵のことに關し論ぜられたるものを拔萃せし處なり茲に一言を記して緒言とす

全國徴兵論(附改正徴兵令)

福澤諭吉 立案

中上川彦次郎 筆記

全國兵は字義の如く全國なる可し

我政府にて始めて徴兵の令を布告するときに血税と云はれたることあり

讀者も當時この血税の字面に就て異議なかりしことならん苟も一國を立てゝ他の獨立國に交り内外の不虞に備へんとするには兵力の用意なかる可らず國を護るは國民の義務にして其護國の爲に資財の要あれば國民より之を供す之を租税と云ふ租税を出すのみにては尚未だ足らず必ずしも國中の男子が其筋骨の力を役して直に國用に供せざる可らず即ち徴兵の法にして血税なるもの是れなり我國の陸軍は全國の男子をして悉く兵に役するの法にして苟も封建門閥の制度を廢して國民をして上下貴賤の別なく同一樣の法律の下に立たしむるときは兵役も亦獨り士族以上の事に非ず國民同一樣に其責に任ぜざる可らず全國兵の法は廢藩と共に興りて正に今日の國情に適するものと云ふ可し抑も全國兵の趣旨を簡單に云へば

第一 兵士の數を多くす可きの道を開く事なり封建の時代には士族の數多しと雖ども其人口二百萬に過ぎずして男子は其半數百萬より多からず今全國兵の法にすれば男子の數千八百萬を得べし兵士を取る區域を十八倍に増したるものなり

第二 國役を國中に平等ならしむる事なり廢藩の後は士族に屬する特典は全く廢棄せられて他の三民に異ならず故に農工商とて兵役に服するの務は士族と一樣ならざる可らず日本國中男子と婦人と區分して男子は悉皆服役するの法を定めたるは公平の旨に適ふものと云ふ可し

第三 全國の士氣を振ふて活溌ならしむる事なり封建の世に兵馬戰爭の事を恐れずして勇武なる者は士族に限り、他の三民は兵事を知らず砲聲を聞き兵器を見るも尚且戰慄する程の有樣なりしものが全國兵の法と爲りて國中の男子が徴兵期限の間服役して次第に交代すれば苟も日本國中男子にして兵を知らざる者なきに至る可し士氣を士族に限らずして日本男子に普ねからしむるものと云ふ可し

以上記したる如く徴兵の法は兵を取るの區域を廣くし、全國の男子をして一樣に護國の義務を負はしめ、國中一般に士氣を振起するの旨にして今日の世界中に國を立てゝ其獨立を護らんとするには此法を棄てゝ他に依頼す可き方便ある可らず我輩に於て毫も間然す可きものを見ざるなり然りと雖ども此法果して良法ならば我輩は其善良なる精神を擴達して遺す所なきを希望せざるを得ず左に其次第を述べん徴兵の法は國の爲に良法なり又要用なりと云ふと雖ども其徴に應ずる者の爲に謀れば苦役なりと云はざるを得ず男子生れて滿二十歳に至れば郷里を離れ三年の久しき同一樣の力役に身體を勞して間斷あることなし其身勞は尚忍ぶ可しとするも公共の家屋に起居して公共の人に交り公共の服を服し公共の食を喰ひ郷黨の居家團欒朋友遊戲の快樂を失ひ盡すのみならず服役の其間は陸軍の嚴法に制せられて甚だ自由ならず加之一旦國に事あれば失づ其衝に當り屍を野に晒らして血税の實を終る者少なからず凡そ人間の職業多くして何れも皆多少の危險を帶びざるものなしと雖ども其危險の最も近くして最も明白なるは唯兵士のみなりと云ふも可ならん故に當局者の私に就て考ふれば此苦役を免かれんことを欲せざるものはなかる可し國中の男子等しく欲せざるものならば等しく之を強ふるこそ公平の旨に適ふものならん若しも然らずして男子の一部分をして役に當らしめ之に關せざるが如きは人をして死を以て國を護らしめ我財産生命を全ふしながら己れ自から枕を高うして眠るものに異ならず同國同胞の徳義上に於ても忍ぶ可らざることなり

然るに今日の法に於ては兵役を免かるゝ者甚だ少なからず戸主は免かれ、老親ある長子は免かれ、官員は免かれ、學士は免かれ、無病なるも體格兵役に適はざる者は免かるゝ等にて既に服役す可き男子の大數を沙汰して尚富める者は免役料二百七十圓を拂へば則ち免かる可し斯の如くして實に服役する者は全國男子の少數にして假令ひ徴募の兵員を滿たすに差支はなしと雖ども前の第三條に掲げたる徴兵の一令を以て全國の士氣を振興し國中の男子をして悉く武邊に慣れしめんとするの目的に達するは或は難きことならん遺憾に堪へざるなり抑も戸主は一家の主人にして家を治ること大切なり、親に事るは孝行の道にして孝は百善の本なり、官員は既に天下の公用に心身を役するものにして官途の事甚だ重し、學士は文を以て國に盡すものなれば恰も分業の姿にして文も亦甚だ貴し云々と云へば何れも之を聞て一理あらざるはなしと雖ども一國の兵を以て内外の憂患に備へ又これに當るは一家にて火災盜賊に用心し又事に臨て之を働くものに異ならず然るに今一富豪の家に雇はれたる者共が火災盜難を防がんとする時に當て通ひの番頭は別家の戸主なるが故に主家防禦の人數中に加はらず其次は壯年なれども老親あるが故に人數中に加はらず其次は專ら帳場を用に忙はしきが故に亦然り其次は最も算筆の藝に達したるが故に亦然りと次第に數へて僅に新參の若者のみを殘し他は皆袖手して家の大事を傍觀す可きや讀者も其不可なるを知ることならん家にして不可なり國にして可ならんや我輩は全國兵の全の字を其字義の如くにして實際に全國ならしめんことを祈る者なり

