「國内興すべき事業ありこれに供すべき」
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時事新報に掲載された「國内興すべき事業ありこれに供すべき」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
國内興すべき事業ありこれに供すべき
勞力もあれども相伴うべき資本金なし
凡そ人間の事業を成すに資本を要せざるものなし此資本は自家嘗て貯蓄する所のものを以てこれに充てるか或は他人の貯蓄を借り來りて一時我用を辮するの外に方案なかるべしこれを一個人にいすれば銘々の産業を營むに自己の貯金のみを以て資本と爲す者あり他人の遊金を借用しこれを運〓して利をを謀る者あり又これを一國にすれば國内百般の事業を經營するに唯自國の資材のみを使用して公私の用を辮する者あり或は他の遊金多き國に就いて政府の國債を募り諸會社の株金を募りてこれを本國に携え來り此借用の資本を以て公私の事業を經營する者あるが如き其例なり何故に他人に資本を借らずして自家の業を營み得るやと云うに既に其所有する所の貯蓄十分に豊かなればなり何故に他人の貯蓄を借り來りて自家の事業を經營するやと云うに自家貧にして資本給せず強いてこれを他人に借ることなからんとすれば百年を俟つも富を致す目的なし故に他人の〓りあるものを借り來りて我が不足する所を補い以て我家を富まし我國を富ますなり
一家一國の貧富は比較の言葉にして猶物体の輕重を評するものに異ならず若し他に比較するものなくして直ちに國の貧富一物の輕重を定めんとするは理の許さざる所なるべし今第十九世紀の一文明國たる我日本國を取りて他の文明諸國に比較し其貧富如何と云う者あらんに我輩は一言以て日本貧なりと答えざるを得ず其れ貧富を比較判別する標目は幾十百種の多きあらんと雖も我輩は單に彼我の金利の割合を比較するのみにても十分なりと信ずるなり日本の利足は尋常年一割内外にして英國の如きは年四五分の割合を以て普通のものとす抑も人間の事業は勞力と資本と相須ちて始めて成るものなり事業あり勞力ありて資本不足ならんか其資本を使用する代償即ち金利の割合高からざるを得ず事業勞力少なくしてこれと相伴うべき資本に〓裕あらんか其資本を使用する代償廉にして金利低からざるを得ず今我日本の金利甚だ高貴なるは事業多く勞力多きもこれに伴うべき資金甚だ不足なるが故なり此れ〓多なる勞力を使用して百般の事業を興し天興の富減を〓殄せずして國中に遺利なからしめんとするには必ず他の富裕の文明國に就いて資本を借り來り全国の勞力をして其〓を逞くせしむるの外に何等の妙案もなかるべし或人曰く日本の金利の高貴なるは事業勞力の多きに過ぎて資本の不足なるがためにあらずこれを他の文明國に比するに財産の安全未だ十分ならず金を人に貸すも其返済を必期すること能はざるが故に其保險のためには利足の割合を高くするなりと此説固より一理なきにあらず日本の金利の廉ならざるは幾分か或人の説の如き原因もあらんかなれども其實際の影響は極めて微細輕小のものにして今の金利の割合に向を〓も目に得を見るべき程の差異を生じせしむるに足ることなし寧ろ想像上の一原因として數らるに過ぎざるべし果して法律の〓否が金利の割合に影響すること或人の説の如く甚しからんには明治維新以前封建時代の金利は其割合維新以後殊に今より最近數年間のものに比すれば其高きこと必ず幾倍なるべき筈なり然るに金利の割合を見れば大に其成跡を反對にし維新以後の方に却て騰貴の實あるは何ぞや外國交通文明進歩の影響する所新たに興すべき事業多く又これに從事すべき勞力の多きがために維新以後の富は其以前のものに増加したるにも拘わらず國内の資本其供給十分ならずして遂に金利の騰貴を致したるのみ
今や日本國内事業の多く勞力の多き實に古今無比なり銕道布設せざるべからず船舶製造せざるべからず桑を植えて絲を作り絲を織りて布帛を作る類の如き農工商百般の事業人のこれを興すを俟ちて大に國に利せんとするもの全國到る處として皆然らざるはなし唯資本欠乏随て其利足甚だ高貴なるがために折角の事業もこれを興すに暇なく折角の勞力も手を空くして遊情日を送ること豈に惜しむべき至ならずや何ぞ外國の資本を借り來りて此勞力に伴はしめ以て大に此國を利する謀を爲さるゝや