「国の栄辱は必ずしも大事件のみに在らず」
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時事新報に掲載された「国の栄辱は必ずしも大事件のみに在らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
国の栄辱は必ずしも大事件のみに在らず
外國の交際は虚々實々とは云ひながら人事の實際に於て到底虚を以て成る可きものなし左れば外面を装ひ体裁を飾り以て外國人の歡心を取り以て其膽を奪ひ以て其喜憂を制するが如きは仮令ひ或は一時の策の當るに似たるものあるも僅に少しく前後の照應を考るときは唯是れ無益の勞にして小兒の戯たるに過ぎず政治上の交際に於ても商賣上の取引に於ても其果して然るは古今の實驗に着々見る可き者なり
右の次第なるを以て我輩は日本國民の名義を以て常に日本國の榮辱と利害とを負擔する者なれとも苟も我國の實に無きものを虚飾して外國人の耳目を瞞着せんと欲する者に非ず唯小心翼々自ら省みて其足らざるを足さんとして自家の固有を修るのみならず近時世界の文明に向て國を開たる限りは他に學ぶ可きを學び、傚ふ可きを傚ひ、一切の人事、世界万國に對して後れを取ることなからんとて只管熱心勉強するのみ蓋し有形の事物に於ては實に西洋を師として傳習す可きもの多ければなり
然りと雖ども又一方より考れば文明繁多の今の世界に於て欧米諸國の人が他國の情實を洞察し〓すの明ある可きに非ず殊に東洋の事に關しては目下直接の利害も薄くして随て其観察に精神を勞する者も少なきが爲に東洋の國々に於ては實に大切至極なる事柄にても之を外にしては漠として西洋人の眼前を通過し其思案〓留まらざるもの甚だ多し例へは我日本の開國既に三十年其間に吾人は常に西洋の真面目を知らんことを勉め、西人も亦日本の情實を探らんことを求め、交際日に重さなると雖とも時に或は吾人は西洋人の爲に度外視せらるるにや西人の我事情を知るは吾人が西洋を知るよりも疎なるものあるが如し其實証を得んとならば彼の國人にして久しく日本に在留し最も日本の情に通明なりと稱する文客が其日本の事情を記したる横文の著書を見るに書中或は注意の穎敏にして感心す可きものなきに非ざれとも事の情實を誤るは概して十中の七八と云はざるを得ず我輩の常に遺憾とする所なり
我國情を誤るは尚忍ぶ可しと雖とも爰に忍ぶ可らざるものは我過去現在の有様を評して徃々事實より下たることあるの一事なり我日本國の政事なり商工なり又學問なり開國三十年來大に面目を改め其由て來る所は西洋諸國の文明を師としたるものなりと雖とも凡そ人間社會の一事一物たりとも、無より頓に有を生す可きに非ず、變形は易しと雖とも創造は難し、左れば今日我日本國が今日の文明に達したるは三十年來の創造に非ずして數千百年の舊文明を三十年間に變形せしめ今尚變形の〓中に在るものたるや明なり然るに其變形の際に當ては種々様々の風雨に逢ひ進むに鋭くして却って輕躁の〓を招く者あり、守るに固くして頑陋の咎を蒙る者あり、人事に免れざるの常なれとも西洋の人が片眼を開て此事情の表を視、又裏を察し、表裏孰れか其一面の得失を擧けて性急に判断を下たすが如きは我輩の常に憂る所なり此事情は日本國人が自國に居ては左まで感すること少なしと雖とも外國寄留の店に於ては更に其感覺の切なるものあり万里孤客の身と爲るときは眼中唯日本と外國とあるのみ常に外人に交りて朝々暮々其言を聞き其書を読み其日本國に對して如何の情を抱くやと之を窺ふ其状は恰も子弟にして近隣の人に接し其人々が我骨肉の父母兄弟を評論するを聞て之に耳を欹るものの如く他の片言も身の喜憂たらざるはなし政治商賣教育等の如き大事件は無論、極めて些末の事にして自國の文明に殆と由縁なき箇條にても苟も我日本國人が曲を蒙るものあれば之を見聞して感する所の刺衝苦痛は芒刺〓ならざるなり例へば本日の雑報欄内に掲けたる「見本違ひの相撲」と題したる條は米國在留の我一少年が紐育の「トリビューン」新紙に投書したるものなりと傳聞せり日本の力士が相撲に如何なる勝負するとも意に介するに足らざる譯けなれとも本國を思ふの至情この些末事にまで溢れて自から禁する能はず遂に一筆の勞を取りしものならん其事柄は兒戯に近しと雖とも其情は則ち深し我輩は今少年の痴情を憐むの餘りに兼て我同胞の愛國心を喚起し仮令ひ其身は日本國に留るも苟も我本国の榮辱に関するものは事の大小輕重を問はずして熱心以て自から保護し敢て虚を構えて外人の耳目を瞞着せんとするには非ず唯我國にありのままの事實をありのままに示して外人の妄評を免かれ我至當の榮名を損するなからんことを冀望するのみ