前節に云へる如く今の徴兵令にては戸主は免かれ、老親ある長子は免かれ、官員は免かれ、學士は免かる、純然たる全國兵の字義に從へば既に已に公平を失ふものなれども成法の許す處なれば姑く之を公平なりとするも民間の事實に於て尚甚だしき不公平あり即ち徴兵遁なるもの是れなり抑も此徴兵遁の字面は國民の苟も筆にす可きものに非ず口にす可きものに非ざるは法律上に於ても徳義上に於ても明白なりと雖ども今日の實際に之を筆し之を語て殆ど怪しむ者もなく又恥る者もなきが如きは其詐僞既に民間の習慣を成して通用の廣き明證と云ふ可し徴兵遁の方略一樣ならず分家の策あり養子の策あり絶家相續の策あり假に小吏たるの策あり官立公立の學校に入て卒業免状を得んとするも其内實は徴兵の爲にするものあり尚甚しきは年老して貧窮なる者が一錢の財産なきにも拘はらず其戸籍を利用して養子を求れば他家の二三男は私に多少の錢を投じて徴兵遁の便を買ふ者ありと云ふ故に名は養子にして其實は養父の所在をも知らず戸主にして家なし、老親を養ふ者にして親の面を知らず、人事の沙汰の限にして啻に徴兵令の爲に不都合のみならず全國戸籍の實を錯亂するの恐なきに非ず政府にても是等の惡弊を知られたることならん徴兵令の改正を以て稍や嚴密を加へたるが如くなれども法令隨て密なれば之を遁るゝの惡策も亦隨て巧にして殆ど底止する所を知らず結局我輩の所見にては全國の男子を包羅して一人も漏らすなきの一法を定るより他に依頼す可きものあらざるなり

右の次第なるを以て我輩は全國兵の眞の主義に從ひ國中の男子は戸主も嫡子も學士も官員も一切これを免さずして服役せしめ假令ひ其體格兵士に適合せざるものにても苟も白癡風癲又は廢疾不具にして尋常一個人の業を執ること能はざるものゝ外は直に兵に役する歟又は兵役税を納めしめんと欲するものなり盖し爰に免税料と云はずして免役税の字を用ひたるは彼の血税の税の字を轉用したるものにして全國兵の主義に税とあれば即ち國税にして全國の男子皆これを負擔するの義務なかる可らざるが故なり且現行の免役料は國中の二三男以下偶ま身體の倔強なる者に限りて兵に役せられんとし之を免かるゝが爲に直に其本人より出すものにして戸主又は嫡子ならば格別なれども家もなく財産もなき二三男の身分に二百七十圓の金は負擔の重きものと云はざるを得ず若しも此免役料を税と視るときは有産の戸主は税を免かれて却て無産の二三男に負擔せしむるの實を見る可し國税の性質に非ざるなり故に寧ろ免役料の名に代るに兵役税の文字を以てして全國の男子唯皇族を除くの外一名も免すことなく生れて二十歳に至れば三ヶ年の間身躬から役に服する歟、然らざれば三ヶ年の問兵役税を納めしめて其常備軍役を免すること公平至當の法ならんと信ず右の主義果して公平至當ならば其實施の法を案ずるに統計年鑑明治十三年人口の調に全國の男子二十年以上五十年未滿の者七百五十八萬五千百三十八名とあり之を三十分して其割合は少者の方多かるべきが故に滿二十年の者は大數二十六萬と假定し此内十分の一即ち二萬六千は白癡風癲不具癈疾の者として殘二十三萬四千の數あり又此内より現役に服するものを三萬三千とすれば(常備凡そ十萬の豫算)殘の大數二十萬あり即ち服役せずして兵役税を拂ふ可き者の數なり二十年の者二十萬なれば二十一年二十二年の者も各二十萬にして合計六十萬の免役者をして兵役税を納めしむること各金五圓と定るときは毎年三百萬圓の金を得べし此金を以て現役者三萬三千の毎年除隊する者に給與すれば一名に付凡そ百圓の割合なる可し即ち兵士は三年の苦役に百圓の金を携へて故郷に歸るが故に自から又生計の緒に就くを得べし顧て免役者の有樣を見れば三ヶ年の間に十五圓を拂ふのみにして苟も家産ある者には苛重の責に非ず假令ひ苛重なりと云ふも恰も他人の快樂と生命とを買ふて自から免かるゝものなれば毫も不平の訴ふ可きものなし或は貧家の戸主子弟の如き之に堪へずと云ふ者もあらんなれども現役に服するも家に勞するも區別ある可からず如何なる男子にても不具癈疾に非ずして二十年より二十二年の間に強健の身體を以て自から勞する歟又は他人に雇はれても一年に五圓の金を得るは至難の事に非ず、身自から徴兵の現役に服するの覺悟を以て勞役す可きは無論のことにして同國同胞の義務に於て免がるゝの路ある可らざるなり

前年福岡縣下にても有志者の商議にて徴兵の責を全國の男子へ平等に負擔せしめんとの趣意を以て大政府へ建言を企てたりと云ふ或は又聞く所にては全國の事は姑く擱き其地方一郡にても協議を以て全郡に其負擔を等分せんとの議を起し粕屋郡にては本年より之を實施することに決したりと云ふ其趣意は本文と大同小異唯護國の義務を一樣に分ち漫に苦役を遁れんとする惡弊を除て現役に服する者に厚うせんとするの旨に外ならず左れば本編の所論は獨り我輩の發意に非ず日本國中説を同ふする者は既に多きことならんと信ず

