「佛國公使將に北京に入らんとす」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「佛國公使將に北京に入らんとす」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛國公使將に北京に入らんとす

支那政府今回の更迭は主戰党が勝利を占めたるに似たれとも其實佛國に對しては和好にも近寄らず又開戰にも近寄らずして只管佛國の手出しを待つは正しく掩ふ可らざる事實なるが如し左れば支那は前内閣恭親王その任に在りし時にても又今日醇親王が政事を攝する塲合にても常に同一なる受身の姿にして唯佛國よりの申出しを待つの際恰も好し信任北京駐在佛國公使「パテノートル」氏は此程本國大統領及び首相に見へて任命を授けられ國書を携帶し四月中旬若くは下旬には愈々東洋に向て出發するの運びに至りし由なり回顧するに昨年北京駐在の佛國公使「ブーレー」氏突然本國より召還され日本駐在の同國公使「トリクウ」氏は五月の下旬我東京より轉して上海に赴き支那の全權大臣李鴻章に會合して頻りに談判を催ふし一時は双方間に議論の相容れざりし處も多く米國公使「ヨング」氏の如きは當時兩國の間に周旋奔走せしも其事纏まらずして數閲月に亘り「トリクウ」氏は再び北上して李氏に會同せしも又同しく不調和にして遂に昨年の十月天津を辭し轉じて安南の順華府に至り尋て本年の始め佛國に歸着したりしが氏が天津を去りし以來支那の朝廷には佛國公使の在勤する者なし尤も「パテノートル」氏は「トリクウ」氏に次て直ちに北京駐在を命せられしも爾來半閲年の今日まで任に北京に赴かざりしは當時佛軍未だ東京を經畧し畢らずして未だ支那を威嚇するに足らざりしが故に暫らく其出發を見合せたるに由りしならん然る處今や佛軍は山西にに北■(うかんむり+「必」+「冉」)に太原に興化に各所の敵壘を陷れ思ふ儘に其目的を達したれば此機に乘じて「パテノートル」氏を任所に派し愈々支那政府に對して最後の談判懸合に及ぶは實に政略上に然らざるを得ざる順序なりと云ふべし昨年十月以來佛國公使の其任所に在らざる間は支那政府は曖昧模稜の中に和戰の両端を左右するも誰とて之を咎むる者なく言はば無責任の姿なりしに今や佛國公使が北京に入るは今月の下旬か遲くも來月の初旬にして然る上は佛國政府も〓公使の手を經て斷然たる懸合に及ふべきは必然なり左れば今回こそは支那政府に取り和戰孰れにか决斷せざる可らざる時期にして彼の「ブーレー」公使若くは「トリクウ」公使に對したる挨拶の如き曖昧不分明の手段にては到底叶ふ可くも思はれざるなり尚聞くが如くんば佛國首相は「パテノートル」氏に命し安南清佛葛藤事件の償金として三千二百万弗を支那政府に要求せしむるの全權を附與したりと云へり果して然らば「パテノートル」氏は此全權を擁して支那の總理衙門に談判し若し聽かずと云はば兵を以て廣東を襲はんか海南、台灣、舟山を占取せんか但しは天津を封鎖せんか兎に角に恐嚇の手段を持し右に白刃を提て左に降參状に調印を促すの懸合あるは亦遠きにある可らず是の時に當りて支那政府が兎角に確答を爲すべきは遁れす運命にして前日の曖昧手段も最早無効に屬すべきこと勿論なり而して支那政府に於ては此に對して如何なる返答を爲すべき歟或は斷然その要求を拒絶し國を閉ちて籠城に及ぶこと無きにしも非ざるべしと雖とも十中の七八は遂に依違逡巡の際に和好の條約を結び東京の主權を打棄て若くは數千万の償金を出して一年半餘の虚喝政略に化けの皮を現はし龍頭蛇尾の結局と爲るに庶幾かるべし盖し我輩の聞く處にては醇親王等頻に李鴻章が失職の罪を彈劾して其免官を上奏したりと雖とも西太后獨り之を聽かざるを以て李氏の地位は先つ安全なるべしと云へり然るに今度「パテノートル」氏支那に入らば清廷の官吏中果して誰れか之に談判應接すべき満廷多くは是れ老衰僻見の政治家なればその任に堪る者は李氏の外に復た人物無かるべきなり故に李氏にして其地位を失はざる間は亦必ず佛國公使に應接するの任に當るべく其際には豫て清佛間に仲裁すべしと云はれたる英國公使「パアクス」氏も朝鮮より、米國公使「ヨング」氏も香港より立歸り天津に若くは北京に於て仲裁講和に盡力せば佛國公使の言も或は清廷に容れられて安南多年の風雨遂に快晴を告くるに至るも自然の勢ひなるべし抑も支那は是迄安南を其所屬なりと主唱せしと雖とも佛國は昨年八月順化府に於て理事官「ハーマン」氏をして安南と條約を結ばしめ其國を自主、其王を獨立なりと見認め佛國にてこれが保護權を左右するを約束し尋て「トリクウ」氏をして全權使節として安南王に謁見し條約批准の打合せを爲さしめ而して氏が巴里府に歸着したると同時に「パテノートル」氏は北京駐在使命の外に安佛條約批准交換の特命を帶びたる由なれば其北京に進むの前には必ず順化府に於て條約批准を取交わし然る後にて北京政府に懸合ふときは支那政府も又々去年の例の如く安南は中國の所屬なりと爭ふことを得べからざるべし要するに信任佛國公使「パテノートル」氏の入清は久しく結て解けざりし交渉事件を落着せしめ且つ支那と安南との關係を斷絶するものなることは我輩之を他日に敞して其果して然るを知らんと欲するなり