「宮内卿の更迭」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「宮内卿の更迭」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

宮内卿の更迭

從來の宮内卿は専任の官にして他省の長官の如く參議兼任の事なかりし故に一省の長官にはあれとも宮内卿に限りて内閣の政務に參議することなく其地位稍や掛務の中心より遠ざかりたるものの如き觀ありしなり然るに今回伊藤君の宮内卿たるや參議の本職を以て更に之を兼任することとなり他省の長官と同一の地位に在るものなるが故に之を從來の制度に比すれは宮内省の性質に大變化を加へたるものと見做して敢て不可なきか如く然り

伊藤君が才名を以て朝に鳴るや久し殊に一昨年三月を以て欧洲に航し滞在一年餘〓〓便々文明の新知識を満載して去年八月に歸朝したる以來は政治社會の注目を招くこと少なからず欧洲行きの御用筋は文明諸國の制度取調の爲めなりとの噂ありて其信僞は固より明白ならずと雖とも或は去る事にてもありしかと思はれざるにあらず歸朝後は別に一省一院の長官に任することもなく専任參議の儘にてありしが追て永田町の官邸に居住の後は憲法取調の事務忙はしきやの噂もありし去年末外務卿井上馨君養病のため四國、中國、京摂邊に旅行中三ケ月計りの間は伊藤君代りて外務の事務を理したりしが井上君歸京するに至りて各從前の地位に復したり然るに本月中旬に至り宮中に制度取調局と稱するものを設けられ伊藤君これが長官に任せられたり此新局の事務性質未だ明瞭ならずと雖とも文字上より見れば制度を取調ぶる局とあるが故に所謂憲法取調〓の事にして文明諸國の制度を考へて其宜しきを載し大に我制度を改良するの下調べを爲す局にてもあらんかと思はるるなり而して此取調局の性質の一種新規なるはこれを宮中に設けられたるの一事なり簡略に見解を下す時は宮中は府中に對する語にして帝室の私に属し宮内省は府中の一部にして帝室の公に属すとも申すべきものなるが故に今此取調局を他の省院の格に倣ひて尋常獨立の一局とせず又これを太政官中に設けず又これを宮内省中に設けず直ちに宮中に設置せられたるより見れば眞實陛下の御手許に在りて朝夕御直きに御差図を蒙るべき尊重無比の局なりと推察せらるるなり伊藤君にして此局務の重を負ふ翼々として只管失墜なからんことを其心と爲すは固よりなるべし然るに今又參議の本職を以て宮内卿を兼任す其任の貴重尊大なる其比類を見ること甚だ少なかるべし〓に宮中に設けられたる新局の長官たるのみならず參議にして又宮内卿を兼ぬ 陛下に咫尺し奉りて親しく  聖旨を奉ずることも他の參議に比すれば必ず屡々なるべきものあらんかと察せらるるが故に同し政務の大任に當るものとは申しなから參議兼宮内卿の任は格別に大切なるものと考へらるるなり

宮内省中に變革あるへしとのことは前日より専ら政治社會に風説する所にして其根據の有無は固より判然ならざりしも今にして侍從職を改めむると同時に又宮内卿の更迭あり彼の風説に所謂變革とは此等の事を指すのみにして止むものなるや或は尚ほ變革すべき事おあるにや我輩が今日にして測り知り得べき限りにあらざるは無論のことたるべし唯若し尚ほ變革すべきこともあるへき都合ならんには新宮内卿の任する所甚だ大なりと云はざるを得ず欧洲は文明の中心なり殊に其輓近の進歩の迅速長大なるこれを觀る者をして其眼の眩暈するを覺えざらしむるの趣あり伊藤君は一年餘の長日月間文明の中心塲裏に在住し親しく日新の政務に付大に研究する所ありて歸朝したるものなるが故に欧洲の制度中其長を取りて我短を〓〓せんと欲すべきもの必ず亦多々なるべきは疑て容れず宮内省中果して尚ほ變革を要すベき事もあるならんには伊藤君が欧洲視察中に得たる所の新知識を實用するの機會に乏しからざるべきか我輩は刮目して今後の出来事を待たんと欲するなり