以上所記の法に從ひ之を施行したる上にて其實際如何を案ずるに方今二百七十圓の金を出して尚免役を願ふ者ある其最中に僅に十五圓を拂ふて可なりとあれば國中徴募に應ずる者なかる可しとて掛念する者もある可けれども我輩の所見は之に異なり天下に閑散の壯年甚だ多し彼の巡査を見るに一月に十圓内外の給料を收領して眠食を自費にし獨身にても毎月殆ど餘ます所のものなかる可しと雖ども志願の者は常に絶ることなし左れば兵士が衣服眠食の費を一切官に仰ぎ毎月些少の錢を得て遊歩等の雜費に供し私費とては一錢を失はずして三ヶ年の役を終れば凡そ百圓の金額を抱て故郷に歸る可し苦役固より苦なりと雖ども巡査と伯仲の間にして百圓の金員は則ち貧家の子弟に於て連城の壁なり我輩は必ず現役人に乏しからざるを信ずる者なれども萬々一も其乏しきを覺へたらば兵役税の十五圓なるものを少しく増して滿年給與の金額を多くす可きのみ其事甚だ易し之に反して我輩が信ずる如く却て現役に應ずる者多きに過ることあらば從前兵士の身の丈を五尺以上に限りたるものを増して五尺三寸と爲し又五尺五寸と爲し以て其以下の者を除去すれば自由に其人數を限るの方便と爲り幸にして我常備兵士に一層の壯觀を増す可し之を一見しても心地よきことにこそあれ左れば徴に應ずる人員の多寡は毫も苦慮するに足らざるなり

又爰に一ヶ條の差支は右の如く兵役税十五圓を以て免役す可きものなれば富家の戸主子弟が此金を愛まざるは無論官員も學士も其他苟も貧家の壯年にして兵役を以て金を得んと欲する者を除くの外は悉皆錢を投じて苦役を遁るゝや必然の勢にして國中の兵を知る者は唯貧者に限り他は自然に文弱に流るゝなきを期す可らず元來全國兵の法に最も大切なる目的は前節第三條に云へる如く國中一般の士氣を振興して武邊に慣れしむるに在るのみ然るに國民の一般を兵に用ひて一半を放却するが如き勢に立至りては全國兵の大主義に背くものなりとの説あり此差支は最も大なるものにしてこれに就ては我輩初より考ふる所なきに非ず抑も我輩が兵役税を以て免役するとは唯其三ヶ年間の常備軍役を免するのみにして全く兵事の關係を解くの意に非ず假令ひ兵役税を拂ふたる者にても二三ヶ月の間は必ず調練せしむること要用なる可し例へば國中に常備軍役を免かれたる者二十萬人ありとすれば三ヶ月の間は屯營に眠食せしめ戎服を服せしめ戎器を授け純然たる兵士の取扱を受けしめて家に還す可し固より此三ヶ月にて調練に上達することは難かる可しと雖ども大小銃砲を取扱ひ或は騎馬或は體操、目に白刃を見て耳を砲聲に慣らす等柔弱の心情を驚破して勇武の氣を養ひ他日事に臨て必ず用に適すべし即ち全國兵の大眼目なり但し二十萬の兵員を一年に三ヶ月調練するには常に五萬人を容る可き屯營を設けて戎器戎服等一切の需要品を備へざる可らず固より各地方の者を一處に喚集す可きに非ざれば國中便利の地を撰び幾十幾百の屯營調練所を設けて之を教ふること要用ならん、或は官員其他の者にも一年の間に必ず三ヶ月の暇を得ること難き者もある可し或は當病にて差支の者もある可し若しも然るときは毎年一ヶ月づゝ三年合して三ヶ月にするも可ならん或は滿二十歳より二十九歳を限り十年の間不得止差支の年は次第に送りて必ず其中の一年は三ヶ月の入營を命ずるも可ならん唯事の宜しきに從て處置す可きのみ

右は唯我輩が机上の立案にして今の陸軍の事情さへ詳に知らざる程のことなれば實際に臨ては必ず差支もある可し例へば兵役税毎年五圓にして三ヶ年十五圓の金額は適宜なる歟、常備兵員滿年の給與は百圓にして適宜なる歟、免役者を入營せしむる日數は三ヶ月にして十分なる可き歟、其入營の間は固より官費を以て眠食せしむべしと雖ども旅費の如きは自瓣たるべき歟、又は入營費も其一部分は本人に負擔せしむ可き歟云々の談に至ては固より陸軍當局者の實地經驗に從て其法を制定せざる可らず唯我輩の所望する處は全國兵の大主義に據り日本國中に生れたる男子は其職業の如何を問はず、其家族の有樣を問はず、貧富を問はず、貴賤を問はず、一樣平面に護國の責を負擔せしめんとするに在るのみ言少しく重複に屬すれども今日徴兵の現情を見よ戸主は免役と云ふ其戸主の戸は何れに在るや家なく産なく他人の家に寄食する者にても戸主は則ち戸主にして傲然たる者多し、長子は親を養ふが爲に免役と云ふ其親は巨萬の富を有して錦衣玉食これを養ひ之れに事る者は妻あり又妾あり長子に何の用かあらん、之に反して貧苦極り僅に子供の力役に依て老親を養ふものは兄弟協力するも尚足らずと雖ども其弟は則ち次男にして服役せざるを得ず、官員は免役、學者は免役とは國の爲に別に盡す所あるが故なりと雖ども凡そ國民として營業するときは一は私の爲にして一は自から國益たらざるものなし此點より視れば官途も學問も一種の營業たるに過ぎす等しく國中の營業者にして厚薄の別ある可らず況んや本編の案に從へば免役を欲して之を得ること甚だ易し僅に一年數圓の金を出して數月入營の苦役ある可きのみ日本男子の身體に苦痛と名く可き程のものに非ざるなり

又終に云ふ可きものあり本編の案に從ふときは二十萬の常備免役者を三ヶ月間訓練するが爲には平均常に五萬人を入營せしめ其營所武器戎服等の用意より訓練の士官を命ずる等陸軍の組織は今に比して一倍す可きことなれば又例の如く費用如何の問題に到着するは固より必然なれども我輩の所見は平生より今の陸軍を以て滿足するものに非ず之を擴張するには費額を増すこと當然の數なりと信ず日本國民の資力果して今日より一歩を進ること能はざる歟、封建の時代には四十萬家族の兵士を養ふたるものが今日は人民自由殖産の道次第に進むに從ひ資力は次第に減却して十萬の兵をも常に備ること能はず五萬の兵をも訓練する事能はざる歟怪しむに堪へたり、然りと雖ども世の中には怪しむ可きもの多きが故に一時は其怪しきまゝに擱くも到底擴張の道に進む可きものと覺悟を定めたらば今より速に計畫する所あらんこと祈望に堪へざるなり

