「私立學校廢す可らず」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「私立學校廢す可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

我輩は今囘の徴兵令に關して、私立學校には何れにも追て特別の恩典を蒙ることある可しと論じて、今日に至

るまで曾て之を疑はざるものなり。然るに近日世上に説を作す者あり、云く、改正徴兵令の發行に付ては、世の

私立學校は或は癈滅に歸する者あらん、其學校の爲に喋々道理を陳れば聽くに足る可きものもあり、敎育令に於

ては私立學校も文部卿の統理内に在りながら、徴兵令に於ては全く之を外物にして、官私の利不利懸隔するは、

私立の不幸なりと云ふも、一應理あるが如し、又古來日本にて私立學校が世益を爲して多く有爲の人物を出した

るは明白なる事實にして、現に今月今日官途に立ち又社會の表面に居て事を執る人物も、天保弘化以來明治年間

に至るまで私學より出たる者居多なりと云ふも相違なきことなれども、畢竟道理談にして實際に行はれ難し、例

へば文部卿が全國官私の學校を統理監僣督すと云ふと雖ども、毎校に尋問す可きに非ず、毎敎師に説諭す可きに非

ず、兎角官立府縣立と私立と分界ある以上は、私立の方は何となく手の及び兼る者にて、之を制すること甚だ易

からず、布告法律の文面は兎もあれ、實際に於ては官私の別あるが故に、特に官立を保護して私立をば捨てざる

可らず、又古來私學より人物を出したりとのことは、唯是れ昔年の事實談にして、今日の道理に於てはある可ら

〓〓〓〓なり、今や學問敎育の法は大に昔に異なり、敎育の法は全國一致せしめざる可らず、仝國敎育の進退左

*二行読めず*

〓〓〓の如くするときは天下、官と府縣との外に學校なし、私學より人物を出さんとするも、本來私學あらざれ

ば人物も亦出づ可らず、道理に於て明々白々なり、故に古來私學より人物を出して、或は公私の用を爲し今尚

しつゝありと云ふも、今後は決して然ることある可らず、若しも今度の徴兵令の爲に私立學校の廢することあら

ば、卽ち其人物を出したるも明治十六年限りにして、十七年以後は官立府縣立の學校を以て人才陶冶の地と爲し

厘毫も差支あることなし、畢竟奮幕政府の時代に德川を始として諸藩にても私學より人才を出したるは、其官立

學校なるものが不取締にして、時としては首座敎頭を更迭し、時としては學問の風を改革し、隨て改めて進めば

又隨て改めて退く等、往々人をして惑はしむるが如き擧動多かりしなればこそ、世人も之を厭ふて却て私學の繁

盛を致したることなれども、今や明治の政府にて一定不變の學制を立られたる上は、萬々他の舊弊に倣ふの憂あ

る可らず、私立學校の存廢は意に介するに足らざるなり、加之爰に大に注目す可きは費用の一點なり、元來學問

敎育は頗る資金を要するものにして、資金なくしては如何なる學者が如何に勉強するとも、其生徒をして學問の

佳境に入らしむるは斷じて難きことなり、然るに今の日本國中の私立學校に資金あるものを見ず、其學事の整頓

せざるも亦謂れなきに非ず、唯官立府縣立の學校にして資金の豐なるあり、資金豐にして敎育も始めて美なり、

私立の貧學校をして生徒に敎へしむるは飼料を省略して馬を飼はしむるに異ならず、假令ひ饑て斃れざるも其馬

は則ち瘠馬のみ、國家の用を爲すに足らず、故に筋骨逞しき良馬を作らんとするには、學生の廐たる學舎を美に

し、其飼料たる書籍器械を全備し、其飼主たる職員敎員の人物を選て、其數を多くし其給料を豐にし、以て始て

有爲の學者を作り出す可きなり、私立學校の迚も企て及ぶ所に非ざれば、其れをして徒に瘠馬を飼立てゝ學問世

界の醜體を披露せしむるよりも、寧ろ其寒廐を倒して明治十七年より改めて官廐に良馬を仕立るの工風こそ肝要

なれ、此點より見れば私立學校は無害無效の零度を下りて却て有害の部分に在るものと云ふも可なり、愛しむに

足らざるなり云々と。

以上論者の論を吟味するに、其當否は姑く閣き、議論の初段は如何にも人事の實際に於てある可きに似たれど

も、私立學校の監督、實際に行はれ難しとは甚しき失言ならずや。情實を離れて實際に於ても私立學校の監督は

決して難きものに非ず。夫れも數年前鹿兒島に設立して故陸軍大將西郷翁の支配に係る私學校の如きものを巡視

檢査するが爲にとて、文部の小吏人を發遣する等の事あらんには、其情實困難なりと云ふも至極尤なる次第なれ

