「雜婚論(前號の續)」
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時事新報に掲載された「雜婚論(前號の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
前號所記の次第果して事實に違ふことなくんば吾人は今正に優存劣滅の競爭塲に立つものにして他と相對して劣等の地位に下れば殘滅の禍は踵を旋らさずして至らん是時に當り手を束ねて禍報の至るを俟ち自然の趨向に順應して自から優者の列に加はるの用意を爲さざるは智者の事と云ふ可らず蓋し其用意とは衣食住の模樣を改良し或は身心の發育に注意する等種種樣樣の方便あらんと雖とも力を費すこと少くして效の最も速なるは結婚の區域を廣くして良夫良婦を求るの道を自由ならしむるに在る可しと信ず抑も吾人の身心は氣候食物其他の外状に感化されて今日の有樣に在るものにして數百千年來の習養に原因するが故に之を改むるにも亦長日月を費さざる可らず然るに彼の婚姻の結果に於ては父母の體質心性直に子孫に顯はるるの約束にして其改進必ずしも千百年を要せず故に體質心性最良の人種を擇で之れと共に結婚し其子も亦最良人種に配偶せば父祖の良質は子孫に遺傳して漸く人種改良の實效を奏す可きや自然の約束に於て疑ふ可らざるものなり〓少しく瑣末に渉れとも彼の金魚屋が金魚の極めて長尾なるものを得るには先つ其尾の稍長きものを揀んで孳尾せしめ順次〓此くして遂には極めて長尾の金魚を得ると云ふ又犬鬪鷄等の極めて強大なる種類を得るも亦此方法に異なることなし即ち人力を以て淘汰の作用を動物に及ぼしたるものにして之を人爲淘汰と稱す而して此人爲淘汰の作用は之を人類にも及ぼすこと决して難からず聞く所に據れば普魯西國に曾て壯士隊と稱するものありしが此兵隊中の法度として體格強壯の女子を特撰し合格の者のみを配偶せしかば其兵隊中よりは躯幹偉大の子女輩出したりと云ふ此事果して然らんには内國に在て男女互に配偶の人柄を撰むは申す迄もなく苟も良質美性を具へたるものあらば外國人と雖とも固より之を嫌棄するを要せず一國の公の爲め一身の私の爲め能力遺傳を目的として颯颯と良縁を求め颯颯と雜婚するも敢て其不可を見ざるが如し
我輩遺傳の点より尚一歩を進めて考ふるに從來の經驗に於ても血縁相近きもの互に和婚姻するを可とせず彼の重縁を嫌ひ同姓相婚を忌むが如き多年の實驗にて偶然にも遺傳の理に合したるものならん牛馬鷄犬の如きも血縁の近きもの屡相觸るるときは次第に其體質を損するが故に馬を孳尾せしむるには其牝牡を隔遠の塲所に求むるを可とす鷄も屡同種のみと觸るるときは其雛は漸く變して彼の矮鷄と稱する一種を生するに至ると云ふ蓋し動物にても人類にても同一の塲所に棲息すれば其地方の氣候食物等より同一の感化を受けざるを得ず或は疾病の如きも同地方に在ては其病因を同うするも 多し且つ男女同因の病を抱き偶ま夫婦と爲りて子を産すれば双方の宿病〓して其子に顯はるることあり而して彼の同姓相婚の際には其例特に多しと云ふ畢竟血縁住所相近きが故ならんのみ然るに彼の雜婚とて各人種間にて結姻するは數千里外の善男善女が良縁を求めて偶ま鴛鴦の契約を結ふものにして双方從來の習養も同しからず其身心に具へたる美質も亦互に異なるが故に今後雜婚の風行はれなば或は大に人種を改良することともならん現に阿弗利加の喜望峯と南亞米利加との間に孤立する「トリスタン、ド、アキユナ」島にては島民皆な白、黒両種の雜婚より成たるものなれとも島中の兒女天姿艷麗にして閉月羞花も啻ならずと云ふ其他「バリ」「ハバナ」「タヒチ」及ひ北米合衆國等の各地に於ても雜種の兒女は一般に状貌美麗なりとの評判あり其他心性體格等に至ては諸學者間に種種の〓〓あれとも要するに優劣両種相雜婚すれば劣等人種に取りては惡結果を來すこと少なかる可し
西洋諸國にては古來交通頻繁にして各國の人種互に相雜居するが故に何れの國と雖とも多少異人種の血脈を混せざるはなし然るに我邦は島國とは云へ外國人との交際古來甚た薄かりしかば時として歸化したる朝鮮支那及び東印度等の人民が在來の日本人種と相混したる迄にして未た雜駁なる血脈の混合なきが如し今後内外の交通益開け互に相知りて相交るに至らば雜婚の風も次第に行はるることならん雜婚にして果して人種改良の成績あらば我邦の人士も益之を奬勵す可し徒に之を妨碍して改良の道を遮るが如きは我輩の取らざる所なり (以下次號)