右は我輩が昨明治十六年四月五日より同七日まで時事新報の紙上に分載して論じたることありしが時運の然らしむる處なるか我政府は同年十二月二十八日第四十六號を以て大に徴兵令を改正して布告せられたり之を左に掲げんに

改正徴兵令

第一章 總則

第一條 全國の男子年齡滿十七歳より滿四十歳迄の者は總て兵役に服す可きものとす

第二條 兵役は陸軍海軍共に常備兵役後備兵役及び國民兵役とす

第三條 常備兵役は別ちて現役及び豫備役とす其現役は三個年にして年齡滿二十歳に至りたる者之に服し其豫備役は四個年にして現役を終りたる者之に服す

第四條 後備兵役は五個年にして常備兵役を終りたる者之に服す

第五條 國民兵役は年齡滿十七歳より滿四十歳迄の者にして常備兵役及び後備兵役中に在らざる者之に服す

第六條 各兵役の期限已に滿ると雖ども戰時或は事變に際するとき若くは臨時に演習或は觀兵の擧あるとき若くは航海中或は外國駐剳中は其期を延すことある可し

第七條 重罪の刑に處せられたる者は兵役に服することを許さず

第二章 服役

第八條 陸軍現役兵は毎年所要の人員に應じ壯丁の身材藝能職業に從ひ歩兵騎兵砲兵工兵輜重兵及雜卒職工に區別し抽籤の法に依り當籤の者を以て之に充つ海軍現役兵は海軍所要の人員に應じ沿海地方及び島嶼の人民を調査し海軍に適する職業に從ひ水兵火夫職工等に區別し抽籤の法に依り當籤の者を以て之に充つ但し海軍志願兵徴募規則に依り就役する者は本令の限に在らず

第九條 陸軍雜卒の現役期限は其職務に因り之を短縮することある可し但し常備兵役の全期は之を減ずることなし

第十條 年齡二十歳に滿たずと雖ども滿十七歳以上の者は現役を志願することを得

第十一條 年齡滿十七歳以上滿廿七歳以下にして官立府縣立學校(小學校を除く)の卒業證書を所持し服役中食料被服等の費用を自辨する者は願に因り一個年間陸軍現役に服せしむ其技藝に熟達する者は若干月にして歸休を命ずることある可し但し常備兵役の全期は之を減ずることなし

第十二條 現役中殊に技藝に熟し行状方正なる者及官立公立學校(小學校を除く)の歩兵操練科卒業證書を所持する者は其期未だ終らずと雖ども歸休を命ずることある可し

第十三條 豫備兵は戰時若くは事變に際し之を召集し常備隊を充實し又補充隊に編制す平常に在ては技藝復習の爲毎年一度六十日以内之を召集し又兵員實査の爲め毎年一度點呼を爲す但し海軍豫備兵は技藝復習の爲め召集することなし

第十四條 後備兵は戰時若くは事變に際し豫備兵に次で之を召集し常備兵の後援と爲す平常に在て其技藝復習の爲めに召集し及び兵員實査の爲めに點呼を爲すこと豫備兵に同じ

第十五條 國民兵は戰時若くは事變に際し後備兵を召集し仍ほ兵員を要するときに限り之を召集し隊伍に編制して軍役に充つ

第三章 免除及び猶豫

第十六條 兵役を免除するは癈疾又は不具等にして徴兵檢査規則に照し兵役に堪へざる者に限る

第十七條 左に掲ぐる者は徴集を猶豫す但し其年補充員不足するとき又は戰時若くは事變に際し兵員を要するときは之を徴集す

第一項 兄弟同時に徴集に應ずる者の内一人及び現役兵の兄或は弟一人

第二項 現役中死沒又は公務の爲め負傷し若くは疾病に罹り免役したる者の兄或は弟一人

第三項 戸主年齡滿六十歳以上の者の嗣子或は承祖の孫

第四項 戸主癈疾又は不具等にして一家の生計を營むこと能はざる者の嗣子或は承祖の孫

第五項 戸主

第十八條 左に掲ぐる者は其事故の存する間徴集を猶豫す

第一項 教正の職に在る者

第二項 官立府縣立學校(小學校を除く)の卒業證書を所持する者にして官立公立學校教員たる者

第三項 官立大學校及び之に準ずる官立學校本科生徒

第四項 陸海軍生徒海軍工夫

第五項 身幹未だ定尺に滿たざる者

第六項 疾病中或は病後の故を以て未だ勞役に堪へざる者

第七項 學術修業の爲め外國に寄留する者

第八項 禁錮以上に該る可き刑事被告人と爲り裁判未決の者

第九項 公權停止中の者

第十九條 官立府縣立學校(小學校を除く)に於て修業一個年以上の課程を卒りたる生徒は六個年以内徴集を猶豫す

第二十條 左に掲ぐる者は豫備兵に在ると後備兵に在るとを問はず復習點呼の爲め召集することなし但し戰時若くは事變に際しては太政官の決裁を經て召集することある可し

第一項 官吏(判任以上)及び戸長

第二項 教導職(試補を除く)

