「公債の騰貴を喜ばずして地價の下落を憂へよ」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「公債の騰貴を喜ばずして地價の下落を憂へよ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

公債の騰貴を喜ばずして地價の下落を憂へよ

世間一種の論者あり日本政府の發行する公債證書の價市塲に騰貴するを見て大に喜び下落するを見て大に憂へ一喜一憂公債價格の爲めに其精神を過勞して自得するものの如く然り盖し其意の在る所を察するに公債價格の上下は其原因政府の信用に在り世間政府を信するの心厚ければ公債の價勝り薄ければ下落す故に公債證書の價市塲に騰貴するは人民政府を信するの厚きを證するものにして太平の現象これに過くるものなしと云ふの類ならん成る程世間に此等の實例なきにもあらず例へば目下英國倫敦の市塲にて米國政府の公債は年五分の低利なるに額面百磅の證書を百十七磅にて賣買し日本政府の公債は年七分の高利なるに額面百磅の證書を僅かに百七磅にて賣買せり英國人の意中米國政府は約束を守りて公債の元利金返濟の事を果すべけれとも日本政府は不安心なりとて幾分か危險を見込みて其公債の價を低くすることなるべし又前年佐賀の乱平ぎて間もなく熊本の暴動あり續きて鹿兒島の乱起りたりとの報知倫敦に達するに及びて日本公債の市價下落したり其意は變亂の結果如何は暫く舍を論せずとするも内訌多事のため日本政府が約束の履行を誤ることもあらんかとの掛念ありしに因るなるべし此等の事例の塲合には政府の信用は公債證書の價を上下するに相違なきか故に其一上一下を見て喜憂するも亦甚た當然ならんと雖も今日本の市塲に公債價格の上下するは决して政府の信用に關係するものにあらず果して關係するものと云はんには明治十三四年の交に年七分利付の公債證書が額面百圓に付賣價六十圓なりしは政府の信用地に墜て世間皆政府が約束を履行することに疑を抱きたるがためにして明治十七年の今日同一の公債證書が賣價九十圓以上に騰貴したるは政府の信用甚た厚く約束の通り元利金を返濟し得るに相違なしと確信したるがためなりと云はざるを得ず是甚だ事實に反するの言なり日本人民が日本政府を信するの心は三年前と今日と相比較して其〓毫も厚義の相違を見ることなし公債證書の價に前後の相違あるは唯全國の商况金融の有樣に前後の相違あるがためのみ何者の〓〓で明治十三四年の政府には六十圓の信用ありて十七年の政府には九十圓の信用あり信用の増加五割なりとて獨り自から得々せんとす事理を解せざるも亦甚たしと云ふべし公債の騰貴は政府の信用の増加したるにあらずして全國商工業の衰頽より來りたるものなれば寧ろ其騰貴を見て憂苦するを當然とすべきにこれを見て却て喜悦するのみならず或は喜悦の餘りに其下落を憂へ種々の方便言論を盡して其價格を維持せんとするが如き事もあらんには其害の及ぶ所實に云ふべからざるものあらん依て我輩は論者に向て公債の騰貴を喜ばざらん事を忠告すると同時に同し商况の不景氣より引起したる所の現象にして其害の甚た廣大なる一事を示し早く其救正の道を求めんことを希望するなり他なし地價の下落是なり

一國の地面は小數なる大地主の所有に歸せしめずして無數の小地主に分轄せしめ自家所有の田地を自から耕作して農民各其獨立の生活を得るを要すとは西洋經濟學者の主張する所にして其意を略言すれば今の日本の田地分配法の如くならんことを希望するなるべし我日本の田制の美なる越後地方等二三例外の塲合を除くの外は田地を分配すること極めて平一にして大兼併者もなく最貧の傭夫もなく大抵は皆自由に耕作するを以て日本農民の常とせり然るに近日地價下落の甚たしきこれを數年前の相塲に比するに其三分の一四分の一又地方に因りては五分の一にも下落して土芥啻ならざるの有樣なるも尚ほ且つこれを顧みる者なし盖し此下落たるや非常の變例にして再び其正に復するの期あるべしと雖とも如何んせん小民の微力なる不景氣の時限中自から能く支持して時の復するを待つの餘裕なく一時其所有の田地を抵當にして金融の急を救はんとするも地面を抵當に金を貸さんと云ふ者は目下日本國中盖し一人を見出すことも難かるべし去れば迚小民は金なくして濟むべきにもあらざるが故に奔走周旋力の及ぶ限りを盡したる結局は所有の田地を非常の廉價に賣却して一時其苦惱を減する者比々皆然り其有樣を概見するに日本固有の美制たる田地分配法の細且廣なるものを變して全國の田地は漸く小數の有力家に兼併せられんとするの傾向あり一國經濟の大計上に於て甚た恐るべき兆候なりと云ふべきなり啻に富豪兼併の恐るべきのみならず爰に又一の關心すべき事は我日本の外國交際も近日漸く親密を加へ遠からずして外國人に内地雜居を許すこともあらん或は外國人の日本に歸化する者もあらん或は又一層の自由制度に改まりて外國人に日本の不動産所有を許すこともあらん此時に臨み日本の地價非常に賤しきものにては上野の桑田山城の茶園忽ち外國人の占有する所となるも知るべからず固より相當の價を以て賣買し桑田茶園の地券を外國人に讓渡すものならんには我輩决してこれに異存を挾まずと雖も唯開港の當坐小判の流出したる例の如く世界に不權衡なる低價のため日本の地面を擧けて空しく外國人の手に委することを好まざるのみ是我輩が全國地價の速かに回復して適當の地位に立たんことを希望する所以なり近來は各開港塲の外國人中にも全國の不景氣に窘められて商業の得益前日の如くならす如何樣ともして利を射るの道を得んと熱望しつつある者少なからず仮令條約改正は延引するも内地雜居は許されざるも今の有樣の儘にして或は歸化し或は日本人の名義を假り桑田茶園の主人たるに其工風亦甚た乏しからず商業例外に振はずして地價例外に廉なり日本固有の田地分配法の美制を變更する其機正に熟すと云ふも不可なかるべし

一時地價の非常に低下なる其害の恐るべき前記の如し然るに苟くも經國の計に明かなる論者にして公債證書の騰貴を喜びて地價の下落を憂へず公債價格維持のためには何等の處置を施すも非難するに足らず彼の田地の價の如きは何樣の點にまで低下するも唯一時の現象にして永く其憂を遺すものにあらずと云ふ者あらんには我輩甚たこれを樂しまざるなり敢て以て世の〓者に質す