「政府は既成の鉄道を人民に賣渡し其代金を以て別に新線路を敷設すべし」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「政府は既成の鉄道を人民に賣渡し其代金を以て別に新線路を敷設すべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政府は既成の鉄道を人民に賣渡し其代金を以て別に新線路を敷設すべし

目下日本の富貴を増すの道は鉄道を敷設するより善きはなしとは我輩の固く信して疑はざる所にして又常に日本全國の有志者に勸告辨説して止むことを知らざる所なり盖し鉄道の効用は万有無量のものにして人事の一部分を限り塲所の一隅を限りて始めて其利を見るが如き甚た狹隘なる性質のものにあらず、春雨連日人皆眉を顰めて不滕の天氣なりと呟やく傍に農家は甘雨飴の如きを喜び豫め今年の豊作を卜して隣人と相祝するあり、盛暑燬くが如く日色人を射て仰き看る可らず城中の人皆太陽の熱度を減却するの工風もがなと焦慮の折柄水〓澤〓の農家は連旬の旱魃〓にして川添稻田の水被りを免れたるを喜び太陽の光力今少し劇烈にして稻田の水を沸騰せしめんこともがなと祈願するあり人生に必要なる水又は日光の如きすらこれを享受する人の地位の異なるがために其喜憂を同くすること能はず一方に喜ぶ者あれば一方に憂る者ありて全面一齊に唯喜ぶを知て憂ふるを知らさる樣の事は人事上極めて稀有の例なるに獨り鉄道は則ち然らず百利を見て一害を見ず農工商事に政治に兵事に又學術に社會の人事一も鉄道の利の被及せざる所なく又一も其害を被らしむることなし鉄道の人間に必要なる其功を水と日光とに比するも敢て大に讓るところなかるべし

然るに此必要具を求むるの費用頗る洪大にして兎角一個人の資力に及ばず必ずや多數の人を結合して其協同力に頼らざるべからざるものあるがためにや我日本人が從來文明富實を熱望するの誠心の大なるにも拘はらず國内に鉄道の敷設尚ほ甚だ僅少なるは國の爲め遺恨これに過るものなきなり盖し我日本人は合資會社の法を以て人間の大事業を興すの事に習はず個々に小資財を投して個々に小事業を營むを以て最も安全の法と心得る者多數なるが故に偶ま有志者の銕道敷設を首唱し其利を説く者ありと雖とも世間これに應する者甚た少なく僅かに三五百万の資金を集めんとするさへ非常の勞力と時間とを消費して尚ほ未だ其成るを見ざるの例甚だ多し例へば東海道の如き山陽道銕道の如き或は又東京より越後に達するの線路.大坂より越前加賀越中に達するの線路の如きは其効用の著しくして利益の大なる十目十指の識認して疑はざる所なりと雖とも直接に其便益に浴する沿道の資産家すら急に工事に着手せんとする程の熱心もなきは畢竟協同して力を致すの習慣に乏しきがためなるべし依て我輩は目下の欠典を補〓するの一法として左の事を申し出すべし

明治五年以來我日本政府に於て自から敷設せし所の銕道既に六十里に近く其興業費用も前後合して千五百万圓計りもあるべし政府は此既成銕道を取て人民に讓渡し其代金を以て他の新線路を敷設するの費用に供し隨て成れば隨て賣り到底國内重要の線路總て竣功の時に至らざれば止まずと覺悟するべし而して官設の銕道を人民に讓渡すの法二樣あり一は其線路銕道の賣價何程と定め何人何會社を論せず所望の者にこれを賣渡し全く政府の關係を絶つこと一は其線路銕道の價何程と定める上にこれを五十圓又は百圓の株金何万個より成立つものと爲し人民に向て其株券を賣渡し官民共同の鉄道會社を設ること即ち是なり第一の法に從ふときは銕道全体を擧けて悉くこれを賣渡すものにして其事甚た簡單なりと雖ともこれを買受けんとする人民の方にては先つ同志を募りて一會社を設け其株金以て銕道を買ふに足るものと爲るにあらざれば賣買授受の事を遂ること能はず斯る會社を創設するは他の新鉄道を敷設せんとて新會社を興すものに比すれは頗る容易なりと雖とも兎に角に一纏めに數百万圓の金を集むるの必要ある以上は今の日本の國柄に於て強て容易の事と云ふべからず故に第一の法に於て實行上尚ほ不安心の點もあらば我輩は更に一歩を退けて第二の法に從はんと欲するなり即ち某銕道の所有權を何万株と爲し一株を何圓と定め株主たらんと欲する者は何人にても政府に來りて此株券を買入るることを得、利益分配役員撰任等の法は尋常の合資會社に異なることなかるべし斯の如くするときは人民個々の意を以て一株なり百株なり勝手に其株主たることを得て同志を募るの勞を要せず若し株主たることを望む者多きときは多分の株券を賣り望む者少なきときは少許の株券を賣るまでにて株主の多少は毫も鉄道の事業上に關係を及ぼすことなし或は株券賣出しの景氣頗る好く逐一総數を賣盡す樣の事もあらば其銕道は全く政府の手を離るることを得る譯にて最も好都合たるべく唯一時に賣渡し引渡しの騷動なくして圓滑穩便に引渡しを了りたる事と知るべし今の日本人の如き協同して力を致すの習慣に乏しき者に向け銕道を賣渡さんとするには盖し此右に出る便法なかるべきなり