「日本と米國とは隣國同士なり」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「日本と米國とは隣國同士なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

日本と米國とは隣國同士なり

亜細亜亜米利加兩陸の間に商務増進の第一期は來る明治二十一年パナマ運河の落成の日より始まるならん此運河開通するときは紐育其他北米の諸港と日本との間海路の減縮すること大略從前の半分なるべし斯の如くなればパナマ運河は獨り米亜貿易必由の門と爲るのみならず英國船の日本支那に往來するものの如きも亦此門に由るを便利とするならん欧洲の物貨の日本支那に來り日本支那の物貨の欧洲に徃くものも爾後は印度洋を徃復することを廢し米國を経て東西に輸送することに改まるならん此時に至り日本米國間の商務交通の繁多なる想見るべし而して此時期甚だ遠からず實に明治二十一年に在り我日本人民並に米國人民たる者は大に覚悟する所ありて此衝に當り其責を空うするなからんこと我輩の希望に堪えるざるなり

パナマ運河落成の時は必ず亦大平洋海底電線の落成を見る時節ならん此電線布設の事は久しく欧米有志者の企図する所にして三年以前米國有名の電信家サイラス、フィールド氏が我國に渡來の折其筋に通知したる氏が計画の大畧を聞くに此海底電線は其地を米國ワシントン州に發しアラスカ、カムサツカの両半島を經て日本北海道に達するものを第一案とし桑港を發してサンドウイツチユ島に至り是より二線に分れ一は西北日本に達し一は西南澳斯太剌利亜洲に達するものを第二案とす第一の方は線路も短く費用も少なしと雖とも随て其便益廣大ならず第二の方は其便益固より廣大なりと雖とも随て其費用大に嵩み資金募集に便ならず二者何れに決すべきは尚ほ考案中なりとなり然れとも現時の如く亜細亜東部と米國との間に電信を徃復するに鴎洲を迂回するの不便不經済は甚た顕著なるものにして迚も永くは辛抱し得ざる事柄ならん殊にパナマ運河開通して米亜の貿易忽ち隆盛の日に際し尚ほ今の不便に安んずべしと云ふは蓋し人間の耐忍力に望むべからざる難問題ならん故に我輩は前記二案中其孰れに決定すべきやは今日に明知すること能はずと雖とも太平洋海底電線の竣功を見るは今を距ること決して遠からざるものと信ずるなり

パナマ運河開け太平洋海底電線成る、我が日本人民が米國を知るの必要緊急なるは世界中他に其比類を見ること六ケ敷かるべし日耳曼を知り佛蘭西を知る固より甚た緊要なり今の文明の世界に當り其國の何れに在るを論せずこれと相知り相親しむの大切なるは勿論のことにして果して斯の如くせざれば我國の富強文明を進め我國の獨立繁榮を永久に傳へんこと甚だ困難なるべきが故に外交の忽せにすべからざる決して彼此を限らずと雖とも然れとも此間亦自から緩急疎密の別なきを得ず中に就き米國の如きは其交際徃復最も急且つ密なるを要すること我輩の信じて疑はざる所なり日本國民の福利を祈望する者は先づ米國を知らざるべからず