ども、今や天下の私立學校に西郷なし、何れも皆優しき文人のみにして、法律の重きを辨知し、苟も官より巡視

又試験とあれば、校門を開て之を迎へざる者なし。其門既に開きたり、之に入るに憚る所のものある可らず。然

るに尚言を設けて何となく私立學校は云々とて之を別物の如くにし、甚しきは文部卿の監督も行屆き難しと云ふ

が如きは、官に對して大なる失言と云ふ可し。又古來近年に至るまで私立學校の世益を爲したる事實をば敢て抹

殺せざれども、今年今月より天下の敎育を官立府縣立の一手に任して甚だ安心なりとの道理論は、我輩の固より

感服する能はざる所なれども、姑く論者の言ふがまゝに任して之に從はんとするも、其立論に官立府縣立を利と

する所の點は、唯資金の豐なるを頼むものゝ如し。官は富むが故に敎育の法美なり、私は貧なるが故に其敎育不

行屆なりと云ふに過ぎず。如何にも簡單明白なる論證にして、富家の衣食住は美にして貧家の生計は美ならず、

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓如し。我輩は其美惡精粗の理由を聽くを要せず、唯こゝに屹度承はり度

*二行読めず*

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓高き敎育を受く可き年齢の者は、其數百四十萬に下

らず。下流小民の如きは之を除て、殘るものを十分の一とすれば十四萬、二十分の一とするも七萬人に下らず。

方今官立公立私立學校の梢や高尚なる學課に就く學生の數は迚も七萬の數なし。唯敎育有志の輩が日に其數の増

加せんことを祈るのみ。故に今精細なる數算は姑く閣き、敎育家の眼より見れば、全國小學以上の學に入る可き

者は殆ど無數なりと云て可ならん。此無數無限の學生を敎育せんとして、其敎育法に善を盡し美を盡し、富家の

衣食住の豐なるが如くせんとして、資金の出所に覺悟ある可きや。我輩これを保證するを得ず。今の文部省直轄

東京大學の如きを以て盡善盡美のものとして、其學生の數と費用の高とを比例すれば、明治十四年の頃東京大學

法理文學部學生の現數凡二百名、同豫備門の生徒凡三百五十名、合して五百五十名を敎育するが爲に費す所の官

金二十四萬圓、之を生徒の數に分頭して一年一名に付四百四十圓に近し。大學は特別のものとして、其他の官立

府縣立學校の校費を尋るに、各地不同はあれども平均するときは生徒一名に付學校より費す所、毎年七、八十圓乃

至百圓より下ることたなかる可し。故に今論者の言に從ひ、全國の私立學校を癈して其敎育を官立府蒜立にのみ任

ぜんとするときは、入學の生徒一名に付き少なくも八十圓の用意なかる可らず。或は少しく其組織を美にして所

謂良馬を養ふの方法を設けんには、百圓以上の費を要することならん。一名に百圓は一萬人に付百萬圓なり。若

しも敎育家の冀望に違はず、國中梢や高尚なる學に就く者三萬の數と爲り又七萬にも上りたらば、國税及び地方

税を費すこと三百萬圓叉七百萬圓の巨額に至る可し。論者は果して先づ其計算を爲して而して後に言を發したる

歟、我輩これを疑はざるを得ず。國税地方税を仰て單に是れのみに依賴する學校の敎育は、其區域廣大なるを得

べからず。數に於て最も睹易きものなり。論者は唯今の官立學校局處の美を見て忽ち之に熱し、卽ち之を全國に

及ぼし、容易に之を擴張せんとして却て費用の數と出處とを忘れたることならん。私立の學校、貧は則ち貧なれ

ども、其貧なる割合にして敎育の法は存外に美なるものなり。蓋しし敎ふる者も學ぶ者も共に與に愉快を覺るは私

學固有の性質にして、之が爲に往々人才を出すこと多し。粗惡の飼料よく肥大の馬を養ふ、不思議に似て不思議

に非ず。且國の大計上より見るも、國税地方税を煩はさずして敎育の攬張には際限ある可らず、經濟の得策と云

ふ可し。凡そ人事に絶て弊害なくして利益のみを占め多々益多きを覺へざるものは、唯知見開達の敎育なれば、

其區域の益廣大を祈る可きは固より論を俟たず。何ぞ必ずしも獨り之を官に限らんや。在昔佛法を奨勵するの時

代に當つて、專ら勤めたるものは寺院の建立にして、其建立は大抵皆信者の私立に係るものなり。若し當時に於

て天下の寺院を官立に組織し、官費を以て佛法を維持するが如きこともありたらんには、迚も今日の繁昌は見る

可らず。人民個々の力は微なるが如くに見ゆれども、其協力の働は又非常なるものなり。廣く世を見て永く時を

計る者は、必ず我輩の説を棄てざることならん。私立學校廢す可らざるなり。         〔二月八日〕