「通俗外交論」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「通俗外交論」(18840611)の書籍化である『通俗外交論』を文字に起こしたものです。

本文

通俗外交論序言

今日の日本は昔しの日本にあらず。昔しの日本なれば國家の治亂、幸福、災害、決して日本の外に出でず、又外より來らず。唯何事もその原因日本の中より起りて、その結果日本の中に終るの仕掛なるがゆえに、この國に住居する日本人たる者は、國のためにも身のためにも日本の外に所用なかりし事なれども、今日の日本は大に然らず。三十年前、始めて世界萬國と交りを結びし以來、世上一般、文明開化の進歩と共に交際の道も益々進みて、歐米人が日本に來り、日本人が歐米に往くに、その手輕なること昔しの東海道中を旅行するほどのぞうさもなし。是に於てか日本の治亂、幸福、災害の來る處、決して日本の中に限らず、その及ぶ處亦日本の中に限らず、日本の國内は無事太平の際に、忽ち外國より暴風雨の吹來ることもあらん。日本の天地は密雲漠々として雨を釀し、見るも凄まじき空合の頃に、遠く外國より吹來る無事平穩の朝嵐しのために、忽ち白日青天の昔しに復ることもあらん。兎に角に一旦外國と交りを結び、今日の有樣にまで推遷りたる以上は、善きも惡しきも外國との關係は免かるべからざること明白なり。然るを外國との交際なりとて、近來の如く斯く親密繁多になりては、迚もその面倒に堪えずと云て、再び昔しの日本を慕い、自然外國との交際を等閑にする樣の事ありては、國家の不幸この上あるべからずとのことは、毎々時事新報紙上に論瓣する所なるが、今回又福澤先生立案の趣意を、中上川先生自から筆記して、「通俗外交論」と題し、連日の時事新報に掲載して外國交際の次第を論じたるに、文章平易、論旨簡明、日本外交の現状一目にして會得するを得べく、民心を喚醒すには屈強のものなりとて、往々通篇の一讀を望まるゝ者少なからず。依て更にこれを重刊して一册子となし、讀む人の便に供うという。

明治十七年六月編者しるす

通俗外交論

福澤諭吉立案

中上川彦次郎筆記

治外法權とは英吉利の語にエキス・テルリトリヤリ・チと云う。エキスとは外の義なり。テルリトリヤリとは地に關ると云う義にして、之にチの字を加えてテルリトリヤリ・チと云えば、地に關る事と云う實名の詞と爲り、この上にエキスの字を冠らして地の外に關る事と云う字義なり。之を義譯してその意味を尋ぬれば、地は則ち一國政府の領地なり。政府の自から治むる領地に政府の法律の行わるゝは固より當然のことなれども、その領地の外に於ても内の政府の法律を行うの權ある故に、之を治外法權とは名くるなり。言葉を短くして説けば、自分の國の法律を持參して他國に行き、他國の領分に居ながら法律だけは自國の掟に從て、身を他國の政府に任かせぬと云うことなり。この事は西洋諸國の間には行わるゝものに非ず。例えば英吉利、佛蘭西國の人民が相互に往來して、英人が佛國に滯留し佛人が英領に住居して、何か時として間違を生じ法律に關ることあれば、一切その土地政府の法を以て之を處分し、假令いその本人が英人たりとも英の法に從うを許さず、佛人たりとも佛の法に從うを許さず、外交の官吏たる公使、書記官等は別段のものとして之を除き、その外の者は平等一切、他國の領分に入りたるその日より、本國の法を離れて他國の法律に從う者と覺悟せざるべからず。然るにこの西洋諸國の人が土耳古又は亞非利加洲の國々等に行ては、外交の官吏のみならず、商人も職人も、都て西洋の文明國人即ち耶蘇教の人なるが故にとか云う譯けを以て己れ等が居留する所の國法に從わず、英人は英の國法を持參し、佛人は佛の國法を持參し、亞米利加も獨逸も皆各自國の法律を守り、云わば他國の領分内に一區の自國を作るものゝ如し。之を治外法權の行わるゝ國と云う。東洋諸國、支那にてもペルシヤにても皆然らざるはなし。

