「名を以て實を誤る勿れ」
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時事新報に掲載された「名を以て實を誤る勿れ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
我日本が嘉永開國の一擧は北米合衆國の功なり同國の花旗船「ペルリ」氏を搭して江戸灣
に入りしがため數百年來西洋を知らざりし我日本人は始めて夙昔の瀬夢を驚され之と交通
を開きてよりは引續き他の諸外國とも通商修好條約を結び今日に至るまで開國の一主義以
て日本の國是と定まり漸く文明の域に進むを得たりしは實に米人率先の偉功と云はざるを
得ざるなり特に嘉永開國の頃までは我國人一般に西洋の何ものたるを知らざりしことなれ
ば亞米利加船と云へる名を聞て始めて驚駭し先入疾雷の聲その耳を奪て西洋と云へば亞米
利加、亞米利加と云へば則ち西洋ならんとの感覺を起し爾来西洋より來りたる文明の事物
を見聞しても胸中是れは亞米利加のものならんと合點し、西洋の事情を知らぬ愚昧無學の
者にても亞米利加たけの名目は確かに記臆したるの有樣なりき左れば當特の時勢に通じた
る人は合衆國が開國率先の功を以て之を頌揚し無智の徒は又亞米利加の聲名の高きに驚服
し其後東西の交通日に繁くして人民も次第に西洋の事情を辨へ亞米利加を以て西洋を蔽ふ
の氏か迹も亦漸く薄らぎたりと雖も民間の俚タン〔言+占〕猶今に亞米利加の聲名を存す
るものあり例へば亞米利加襦子、亞米利加天鵞絨など云へるは天鵞絨、襦子必らずしも米
國の品に限りたるに非ざるも兎角に洋品とあれば之に亞米利加の名を附せんとせしは人民
一般の傾きなりしこと亦疑ふ可らざるなり
爾来我日本國は合衆國を始として其他の諸外國と日に月に交通の繁きを揄チし學問文武商
工の事等一切これを西洋に仰ぎ開國の一主義を以て只管西洋の文明を採取し我文明爲めに
大に進歩したるは誠に滿足の次第にして今月今日の後ちも日本文明の進歩には遲緩なく
u々以て長進せんことを祈るは我輩の至情なりと雖も怪むべし近來世上に 却てこれに驚
て文明進歩の加速動なるを憂へ何か逡巡反顧する所の人なきに非す盖し此等の人の考へに
ては文明の進歩中、一局部の弊害不便利にその心を勞し或は實際に安からざる事相も現は
るゝに從ひ近く之れを憂るに忙はしくして遠し人事の大勢を視察するの猶豫なく熱心以て
事物の裏面の害惡にのみ眼を注くが故ならん我輩とても裏面の一方にのみ就て論端を開き
是れは如何、夫れは如何と詰問を受けては誠に閉口の次第なれども唯永き日月を計算して
天下の大勢を慮り身は今日に在るも心をあ數年の前後に馳せて少しく勘辨あれかしと只管
熟談して暫時の猶豫を乞ふの外に手段を得ざるものなり今更枚擧するも珍らしからぬ事な
がら廢藩置縣には藩大名藩士族輩の威權食碌を奪はれ、廢刀の一令武士腰邊の魂を失ひ三
尺の秋水も空しく匣中にサビ〔金+肅〕を生じ或は甚た美なるが如し終りには存外の失望
を招きたる人もあらん、法律の改正國民の財産生命を保護するは實に美なれども裡面より
見れば寧ろ奸徒の惡業を庇蔭する迹無きに非ずと思ふ人もあらん、盖しこれ等の弊害は局
部に就て見るときは直接の利害に當る人の身に取りて甚だ氣の毒に堪へざる所あらんと雖
も文明の事は天下の公にして一家の私に非ず苟も大勢の歸向する所其路にはる事物は如
何に一掃せらるゝも顧慮するに遑あらず忍を之に堪るこそ大人の事なる可し人の忍耐力は
此邊の事情に當りたるときの覺悟なる可きのみ
然るに近來の風潮にて我社會中に自から日本の文明の進歩を憂へ過激なり急變なりとて之
を咎め然かも其過激急變の弊害を擧けて之を亞米利加流なりとして咎るが如きは最も謂れ
なきことにして猶ほ彼の愚民輩が舶來の襦子天鵞絨を見て之に亞米利加の名を冠するが如
し其名を妄想して事の實を誤るものに過ぎず過急の弊は我開國文明の利に伴ふの弊なり亞
米利加にして獨り其咎を蒙るは同國の爲に冤罪なりと云はざるを得ず固より嘉永開國の功
臣は米國なり、其國名の深く人民の感覺に浸漸せしは米國なり、最も親密に交際を結びた
るは米國なり、西洋に交通して其文明を採取したるにも多く米國の力を假りたるは勿論な
れども去迚これを以て局部の小弊害を夸大に言ひ爲し是れも米國直傳の弊なり彼れも亞米
利加舶來の害なりとて文明進歩の急激を憂るの餘りに暗に米國に對して愁言を含むが如き
は實に世界の大勢を辨へさるの管見にこそあれ夫れも襦子天鵞絨の出處さへ知らざる愚民
婦女子の口よりするならは兎も角も、堂々たる偉男子にして尚この言を爲すとは我輩竊に
其人の爲めに慚愧する所なきを得さるなり(未完)