「佛軍北寧を陥れたり」
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時事新報に掲載された「佛軍北寧を陥れたり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
佛軍北寧を陥れたり
東京事件に關し清佛両國間の葛藤に漸く利害の重大なる事相を呈したる以來既に一年に近し此間北京駐在の佛國公使「ブーリー」氏は總理衛門と談判の始末餘りに柔和退譲に過るとて其職を免して本國に喚還され新任公使「トリクー」氏は李鴻章と上海に會合して大に論議する所あり米國公使「ヨング」氏も其中間に處して頗る奔走周旋する所ありしと雖とも議事遂に諧せす三旬の談判應答も空しく一片の水泡に歸し「トリクー」公使も遂に亦其任を解きて支那を去りたり亦佛京駐在の曾紀澤公使は北京政府の命を奉して佛國政府と談判するに其手段辭氣等或は緩なるが如く或は急なるが如く或は強く或は弱く其眞意の何れに在るやを人も知らず自家も知らざるが如き有様ありて坐ろに傍観人をして睡眠を思はしめたり又此支那公使と應對する佛國政府に於ても共和政治の病弊として果斷判然の所置に乏しく依違歳月を經過して時に當局の執權者を更迭する等陰晴の定まらざる秋天一般の觀なきに非ず然れとも佛國政府が支那政府に優る所一歩なるは秋天の一陰一晴して人を迷惑せしむる中にも其目的とする所寒威を催すの一事に於ては唯進むを知て退くを知らず金風起て白露降り白露變して霜と爲り霜又變して雲と爲るが如く今日一隊の援軍を東京に送り明日一隻の軍艦を廣東に廻はし一隊一艦遂に目下東京海陸の強盛なる佛軍を成すに至りたりこれを支那政府の容易に發言して容易に其言を踐むことを忘れ遂に以て己れに益する所あるを見ざるものに比すれば同日の論にあらずと云ふべきなり畢竟するに今回の東京事件たるや佛國は主人にして支那は客なり支那にして佛國の東京を押領するに異存なからんか兩國の葛藤は一朝にして氷解すべし北寧没落して支那兵境に退き敢て佛國の新殖民地と〓を開くことなからんか佛國は喜て支那と境を接し永く東京の地を領して不滿を懐くことなかるべし
今や北寧城没落して佛軍は最後の〓線に侵入したり然るに此時に臨み支那政府は前言を踐みて直ちに宣戰したる跡もなきは全く東京に對するの主宰權を抛棄して相關することなからんとするの決心なからんかと疑はるるなり或は前日より世上に風説する如く英米の政府は佛軍が北寧を陥るの日を待て清佛兩政府の間に入り和解の周旋を爲さんとするの企ありと云ふを恃み窃に大に待つ所ありて然るものか好し風説の如く英米政府の和解中裁ありとするも佛國は一旦〓取したる紅河の沿岸山西北寧地方を遺棄して再び支那の手に委せんとするの意あるべしとも思はれず若し佛國にして東京を必取スルの決意なからんには何ぞ今日の戰爭を用ひん既に今日の戰爭あり飽くまで東京を占領するの決意たるや言はずして知るべきのみ萬一英米の中裁に由りて佛國の退護する所もあらんかと云はば唯此東京事件のために此上支那に對して償金を要求するの企を廢する位に止まるなるべし英米の中裁其利決して恃むに足らざるなり