我日本國も去る安政五年、亞米利加、英吉利等五ケ國と條約を取結びたるときに、この治外法權を外國人に許してその居留地を定めたるは、その時に在て至極都合よき樣に思われたれども、今日となりては内外雙方のために差支の筋甚だ少なからざれば、今こゝにその次第を記して、日本國中の人はこの事に付き何と考え居るやら、一應その意見の在る所を尋ねんとす。そもそも嘉永・安政の頃は、日本人は初めて外國人を見てその樣子も分らず、我れより彼れを知らざれば、彼れも亦我れを知らず、雙方知らぬ同士の者が打雜りては、如何なる間違いを引起すも計り難しとの掛念より、外國の人が日本人に對して罪を犯したらば、その罪人をば外國の役人の方に引取て處分し、日本人が外國人に對して罪を犯したらば、日本の政府にて仕置すべしと、條約面に記して、日本國中、徳川の政府にても亦民間にても、是れは外國人に押し付けられたる約束なり。我國のためには割合宜しからずと心付く者もなかりしは、一時その當座に面倒を避くるの便利もあり、又殊にこの一條に付き我國人が等閑にしたる譯けと申すは、日本の人は封建の制度に慣れて之に疑を容るゝ者とてはあるべからず、その封建の制度習慣として、諸藩の家來又領民が他藩の家來又領民に對して何か爭論を起し又刃傷に及ぶなどの事あるときは、その事の起りたる土地の政府即ち藩の役人の筋にて一と先ず之を取押え、罪の輕重の吟味に及ばずして罪人をばその本籍の藩に引渡すの仕來りにして、この仕來りは唯藩と藩との間のみならず、時としては幕府直支配の人に對して罪を犯したる藩士にても、その本藩にて處分すれば幕府より之を咎めずと云う程の次第なりき。今より考うれば甚だ不都合なるようなれども、都て世の中の事に習慣を成すは、必ずその間に頼むべき義理の元素を含むものにして、斯く藩々の者が相互に罪を犯して本藩に引渡さるゝときは、その藩に於ては聊かも罪人を容捨することなく、或は情實にては減等も致し度く思うものにても、他藩人に對して罪を犯し他藩より引渡されたりとありては、藩の交際上に於て不相濟とて、殊更に嚴重にしたることなり。我輩が封建時代に在て記憶する所の事實は甚だ多しと雖も、その一例を擧ぐれば、或る時、兩藩地相隣する土地にて、甲藩地の村の百姓と乙藩地の村の百姓と田地の水を爭い、乙村の百姓が怒の餘り鍬もて相手の者を打ちしに、生憎その頭部に當りて斃れければ、その罪人をばかたの如く乙藩に引取り、甲乙兩藩の掛合いにて遂に死刑に處せられたり。抑も百姓の水喧嘩は農業の時節には間あることにして、殊にこの罪人の如きは殆ど誤殺にも近きものにして、當時の法律、人を殺す者は死刑と表向きには定りたるものゝ、一藩の内々なれば必ずその情を酌で一等も二等も減ずべき筈なれども、他藩に對してのことなれば詮方なしとて、法官も涙を揮て死罪を申渡し、一藩中、貴賤老若の別なく嘆き悲しみたることあり。即ち習慣の中に義理の存するものと云うべし。

右甲乙兩藩の有樣を見れば、取りも直さず治外法權にして、乙藩の者が甲藩の者に對して罪を犯すときは、乙藩の法律を以て處分すること、英佛その他の外國人が日本人に對して罪を犯すとき、その本國の法律に任するものに異ならず。左れば我國を開て外國と條約を結ぶ時に、治外法權を承諾したるも、その時差向きの便利のためとは云いながら、古來我國の習慣になくして耳新らしきことならば、舊幕政府の役人は勿論、民間にても、樣々に勘考し又議論して、容易に外國人の言を聽かず、その末には遂に西洋諸國相互の間柄は如何ん、亞米利加と英吉利との間、英吉利と佛蘭西との間にも治外法權なるものあるや否や云々と、聞合することもあらん。斯く聞合せて、若しもその時彼れの答に、西洋諸國即ち耶蘇教人民の政府の間には斯る特別の法はなけれども、日本は類外の國なる故に一種の法を用るものなりなど云わんには、如何に幕府の役人が外國の交際に不慣にして日本の人民が西洋の事情に暗しとて、我日本國を等外に置くの約束は爲さゞりしや明なり。畢竟するに數百年來の習慣は恐ろしきものにて、治外法權を左程の事と思わず、例の犯罪人を雙方の政府に引渡すことか、成る程、日本の藩々の振合いによくも似たり、西洋にも亦便法あるもの哉とて、少しも之に心を留めず、悠々自得の顏色を爲し居たりしとは、唯自分の國の習慣に浮れて、大切なる事を早合點したるものと云うべし。

