「公債証書騰貴の辯」
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時事新報に掲載された「公債証書騰貴の辯」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
公債証書騰貴の辯
今の公債証書を所有するも七分利付のものを九十圓より九
十圓以上に買ふときは正味利子の収入は一年七分七厘が單に
七分の割合より多からず他種の証書とて大抵同樣の割合な
らん東洋の一國にして人口多し資本少なき日本の如きに
於ては斯る低利足永久に持續す可き道理はある可らずとの
大意は前日の時事新報中にも之を記したり(四月一日時事
新報)抑も今日の商人社會にて公債証書を所有するは永久
之を所有するの念あるに非ざれとも唯目下其賣金の用法に
困却し、まさか無利足にて金庫に藏め置くよりもと云ふ胸(匈+月 異体字)
算にて仮に之を買取り云はゞ己が商賣の元入金を暫時公債
証書に預け置く姿なれば今にも何かの機會に由て商況回復
の樣子現はれ出でんには中以下の商人等は片時も之を家に
置かず爭ふて賣出す可きや當然のことなり元來商人の營業は
嘴射利の爲のみと云へば云ふ可きなれとも其射利の中にても
自から腕前を研くの榮譽なるものありて苟も家に資金ある
者が其金を以て公債証書を賣ひ坐して定期の利子を受取り
之に依頼して質素に衣食するが如きは商人社會有力者の最
も愧る所にして仮令ひ内實は其事を行ふも他言を忌む程の
ことなれとも今日は公然これを行ふを憚る所なし誠に気の毒な
る次第と申す可し唯商家のみならず近來は諸銀行にても頻
に公債証書を賈入れその賈入高の多きを以て得意の顔色を爲
すものゝ如し銀行に公債証書を所有するは敢て禁制には非
ずと雖とも基本色を云へば世の中の老少婦人若しくは無職業
の金満家に餘る貯金を一所に集めて商賣社會に活發なる用
を爲さしめ株主をも利し商賣人をも利し双方便利の媒介を
爲すの趣意なるに其銀行が公債証書を賈ひ其利子を請取り
て株主に配當するとは問〓〓の沙汰なり公債証書を賈ふに
は必ずしも銀行の手を煩はすに及ばず婦人にても小児にて
も相對に人に托して之を賈ふ可し然るを銀行にても基本色
を顧るに遑あらず先つ以て大丈夫なる公債証書を賈ふて危
険を擯け不本意ながらも婦人小児の事を學ぶとは銀行者に
罪なし商況の勢に由て然らさるを得ず世間に金融の切迫す
るも謂れなきに非ざるなり
然るに爰に不可思議千万なるは説を作す者あり云く近來公
債証書の騰貴して金の利足の下落したるは世の瑨相にして
即ち公債の騰貴は其騰貴丈け國民が政府に對して信用を増
したるものなり其利子の割合の低きに安んずるは奸商跡を
収めて資本家の人情穏なるの徴なりとて掲々自衛〓に相祝
する者なきに非ず經濟家の説に似て經濟に迂なる者の如し
我日本政府は其理財上に於て夙に國民の信を取り國中更に
一片の疑を抱く者なし而して公債証書が時として其價を上
下するは唯商賣の景況に從ひ商用に多分の資金を要するとき
は利足も随て騰貴し國中の通貨、商賣の方に流れ込むが故
に公債の賣賈自から景気を失ふを價を落す明治十三四年の
如きは最も甚しくして七分利の者にて實價六十圓にまで下
りたることあり非常の有樣なり之に反して爾後商況の次第に
沈むに随て公債の價も亦次第に騰貴し遂に今日九十圓以上
の變態を呈したり商況の死生と公債証書の昂低とは正しく
相伴ふ者にして他に何等の原因もなきことと知る可し若しも
其昂低を以て政府の信の厚薄を卜する者とせば明治十三年
の政府には信なくして十七年の政府に信ありと云ふ歟我政
府の其礎斯る不儙なるものに非ず三五年にして信用を厚薄
する者非ざるなり左れば何を以て公債証書のう騰貴を祝す
る乎、或は政府の信不信には縁なしとするも兎に角に幾億
圓の証書が騰貴すれば則ち其所有主の富を増したる譚だに
て之を聞見するにも愉快なりとの説もあらんと雖とも畢竟近
き小事を悦て遼き大事を忘るゝ者たるに過ぎず明治十五年
度内外國債の債高三億四千九百七十七万千百七十六圓の内紙
幣流通高一億五百六十三万八千二百廿八圓と外國債九百三
十万九千八十八圓を引て内國有利無利の公債は二億三千四
百八十二万二千八百六十圓とす此公債証書が尋常の價より
騰貴する三割なれば其差は七千餘万圓にして即ち所有人を
して七千餘万圓の富を増すの思を抱かしめ誠に目出度き次
第なるが如くなれども眼を轉して全國地價の下落を視察し
たらば更に大なるものを發見す可し明治十三年の調査に民
有々税地の〓反別一千六十九万七千四百五十二町歩にして
此地價十六億四千九十八万三千七百三十四圓とあり明治十
五六年の際公債証書の次第に騰貴すると同時に地價賣賈の
價は次第に下落して人の言を聞くは年價にも足らず三分一
にも下りたりと云ふものあれとも其割合を極々寛大に見積り
是れも尋常の賣價より三割下落したりと〓ふに其〓高は五
億圓に近し即ち全國の地主をして五億圓の富を〓したるの
思を抱かしむるものなり公債証書の價騰貴するも利子を収
〓するに多寡あるに非ず地價の價下落するも収税に〓同あ
るに非ず實際の數に變なしと雖とも彼の説者の云ふ如く
兎に角に國民の富を増すとは之を聞見しても愉快なる
のみならず又事實に於ても人の資産の富むに從て自か
ら勇気を生し事を爲すの機會とも爲る可きことなれば
国民の家〓悦ぶの情は我輩も説者と同樣なれとも説者が
〓〓に〓〓〓〓書は騰貴七千万圓の富を悦て地價下落の
〓〓〓〓〓〓〓〓るのは之を稱して數理に明なるものと
云ひ〓し公債証書日々取引所に於て賣賈するが故に
〓権〓〓〓〓〓〓の耳目に明なれとも若しも日本國中の
〓〓〓取引所〓〓〓するものにして兩三年前より其價
〓物價表〓講した〓〓目覺ましき變動を見たることなら
ん唯近きものは明に見えて遠きものは眼光を遁る人事
の凡態なり故に我輩は目下公債證書の騰貴を視ること地
價の下落を視るに異ならず何れも商況不詳の徴として
一日も速に其常態を復せんことを祈るものなり