「海外に日本品賣弘の説」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「海外に日本品賣弘の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

〔明治十七年四月十八日〕

*一行読めず*

ず、販賣の道も'開くべきに付ては、在紐育領事館より其事の順序を報告せし趣を記し、其順序を四項に分ち、第

一、醬油の性分を分析して食料に適する旨を保證し、第二、其保證状と品物發賣の目的及び其用法を新聞紙、雜

誌等に廣告し、第三、同時に又其現品を以て都府の「ホテル」飮食店等に試用せしめ。第四、市街便宜の場所に

數種の醬油を陳列し自由に人の所望に應ずること緊要なりとて、詳に其條目をも揭げたり。

我輩は右の報告を見て、領事館が日本商人に忠告の深切なるを謝すと雖ども、從來我商人が外國人に對し、又

外國に行て我國産の物品を賣るに當り、一種の困難事あれば、今其大略を記して我商人等の注意を求めんとす。

抑も我國輸出品の内にて、生絲製茶の如きは其量額も少なからず、且他國にも同種の輸出品あるが故に、其價に

假令ひ昂低あるも世界中自から一定の時價に從て大なる變亂を生ずることなし。例へば生絲製茶の價、大に上下

せん歟、日本の絲も伊太里の絲も支那の茶も日本の茶も共に上下す可し。如何となれば、産出の國は異なれども

品物の性質は異ならずして、所用も亦同一なればなり。之に反して日本一國に限る固有の商品は、其品の供給需

要の模樣次第にて、外國の市に時價の變亂を生ずること甚し。例へば米國等に送り出す日本製の雜貨の如し。團

扇なり、扇子なり、傘なり、杖なり、漆器、紙細工の玩弄物なり、彼の國人の賞心に投ずるときは、一時の流行

を成して販賣の高少なからず。且我國と米國との物價を比較すれば、何品に限らず常に幾倍の差違ある尚其上に

も、時の流行に走るは文明國の常態にして、日本製の何々品は奇なり珍なりとの評判を鳴らすときは、之を買ふ

者は殆ど其價を問はざるの氣風なるが故に、販賣者は意外の價を以て意外の品を賣捌き、時に大利益を占めんと

するの機會は甚だ多しと雖ども、爰に痛嘆す可き事情は日本の商人等が其何々品の賣捌意外に盛なりとの評判を

傅聞して、乃ち之に做ひ、同樣の品を製造して頻りに之を輸出し、彼の國の需要如何に拘はらず唯漫に送込みて、

彼の市上に品物の堆きを成し、之が爲に漸く價格の低落を催すときは、之に應ずるに製作を粗惡にするの策を以

てし、粗品愈積て愈粗なり、其價下落せざらんとするも得可らず。加之素と雜貨なる者は生絲製茶等に異にして、

人生缺く可らざるの性質に非ず、多くは唯人氣の好嗜に從ふ者なれば、品物の餘り多からずして珍奇風流の評判

を占め、其價の無下に廉ならざるが爲に却て價格を維持することなるに、今や品物は堆くして山を成し、價は唯

客の命ずるがまゝに從て之を賣らんとす。上流の人の眼を以て之を看れば、其價の廉なるを悅ばずして寧ろ品柄

の賤しきを厭ひ、之を手にするをも屑しとせざるの情を生じ、當初は一擲幾圓を投じて玩弄したる品物も、今は

幾錢を直せざるのみか、無代價にて與へんとするも顧る者なし。時價の變亂も亦甚しと云ふ可し。斯る事の次第

なるを以て、最前日本製の品物を以て彼の國人の好嗜に投じて其賣捌を發起したる商人は、樣々に工夫を運らし

又無形有形の際に資金を費したるの多きにも拘はらず、將さに其報酬を得んとするの佳境に臨て忽ち他商人の爲

に妨害せられ、害せられたる者も害したる者も共に得る所なくして共に失敗するとは、實に淺ましき有樣なりと

申す可し。尚此よりも害の大なるは、彼の國の商人にて日本の品物を仕入れて大に商法を營まんと欲する者なき

に非ざれども、之を仕入れて賣捌に着手するの際に非常の下落を來たすの危險あるが故に、日本品と聞けば手を

出して手を燒くよりも先づ見合せの方無難なりとて、目下の價の高下に拘はらず大に取引を企る者なし。之が爲

に我國の産物販賣の區域を廣くするを得ずして、以て今日の微々たるに止まり、啻に一、二商人の不利のみなら

ず、日本全國殖産の大災難たりと雖ども、今に至るまで之を救ふの方策あるを聞かず。

以上は今日米國又歐洲諸國に在る我國雜品商の有樣にして、當局の商人は勿論、假令ひ商賣に關係なき者にて

も、苟も内外の事情に着眼する有識の士人は常に憂とする所なり。依て案ずるに、今囘米國にて日本の醬油を販

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓なれども、之を實施するに當り誰れか

*一行読めず*

ば、最も滋養に適して無害有效なるの證は明白なる可しと雖ども、第二、此を彼の國各種の新聞紙、雜誌等に廣

告し、第三、廣告と共に其現品を都府の「ホテル」其他總ての飮食店に試用せしむるの箇條に至ては容易の事に

非ず。周旋奔走工夫を運らし勞力を費し多少の日月を消する其上に、廣告の費用、見本の現品、其器物の代價よ

り各地送致の諸雜費に至るまで、蓋し幾萬圓金を要することならん。卽ち創業入費とも云ふ可き者にして、之れ

が爲に果して販賣の道は開ることならん。其道一度び開くときは大に利する所ある可きは無論にして、當局者の

利益に兼て、日本の物産を外世界に披露し、永年國益の一端を發すること、誠に祝す可き次第なれども、爰に困

難至極と申すは前の雜品商の例の如く、販賣の道漸く開けて漸く利益を生じ、將さに創業入費をも償却せんとす

る時に臨て、他の醬油商人が横合より手を出し、創業の苦勞なくして創業者の利を分奪するのみか、日本醬油の

名聲に乘じて粗悪の品を製し、或は他の商標を僞造して漫に價を卑くし、僞物の安直段を以て眞物の相場を賣崩

すが如きあらば、之を如何す可きや。從前の事例を以て將來を臆測すれば、必ず免かる可らざるの惡弊にして、

今日に至るまで尚未だ豫防の策を見出さゞる所のものなり。左れば近來米國にて漸く我醬油の名を成して永年販

賣の道を盛にせんとならば、内國の醬油製造人及び之を取扱ふ商人等は大に結社して、衆商恰も一體と爲り、海

外輸出の權を其一體の手に專にして、巖に粗惡品の出るを禁じ、至當の價を以て至當の品を販賣するの法を設る

こと緊要なる可し。幸にして日本の醬油が歐米諸國の「テーブル」に上るを得ば、其利益は實に想像外に洪大な

るものならん。之を思へば一時の賣弘創業の爲に僅に幾萬の金を捐るも決して愛しむに足らずと雖ども、其創業

の金と勞とをして水泡に屬せしむるものは同業者の中に生ず可きなれば、今囘の事業を發起するに際しては、先

づ此大困難事を防ぐの法を講ずること緊要なる可きのみ。

〔明治十七年四月十八日時事新報〕