第三項 官立公立學校教員

第四項 府縣會議員

第五項 官立府縣立醫學校の卒業證書を所持して醫術開業の者

第二十一條 官省院廳府縣に於て餘人を以て代ふ可からざる技術の職を奉ずる者は太政官の決裁に依て徴集を猶豫することある可し

第二十二條 左に掲ぐる者は第十七條に照して徴集を猶豫するの限に在らず

第一項 附籍戸主及び附籍戸主の嗣子或は承祖の孫

第二項 癈疾又は不具等にして一家の生計を營むこと能はざるに非ず或は重罪の刑に處せられたるに非ずして嗣子承祖の孫若くは相續人を罷め更に定めたる嗣子承祖の孫

第三項 年齡六十歳未滿の戸主癈疾又は不具等にして一家の生計を營むこと能はざるに非ず或は重罪の刑に處せられたるに非

ずして戸主を罷め年齡六十歳以上の者にして其跡を繼ぎたる戸主の嗣子或は承祖の孫

第四項 分家し又は絶家若くは廢家を再興したる戸主及び其戸

主の嗣子或は承祖の孫

第五項 嗣子承祖の孫失踪して五個年を經ざる者の跡に定めたる嗣子承祖の孫

第六項 第二項第三項第四項に當る嗣子或は承祖の孫にして戸主癈疾又は不具等にして一家の生計を營むこと能はざるに非ず或は重罪の刑に處せられたるに非ずして戸主を罷め其跡を續ぎたる戸主

第七項 年齡六十歳未滿の者癈疾又は不具等にして一家の生計を營むこと能はざるに非ず或は重罪の刑に處せられたるに非ずして戸主を罷め其跡を繼ぎたる戸主

第八項 嗣子承祖の孫又は相續人癈疾又は不具等にして一家の生計を營むこと能はざるに非ず或は重罪の刑に處せられたるに非ずして戸主の死亡跡若くは戸主を罷めたる跡を繼がず他の者にして其跡を繼ぎたる戸主

第九項 戸主失踪して五個年を經ざる者の跡を繼ぎたる戸主

第二十三條 第十八條第一項第二項第三項第四項(陸海軍生徒を除く)第十九條第二十一條に當る者と雖ども第三十五條に示したる徴兵各自屆出期限即ち九月十六日以後に係る者は徴集を猶豫するの限に非ず

第四章 徴兵區及び抽籤

第二十四條 徴兵區は軍管師管及び府縣の區域に從ふ其軍管に從ふものを軍管徴兵區と爲し師管に從ふものを師管徴兵區と爲し府縣に從ふものを府縣徴兵區と爲す但し府縣の管地兩師管に分屬するものは師管毎に一區を設く軍管及び師管の徴兵區域は別表に掲ぐ

第二十五條 各鎭臺に屬する歩兵は其師管徴兵區限り其他の諸兵は其軍管徴兵區限り之を徴集す但し現役徴員及び其補充員不足するとき歩兵は他の師管其他の諸兵は他の軍管徴兵區より之を補ふ海軍及近衞の諸兵は各軍管徴兵區に配當して全國より之を徴集す

第二十六條 抽籤は各府縣徴兵區限り之を行ふものとす府縣徴兵區に於ては其區壯丁の身躰檢査終りたる後兵役に適す可き人員の身材職業に從ひ兵種を區別し番號を定め抽籤せしむ

第二十七條 籤は一郡區毎に籤丁の人撰を以て一名乃至三名の總代を出して之を抽かしむ

第二十八條 抽籤の法は籤丁の數に應じ籤札に兵種番號を記し籤箱に納れ籤簿掛の面前に置き籤丁名簿の順序に從ひ其氏名を呼び總代人に之を抽かしめ籤簿掛は抽籤の正否を監し抽き擧ぐる所の番號を高聲に呼ばしめ其籤札を受取り籤簿に氏名番號を記し籤札は總代人に交付す第二十九條 籤は其番號現役徴員の數に滿つる迄を以て現役籤と

し其餘を以て補充籤とす

第五章 補充員及び豫備徴員

第三十條 補充員は補充籤を抽きたる者を以て一個年間之に充つ其期限内現役兵缺員するとき又は戰時若くは事變に際し兵員を要するとき其番號の順序に從ひ之を徴集す補充員の數は概ね現役徴員五分の二より少からざるものとす

第三十一條 補充員にして其期限内徴集の命なき者及び第十八條

第三項の生徒にして二個年以上の課程を卒りたる者は年齡滿二十七歳迄之を第一豫備徴員とす

第三十二條 第十七條に當る者にして其年徴集の命なき者第十八條第廿一條に當る者にして七個年間其事故の存する者及び第一豫備徴員を終りたる者年齡滿三十二歳迄は之を第二豫備徴員とす但し第十七條に當る者第二豫備徴員と爲りたる後六個年間に該條に掲ぐる資格を失ひたるときは現役に徴集す

第三十三條 豫備徴員は戰時若くは事變に際し兵員を要するとき之を徴集す但第二豫備徴員を徴集するは後備兵を召集するときに限る

第六章 雜則

第三十四條 毎年一月より十二月迄に年齡滿十七歳と爲る者は其年の九月一日より同月十五日迄に戸主(本人戸主なれば自身以下戸誕生の主とあるもの皆同じ)より本人の氏名族籍住所年月日及び職業を記載し本籍の戸長に屆け出可し

第三十五條 毎年一月より十二月迄に年齡滿二十歳と爲る者は其年の九月一日より同月十五日迄に書面を以て戸主より本籍の戸長に屆け出可し若し屆出の後翌年四月十日迄に異動を生じたるときは其事由を詳記し三日以内に本籍の戸長に屆出可し但し二十歳未滿にして現に服役する者は屆出るに及ばず

第三十六條 第十七條に當る者其資格を失ひ第十八條第十九條第二十一條に當る者其事故止み及び第三十二條但し書に當る異動を生じたるときは其事由を詳記し其年の九月一日より同月十五日迄に戸主より本籍の戸長に屆出可し但し九月十六日以後翌年四月十日以前本條に當る者は三日以内に本籍の戸長に屆出可し

