「清佛葛藤の終局如何(昨日の續)」
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時事新報に掲載された「清佛葛藤の終局如何(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
第三に佛國は清國と開戰するに自國の位置如何なるべきや今此疑問を釋するには予之を分を甲乙の別を立てざる可からず即ち甲には佛國の兵力、士卒の糧食、器〓、〓弊〓に清國と交戰を欲する念慮なり盖し佛國は人の皆熟知する如く共和民主の國なれば斯る大事件の成敗も實に人民が政府を維持賛成する如何に由るものなれば先づ佛國人の與論を知ること大切なるべし〓佛國の兵力糧食、殊に兵の精鋭の点に關しては別に多言を要する迄もなく歐洲の史上にて佛國は永く尚武國民の随一なりし者にて唯近時日耳曼人の爲に敗北を招きたるも今尚世界に最強國の一たるを失わず故に佛國民即ち政府人民〓つなから協和一致して其心身を清國との戰爭に委ぬること有らんには此戰爭の結果は明々白々ならん即ち清國の敗〓若くは降伏せんことは何人も其心に信ずる所ならん〓るに今日の形勢にて察すれば佛國人民は清國と交戰久きに〓るを〓且つ費用を損するを〓り〓て開戰に左祖する意志なきは〓〓〓〓の事ならん盖し西洋諸國の人民は概して東洋諸國の〓勢〓詳にする者少し而して此事佛國の人民に於て殊に甚しとす夫れ佛國人は外に移住を爲すに非ず其國外に在る商人も其數は極て少なく西貢は佛の殖民地なるに其地にて大商人とも云わるべき最多數は猶且つ英獨二國の人なりとす抑彼の佛國人は自國を防衛し若くは外國と交戰するも此に由て以て武功の名譽を掲げるに足る時は如何に勇卒猛士を失うも金銀貨幣を損するも猶之を顧みず然れ其佛人の心に其侮蔑する異端の清民をして己れの子弟を〓らしめ又其子弟を〓惡の〓に派し〓疫の犯す所となりて苦死せしむるかと思えば爭でこれをして久く外に在ることを許さんや且又歐洲に隔在する一國にして清國と兵を交える時は其費用は頗る莫大にして歐陸の戰爭よりも遙に多からざるを得ず故に予は以爲らく清佛の交戰若し數閲月を〓える時は佛國人は其費用に堪えずして自から屈すべしと夫れ現時佛國政事上の〓態は未だ〓れとも〓定せず故に今日の葛藤遂に推變して費用多き戰爭の起こるに立至らば清國事件に關して現在の佛國政府に反對なる強政党の〓起するは期して待つべきことなり〓に佛國政府は今日にても談判の遲滯に由て大に混雜揺動の色あり而して今や清國之に乗じ尚故らに事を緩くせば是實に最強の利器なるべし盖し一月の遲緩は清國に取て一戰勝を得たると同功力の者ならん故に今日の勢に際しては佛國は最早〓躇日を〓くすること能わず夫れ或は急進激行して果斷なる擧動に及ぶが將た或は斷然之を見〓てん〓二者孰れにか決する所なかる可からず然るに清國の政略は尚緩慢主義にして仮令戰に臨むも且つ挑み且走り勉て闘爭を永きに亘らしめんこと必せり是に於て佛軍は久しく兵を清國の南境に暴露せしめ獨り征途の遠隔に苦しんで其軍勢沮喪せんとす故に予も〓に説示したる如く佛國の位置は〓日〓久悠々外戰に從事し得る者に非ざるべきなり
第四に兩國交戰の塲合に於て他の列國は如何なる擧動を爲すべきや盖し此疑問は佛國が戰爭を爲す有樣如何に由て存する者多かるべし佛國若し獨り東京地方に於てのみ兵を弄せば他の列國は深くも該事に干渉する〓あらず然れども夫の清國の諸貿易港を攻撃し其通商を妨停するに於ては其關係する所實に〓少ならず而して英國は殊に其利害を感ずるものとす何となれば印度政府が清國に輸送する阿片煙より年々収入する歳入は七千五百万なり然るに一旦清佛交戰するに至れば忽ち此歳入を害すればなり目下印度政府の財政鞏固ならざる折柄此七千五百万の歳入一時に其途を絶し印度の人民に税〓を重〓し以て其不足を補わざる可からざるに當ては印度政府の不便決して尋常ならず遂には英人が印度統轄の困難をも醸成するに至らん又英吉本國が清國との互市通商も爲に妨害せられ縱ひ其關係は印度の如く重大ならざるも亦決して緊切ならざるに非ず聞く所によれば佛國の外務卿は英國が其清國との談判事件に干渉せんより遂に其〓を辞するに至りたりと云い又最近の報道にては英國は合衆國及びブラジル國も清佛間の仲裁者たるべきを申出したるに佛國は之を拒絶したりとなり但し日耳曼の擧動に至ては該國の士官が黒旗兵を指揮すと云う外に別に聞く所あらず要するに清國の欽差大臣は絶えず英政府と相通じて事を議するは誰人も知る事實なり畢竟するに該事件の干〓に訴えずして其調停を得るは英國の利害に取て大緊要のことなるべし
又爰に最終の一疑問あり聊か又之に〓へざる可からず乃ち清佛交戰の塲合に於て勝敗の決する所佛か清か果して孰れにか在る、勿論此疑問を釋くは人の随意的に出る者なれば其説も亦一家言に過ぎざるべし然れども又之を實〓に照して以て決する所無かる可からず故に予は該事件の全勢を通覧するに清佛の交戰は遂に清國が多少の捷を得んが但しは又其全勝を得んが兎に角に彼の佛國は總て當時に属望する目的を達せんこと蓋し難からんと思うなり斯くて清國が兎も角もして幾分なりとも佛國の鋭鋒を挫き得なば是よりして該國國運の進歩を促すは實に巨大ならん然る上は其諸隣國との舊葛藤を尋ね、大疑問〓に定まる勝に乗じて小疑問の未だ定まらざる者を定むることに從事するなるべし、其兵卒は清佛實地の戰爭に臨て歐洲將校の訓練を受け大に其地歩を進め、其將官は亦戰略の妙を悟り加えるに限りなき兵士と巨万の財貨とを利用せば清國は實に東洋に於て強大、威を奮う覇國となり外邦に對して侵略政策を執るあるに當ては四隣の小弱國は勿論彼の露國といえども亞細亞所領の土地人民を守護するに決して油斷ならざることを見出すなるべし
米國紐育州ポーキープシイ府ニテ
千八百八十三年十一月廿五日
ヂー、ビー、シモンズ記(畢)