幕府の末に日本國中に攘夷家なるもの現われ出で、凡そ外國交際の事に就てはその事柄の大小輕重に論なく、善も惡も幕府の爲したることは一切日本國のために爲らずとて、只管その手落のみを狙て喧しく議論したるは、誰も人の記憶する所ならん。然るにこの攘夷家が一度として治外法權の事を發言したることなし。外國人が日本人に對して罪を犯すときは、日本の國法を以て罰することも爲さず、彼等の居留地には一種の法を行いながら、幕府は之を禁ずるを知らず、即ち我皇國を西洋諸國の等外に置くものなり云々と論じたらば幕府を咎るに屈強の辭柄なるべきに、曾て之を云わざるは、流石の攘夷家もこの一事丈けは夢中にして空々寂々たりしものなり。この一事にても日本人が治外法權の利不利を考の外に置きたるの證とするに足るべし。

前に記したる如く、我國に外國人の治外法權は、全く日本人の不案内よりして浮かと許したる事なれども、又篤と當時の時勢を考れば、外國人が斯く約定したるも決して無理ならぬことなりと申すは、安政年間の日本は今日の日本に非ず、全國上も下も外國の人を嫌うのみか、之を暗殺するものさえある世の中にて、若しも外國人の身として日本に在留し日本の法律に從わん抔條約面に記したらば、何か雙方の間に爭論にても起るときには、外國人は一も二もなく日本政府の手に掛りてその處分に任せざるを得ず。時の法律と云えば徳川の御大法にして甚だ精密ならず、加うるに上下擧て異人を惡むの人情なれば、或は役人の手心にて差したる罪もなき外國人を捕えて牢舍申付るなどの氣遣なきに非ず。斯る危き政府の法律に何として身を托すべきや。今日にても吾々が朝鮮又は安南などに行てその國法に從えば、或は些細の不調法よりして生捕られ、時として鈍刀もて首を切らるゝなどゝ聞いては、先ず彼の地に在ても日本の法の蔭に身を置くべしと云うことならん。三十年前の西洋人が三十年前の日本を見るは、正しく吾々が今日朝鮮、安南を見るに異ならず。治外法權も決して謂れなきに非ず。外國人は最初より日本人を欺て惡法を仕向けたる者に非ず。その時には外國人も日本を視ること實の價よりも低くして萬事不案内なるその上に、實際に於ても亦止むを得ざるの事情ありしことゝ知るべし。