第三十七條 他の府縣に寄留する者其地に於て徴集に應ぜんと欲するときは其地に居住する者(戸主)を以て證人と爲し八月十五日迄に戸主より其旨を本管廳に願出可し但し第三十五條の屆書は寄留地の戸長に差出す可し

第三十八條 現役兵在營在艦中は定額の日給を與へ服食等を給す

第三十九條 疾病或は犯罪等にて期限に際し入營し難き者は其事由を詳記し其疾病に罹る者は醫師の診斷書を添へ即日戸長に屆出可し其事故止むとき亦同し

第四十條 第三十九條に掲ぐるもの其年九月一日に至るも事故猶止まざるときは之を翌年廻しの者と爲し翌年更に檢査を遂げ他の徴員に先ち徴集す可し但し戰時若くは事變に際し兵員を要するときは翌年徴集の期を待たず徴集す

第四十一條 兵役を免れんが爲め身體を毀傷し疾病を作爲し其他詐僞の所爲を用ひ又は逃亡若くは潛匿したる者又は正當の故なく檢査所に參會せず又は第三十五條第三十六條の屆出を怠りたる者は抽籤の法を用ひず直ちに現役に徴集し又は翌年檢査を遂げ第四十條に掲ぐるの者に先だち抽籤の法を用ひず徴集す

第四十二條 常備現役年期の計算は總て其の入營年の四月二十日(第四十一條に掲ぐるものは入營の當日)より起算し豫備役および後備役年期の計算は其定例編入す可き年の四月二十日より起算す但禁錮の刑に處せられ又は監視に付せられ又は逃亡したる者其刑期中の日數および逃亡中の日數は服役年期に算入せず

