「言論禁停の方法(前號の續)」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「言論禁停の方法(前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前号所記の如く我政府は新聞絛例を發布して言論を檢束する端を開きたり故に我輩は今更其是非を蝶々することを止め世間若し惡意を挟んで此絛例の嚴威を冒〓するものあらば之を禁止し若しくは之を停止するは固より其所なりと云わざるを得ず然りと雖も爰に惡意を抱かずして〓て此絛例に觸るゝものなきに非ず此等の過失は冷淡なる絛例の文面より見を有罪と云へば有罪なれども其實は一事の不注意にして無毒の間違なるが故に聊か酌量する所ありて可なるものゝ如し元來人の言論には廣猛の差あり學術政治の區別ありと雖も〓墨を以て測度す可きものに非ざれば筆者自身にても自ら其區域を破りたることを知らざるものあり特に政治と學術と緻密の際に至ては互に相隨伴して之を分論するに苦しむもの少なからず例へば石油の事を論じ石油には火を引くこと速なるものと遲きものとあり遲きものは其性質安全にして速なるものは危險なり今華氏の驗温器百十五度の熱度に達して始めて火を引き燃續するものは之を百十五度の石油と名け又百十五度にては無事にして漸く百二十度に至て燃るものは之を百二十度の石油と云う故に百十五度のものは百二十度のものよりも危險多きこと五度なり云々と論ずる中は純粹なる學術上の石油論なりと雖も少しく論旨に深入して石油は斯く危險なるものなれば政府は石油精製所に就て石油を檢査し又其檢査〓の石油も一家屋に付て貯藏の分量を定めざる可からざると論ずれば漸く政論の語氣を含み更に一歩を進めて政府若し此義務を怠るときは民關火災の安危測られず一旦變あらば是れ民を率て火宅の中に投ずるものなり云々と論入すれば〓に純粹の政治論と爲り百尺竿頭尚一歩を進めて論じたらば非常の激論にも陥る可きなり或は衛生の事を論じ用水の清濁より水管の構造に就て云々するは自ら學術上の衛生論なる可し或は教育の事を論じ課業の時間より教授の得失に就て所見を違ふるも亦學術上の教育論ならんと雖も漸く其論端を改め政府に向て其衛生論の實行を促し世上に對して教育上の所見を採用せんことを企望し甚し〓〓〓實行の〓ぎたるを責め或は其企業の達せざるを憤慨することもあらば冒頭は學術上の議論なりしも次第に政化して遂に純粹の政論に變じ知らず〓らず豚頭虎尾の言論と爲ることなきに非ず畢竟記者の不注意なれば停止の嚴命を蒙るも亦已を得ざる次第なりと雖も此記者が一室に枯坐して得意の宿論を筆記し、記し畢りて筆を閣き試に之を讀下する際には其中縱ひ一二句の妥當ならざるものあるも或は愛を割て之を〓るに忍びず或は之を含蓄するに忍びずして其儘印刷に附するものあらん孰れも實際の談にして此中の甘苦を〓むるもの、〓に熟知する所なり斯かる事の次第にて記者に於ては一毫の不平惡意なく學術上の議論より漸く政論の區域に移り政論の中にても又〓より猛に走り〓に停止の命を聞て謹て其文を再讀し始めて其不注意の痕跡を發明するが如きは殆んど毎度の事となりと申す可し

我政府は〓〓無毒の言論を檢束するものに非ず新聞絛例第十四絛に治安を妨害し風俗を〓乱する物と認むるときは之を禁止若くは停止すとあるは有心故意に之を妨害し又之を〓乱するものを禁停する意にして一時無毒の間違を罰する主趣には非ざる可し然りと雖も政府は一々記者の心事を察し其有毒無毒を洞知して然る後に禁停することを得ず無情の法律豈に彼此の別あらん乃ち衆多の論者中には無心不意の際絛例に觸るゝものある因由なり故に我輩の願う所は政府若し治安を妨害する言論ありと認むるときは直に之を禁停せず先づ其記者に勸告して今後の注意を促す可し記者若し再び右同斷の言論を發することあらば政府は更に此記者に向ひ今後斯かる言論を發すれば直に之を停止すとは内〓を下す可し記者此に至て大に注意を加えれば則ち可なりと雖も若しも然らずして恩に〓れ寛大を利し再三絛例を犯すこともあらば政府は〓〓の威を以て始めて之を禁止若くは停止す可し果して此の如くなれば無毒の記者は未だ禁停の嚴命に逢わずして早く己に戒〓を加え有心故意再三再四絛例に觸るゝ者のみ獨り檢束を蒙る可きなり現に彼の露國の如きも新聞記者再度までの絛例違犯に唯勸告のみに止まり三度目に非ざれば之を停止することなしと云う此法若し幸にして我邦にも行わるゝことあらば啻に記者論客の幸いのみならず政府江海の量〓々として餘裕あるを示すものと云う可し我輩の見るを樂む所なり(畢)