第四十三條 第三十四條第三十五條第三十六條第三十九條の屆出を爲さゞる者及び檢査時日の指定を受け正當の故なく其場所に參會せざる者は三圓以上三十圓以下の罰金に處す

第四十四條 兵役を免れんが爲め逃亡し又は潛匿し若くは身體を毀傷し疾病を作爲し其他詐僞の所爲ある者は一月以上一年以下の重禁錮に處し三圓以上三十圓以下の罰金を附加す

第四十五條 本令施行の爲に要する規則は別に布達を以て之を定む

軍管 師管 國名

第一 第一 武藏の内 麹町區牛込區 神田區小石川區 日本橋區本郷區 京橋區下谷區 芝區淺草區 麻布區横濱區 赤坂區荏原郡 四谷區南豐島郡

豐島郡都筑郡 南足立郡新坐郡 北足立郡入間郡 東多摩郡高麗郡 西多摩郡比企郡 南多摩郡横見郡 北多摩郡秩父郡 久良岐郡兒玉郡 橘樹郡那珂郡

賀美郡榛澤郡 大里郡男衾郡 旛羅郡 相摸 甲斐 伊豆 上野 信濃の内 南佐久郡埴科郡 北佐久郡更科郡 小縣郡上高井郡

下高井郡 上水内郡 下水内郡

第二 武藏の内 本所區北葛飾郡 深川區南埼玉郡 南葛飾郡北埼玉郡 安房 上總 下總 常陸 下野

第二 第三 陸前の内 仙臺區柴田郡 名取郡 磐城 員代 羽前 越後 佐渡

第四 陸前の内 宮城郡栗原郡 黒川郡登米郡 加美郡本吉郡 志田郡桃生郡 玉造郡牡鹿郡 遠田郡氣仙郡 陸中 陸奧 羽後

第三 第五 尾張の内 名古屋區海東郡 愛知郡海西郡 葉栗郡知多郡 中島郡 信濃の内 東筑摩郡北安曇郡 西筑摩郡上伊那郡 南安曇郡下伊那郡

諏訪郡 三河 遠江 駿河 伊勢 志摩 紀伊の内 南牟婁郡北牟婁郡

第六 尾張の内 東春日井郡丹羽郡 西春日井郡 美濃 加賀 能登 越中 飛彈 越前

第四 第七 攝津の内 東區北區 西區東成郡 南區住吉郡 紀伊の内 和歌山區伊都郡 名草郡有田郡 海部郡日高郡 那賀郡東牟婁郡

西牟婁郡 山城 大和 河内 和泉 近江 伊賀

第八 攝津の内 神戸區八部郡 西成郡菟原郡 島上郡武庫郡 島下郡川邊郡 豐島郡有馬郡 能勢郡

播摩 淡路 若狹 丹波 丹後 但馬 美作 備前 因幡 伯耆

第五 第九 安藝 備後 備中 出雲 石見 隱岐 周防 長門

第十 阿波 讃岐 伊豫 土佐

第六 第十一 肥後 日向 大隅 薩摩 沖繩

第十二 豐前 豐後 筑前 筑後 肥前 壹岐 對馬

第七 渡島 後志 石狩 天鹽 北見 膽振 日高 十勝 釧路 根室 千島

軍管は軍團の諸兵師管は師團の諸兵を徴集す

徴兵は現今沖繩縣に之を行はず北海道に於ては第七軍管の鎭臺を設くる迄函舘縣管下

函舘江差福山三個所を限り之を行ひ第二軍管の管轄に屬せしむ

今これを拜讀するに全く我輩の宿論に符合するには非ざれども舊令に比すれば頗る徴集の區域を廣くして隨て平等連帶の主義も遠きに達したるものなれば我輩は此新令の布告を見て政府の美擧なりと贊成せざるを得ず舊令に癈疾不具の者、及び懲役一年以上國事犯禁獄一年以上實決の刑に處せられたる者をば除役して戸主、獨子、獨孫、年齡五十歳以上の者の嗣子、養子、或は承祖の孫等は國民軍の外兵役を免し、五十歳未滿の者の嗣子、承祖の孫、陸海軍の生徒等は平時に於て之を免し父兄失踪又は癈疾不具等にて産を營む能はざるが爲に獨り僅に一家の生計を負擔する者、又は官立學校に修業一ケ年の課程を卒りたる者、又は學術修業或は商用の爲に外國寄留の者等は一ケ年づゝ徴集を猶豫したる者が新令に於ては全國の男子唯癈疾不具の者のみに限りて兵役を免除し其餘は一切これを猶豫するのみにして免かるゝを得ず戸主、六十歳(舊令五十歳)以上の者の嗣子承祖の孫の如きも戰時若くは事變に際すれば之を徴集し、教正、官立大學校の本科生徒、中學以上の卒業生にして教員たる者、又は學術修業の爲に外國に在る者等と雖ども其事故の存する間のみ徴集を猶豫すとあり又前の如く戸主以下の者に猶豫免役の法ありと雖ども其性質に於て附籍、分家、廢家再興の戸主及び其嗣子承祖の孫は之を免せず云々とて別に條款を掲げ舊令に比すれば頗る綿密を加へて僥倖に免かるゝを許さず俗に所謂徴兵遁の惡習も之が爲めに趾を收ることならん全國の男子連帶の事務を實施して漸く平等に近きものと云ふ可し

右の外改正徴兵令に於て舊令を改めたる箇條は少なからずと雖も其改正の要點は專ら徴集の區域を廣くするの趣旨にして人民の感ずる所も亦唯この一點のみ在るこならん例へば附籍、分家、廢家再興等の事故は免役の效を爲すに足らず海外に寄留する者は商用に兼て力役する者にても從前は唯外に在るの故を以て免役したれども今後は實に學問の爲に外行するに非ざれば無效の者と爲る等此類の數を計へても少なからざることならんなれども就中毎家の嗣子にして其父六十歳未滿の者は悉く服役するの一項と都て免役料を廢したるの一項は甚しき影響にして此二箇條のみにても徴集の兵員に不足を告るの憂なきのみならず其員數は常に多分の餘りを生じ隨ては次第に身幹の定尺をも長くして從前五尺のものは五尺幾寸に改まり軍隊に強壯力を増して自から威風を生ず可きや又疑を容る可らず又免役料を許さずとあれば富貴の子弟にして衣食の艱難を知らず常に軟弱に流る可き者が止むを得ず兵隊に入て恰も身體の教育を蒙り本來其種族に限りて一種無力の習慣を成す可きものをして天下一般尚武の氣風に浴せしむるが如きは之を小にしては本人の一身を健康にするが爲の利益、これを大にしては天下の兵氣を振ふが爲の利益、又これを遠くしては其一身を健康にして其資力を遺傳すれば萬世に人種を改良するが爲の利益と云ふも可ならん昔年封建の諸大名及び堂上公卿の如き永く太平に慣れて兵事を忘れ又これを親らにせず深宮に生々して寒熱痛痒を知らず遂に其精神を弛緩せしめたるのみか身體の資力をも傷り盡して一身に人生の快樂を享ること能はずして禍を子孫に遺し健全なる子を生むことさへ能はざりしは其例證として見る可し啻に大名公卿のみならず時の制度とは云ひながら彼の百姓町人が幾巨萬の財を積むも唯これを肉體の安樂に供するのみにして曾て活溌なる男子の擧動に慣れず砲聲を聞て驚き白刃を見て恐れ騎馬を能せず遊獵を知らず心身共に萎縮して他の輕侮を蒙り眞に字義の如く百姓町人視せられたるも亦一例として見る可し今や我日本には大名公卿なし又百姓町人なし共に是れ大日本國民にして共に自國の獨立を護る可きものなれば改正徴兵の一令以て兵氣の振ふ可き區域を廣くし全國の男子貴賤貧富を問はず共に護國の實役に服するの主義を示したるは之を政府の美擧なりと評せざるを得ざるなり人或は改正令の綿密なるを見て今度の徴兵法は苛酷なりと云ふ者もあらん歟、其は凡俗の愚癡論たるに過ぎず我國の徴兵には定數あり唯財政の許す限りに從て平時は若干の數を備へ有事の時には又若干を増すの法にして其員數は今回の改正令に由て増すにも非ず又減ずるにも非ず左れば今毎年幾萬の兵を徴集する其兵員の出處は全國の男子滿二十歳の者幾十萬人の中より擇ぶことにして從前は其男子にして免役の部分に入る者多きが爲に例へば一萬の數を抽くに十萬中よりしたるものが今後は十五萬若くは二十萬の中より一萬を抽くの割合と爲る可ければ徴兵の法は前に比して酷なるに非ず却て大に寛を加へたるものなり之を喩へて云へば目方百貫目のものを十人にて擔ふと二十人にて擔ふとの別あるが如し今や徴兵の目方は從前に異ならずして其負擔の人數を増したり尚これを酷なりと云ふ可きや我輩其理由の所在を見ず畢竟數を知らざる者の考にして徒に驚く者歟、然らざれば舊令に從て僥倖に免かれたる者が其僥倖を失ふが爲に數理外の不平を鳴らすものに過ぎず是等は事の最も睹易きものにして辯論を費すにも足らずと思へども廣き凡俗社會には意外の説も行はるゝものなれば念の爲に爰に一言を附するものなり

我輩は前節に於て改正徴兵令の美擧たるを贊成したりと雖ども此發令に付き一の願ふ可きものあり又一の憂ふ可きものあり其願ふ可きものとは何ぞや云く徴兵に當るを忌むは世界中人情の普通にして一個人の私に就ては我輩其情を察して深く之を咎めずと雖ども今其これを忌む由縁を尋るに必ずしも苦役の苦を苦しむが爲のみに非ず又必ずしも戰場萬一の死傷を恐るゝが爲のみにも非ず人間世界苦役は甚だ多く又戰爭に勇み進むも壯年男子の血氣にして事あるの日には其出陣を留るに苦しむの例も少なからず左れば今の我日本の國情にして徴兵を快しとせざるは其苦役の實を憚るよりも寧ろ其賤役の名を嫌ふの情に出るもの居多ならんと信ず何故に之を賤役視するやと尋れば從前は免役料の法もあり其他免役す可き箇條も多きが爲に社會上流の人は大抵皆これを免かれて現役に服する者は多くは下流の貧賤なるが故に賤者の位する地は其地も亦自から賤しきが如くに見え上流の子弟は益これを賤しみ之を忌むの情を起し父兄も亦其親愛する子弟を驅て賤役に入るゝを好まず遂に昨日迄の事態に立至りしことならん左れば今日改正の令ありしこそ好機會なれ社會の上流富貴有力の人々は斷然心事を改めて隗より始むるの例に效ひ苟も其子弟の徴兵年齡に當るものは假令ひ父兄又は知人縁故の力を以て見事に之を免かれて成法に背かざるの好方便あるも特に其方便を用ひずして自然に任じ尋常一樣貧賤の子と共に伍を爲して現役に服せしめんこと我輩の冀望に堪へざる所なり兵隊中既に富貴の子を得るときは兵役爰に面目を改めて復た昔日の賤役に非ず人情の働く所決して爭ふ可らざるの事實なり其役既に賤しからざれば憚る可きものは唯肉體の勞苦のみなれども壯年子弟何ぞ其勞に堪へざることあらんや唯數日又數月の辛抱にて之を慣るゝこと甚だ易し斯の如くして漸く良家の子弟服役の門を開き次第に其員數を増すときは兵役も亦一種の榮譽と爲り之を外にして全國の壯年をして自から進で服役の念を起さしめ之を内にしては隊伍の氣風も自から其品格を尚くして百事に利する所少々ならざる可しと信ず然りと雖ども元來この一事は我輩の願ふ所なれども最も人心の内部に立入りて其主情の所在を犯すものなれば實際に行はる可きや否や之を明言すること甚だ難し唯今回改正令の發行後一兩年を經て兵役簿を調査し之を統計上に計へて我輩の志願を實際に達し有力者の子弟をも往々兵隊中に見ることある可きや或は然らずして今日の言は徒に無益の贅言なりしやを知る可きのみ

又第二に憂ふ可きものとは今回の改正徴兵令が教育上に關するの一事なり第十八條徴集を猶豫する者を掲げて其第二項に官立府縣立(小學校を除く)の卒業證書を所持する者にして官立公立學校教員たる者、第三項に官立大學校及び之に凖ずる官立學校本科生徒とあり又第十九條に官立府縣立學校(小學校を除く)に於て修業一ケ年以上の規程を卒りたる生徒は六ケ年以内徴集を猶豫すとあり以上は兵役を全國の男子に平等にするの法に拘はらず又一方に其法を以て全國の教育を害することなからんとするの旨を以て特例を設けたることならん而して此特例の私立學校に及ばざる者は官立公立なれば小學校以上以下と明に分界を定む可きなれども私立には其大小高下を分つこと難きが故に一抹に之を除去したることならん天下一般の大法を設るに當ては往々免かる可らざるの事例なりと雖ども然りと雖ども方今我國の私立諸學校中隨分盛にして其課程の低からざる者あり其私立校に業を卒りたる書生にして官立公立學校の職員教員たる者常に多きのみならず府縣立の中學校師範學校等にて卒業し又は一時公立學校の教員たりし者にても尚其業を研究せんが爲にとて特に私立學校を擇て入學する者さへ甚だ少なからず其課程の低からずして教育法の整頓したること明に見る可し然るに今天下に私立學校の多くして之を類別するの難きが爲にとて之を例の外にするときは全國に教育の區域を減ずるの不利は決して少々ならざる可し我輩の特に憂る所のものなり或は云く世間の學生必ずしも悉皆徴兵に當る可き資格の者のみに非ず少年にして戸主あり父の年齡六十歳以上の者亦少なからず此輩は私立學校に入るも安んじて業に就く可しとの言もあれども戸主とあれば少年にても家を去ること易からず又多年の實驗に據るに學生にして六十歳以上の老親ある者は就學中にても動もすれば歸省又は退學を促さるゝを常とす徴兵令に於て此二樣の者を免役せしむるも即ち其家を離るゝの難きを推察したるものより外ならず徴兵の爲に身を動かすの難きものは學問の爲に入校するも亦難きこと言はずして明なり論談は姑く擱き現に方今都鄙に脩業して稍や高科の學を學ぶ生徒に就て逐一其身分を調査せよ今度の徴兵令に徴集を免かるゝ者は全數の半よりも少く或は三分の一にも及ばざることならん左れば此徴兵の新令の如くして私立學校の爲に特例の行はるゝことなくんば苟も存立するものは唯舊寺子屋若しくは村夫子の家塾のみにして其以上に上り公立中學に凖じ又は遙に其上流に位して高尚の教育を司どる私立學校は一掃して廢滅に屬し僅に小學の地位に下る可きや又疑を容る可らず抑も教育の法は甚だ廣きものにして唯これを官立府縣立の學校のみに一任して安心す可らず古來の實驗に私學より人物を出すことの多きは普く人の知る所にして今日に於ても其事實を見る可し又財政の一點より論ずるも官立公立の學校に毎年巨額の金を費して教育したる學生と曾て官公の金を要せずして教育したる私學校の學生とを比較して毫も異る所を見ず故に古今の事實を視て教育の成跡は如何なるものぞと熟考し兼て又經濟の要點に就き所費を少なくして所得を多くするの法如何す可きやと思慮を運らしたらば今度の徴兵令に關して私立學校を調査し其大小高下を區分して之に特典を與ること官立公立學校の如くするの要を發明するは容易なる可し如何なる英明洞察の眼あるも我日本國百年の利害を謀り小學以上の教育は擧げて之を官立公立の學校に任じ古今私學より人物を出したること多きの事實を抹殺して今後頓に其廢滅に歸するをも憂とせず日本國中の私立學校は唯小學以下の教を司らしめ小學校と同樣の取扱に附して安心す可きや我輩の憂に堪へざる所なり

全國徴兵論終