然るに遷り變るは世の中の事にして、我外國交際も日にますます繁くなり、最初の程は至極便利なりし治外法權も、今は却て不都合なるの意味なきに非ず。例えば我政府が三百藩を合併して天下を平一し、隨て法律も日本國中一色にするに付ては、外國人の居留地固より廣からず、その人數とて左まで多からずと雖も、等しく日本の國土に住居しながら、内外の人が軒を并べて隣同士に法律を異にし、この家に禁じられたることも彼の家には禁制なく、兩人同樣の罪を犯してもその罰は同じからず、或は共犯とて三、五人組合うて曲事を爲したるときにも、その同類中に外國人が一人にても雜り居れば、その者丈けは別段として之を除かざるを得ず。例えば博奕は日本國法の禁制にて、犯す者あれば直に之を拘引するの法なれども、その博奕の仲間に外國人があれば、之を彼の國の官吏に告るのみにて、我巡査が之に手を付ることは出來ず。扨その外國人が自分の國の法律に照されて存外に罰の輕きこともあれば、内外の人、等しく日本の土地に居り同樣の罪を同時同席に犯しても、刑罰は相互に同じからざるものなり。この外にも不都合を云えば、外國人が内地に遊山、遊獵などに出掛けて毎度間違を生じ、日本人なれば直に取押えて吟味すべき場合にても、外國人なるが故に唯その姓名住處を聞き手札を取り置く位の仕來りにて、我銃獵規則を行うに差支少なからず。尚下ては人力車夫の賃錢、茶屋、料理屋等、拂方の差縺など、見苦しく聞き苦しき談は毎度の事にして、その事柄は誠に些細の箇條にても、何時何時外國人が何處にて箇樣の擧動して、その始末は云々なりしと云えば、我人民等は日本國に外國人の治外法權あるが故に斯くの始末なりとは先ず心付かずして、外國人は法を破りて傍若無人なりと一筋に之を惡むの情を生じ、廻わりりては廣く内外の交際上に差響くもの甚だ大なり。固より外國人の中に無法者ばかりあるには非ず、品行上等の人も多きことなれども、偶々二、三の暴客が法を犯して罪を遁るゝ者あれば、日本人は一を推して十を合點し、上等の外國人に向てまでも安からぬ心を抱くとは、實に殘念なる次第にして、その本を尋ぬれば治外法權の所爲なりと云わざるを得ざるなり。

まだも不都合なる箇條を云えば、自今以後、日本と外國の交りはいよいよ繁くなり、輸出入の品も次第に増し、隨て外國人の渡來居留する者もいよいよ多くなるべきや明なり。人數いよいよ多ければ、その割合に準じて人物宜しからぬ者も多かるべきは、是れ亦自然の勢なり。即ち之を奸商と云う。商賣は繁昌して奸商は多し。如何なる事の出來すべきや。千差萬別、今より考にも乘らぬ所なれども、我輩の最も不安心なりと思う者を云えば、外國の奸商等が我内國の税法を紊るの一條なり。我大藏省には國税の法あり。地租、酒造税、煙草税等の如し。又府縣には地方税の法あり。即ち地租割、營業税、雜種税とて、諸商人、料理屋、寄席、人力車等に至る迄も、それそれの税を納めざるものなし。然るに外國人が居留地を構えて治外法權の下に居るときは、如何なる商業を營みて如何なるものを賣買するも、税の沙汰に及ぶことあるべからず。居留地の外國人は、馬車に乘るも馬車税なし、馬に跨るも馬税なし、或は居留地内に呉服太物、質屋渡世、料理屋、待合茶屋、又或は日本流の芝居、見世物、相撲の興行等、あらん限りの商業を營むも、我府縣の税法は之に立入るべからず。又彼の新聞紙發行

の如き、我政府には新聞條例ありてその取締を爲すの法なり。この法の良否は兎も角も爰に論ずる場所に非ざれども、苟めにも一國の法令は一國中に行われて一人も之に洩るゝことあるべからざるは當然の道理にして、人民の分に於て謹で守るべき筈なるに、從前、外國の居留地には横文の新聞紙を發行して、その記す所を見れば時として隨分穩かならざるものもあり、先ず今日までは、その新聞紙が横文にして、我國人中横文を讀む者少なく、之がために新聞紙の差響も著しからざることなれども、若しも横文の代りに日本通用の文を用いて、樣々の事を書立てたらば如何べきや。或は我方より掛合に及び、外國人にして日本に居り、日本の新聞條例を外れて日本通用文の新聞紙を發兌することは不相成と禁ずることならんと雖も、彼の方よりも又樣々に理窟を竝べ立て、結局は如何樣となるも、談判の居合うまでには容易ならぬ困難を見るべし。是等は金錢上の損得に縁なきようなれども、獨立國の權力に就ては直に差響を生じ、廻わり廻わりては遂にこの方の損害と爲ること少なからずして、内外の交際も自然に苦々しき有樣に立至るの媒介たるべきものなり。

右に述べ記したる如く、我日本國に外國人の居留地を定めて治外法權のまゝに差置くときは、法令の行われざるものありて、云わば外國人は日本に居て日本の事を爲しながら、日本の法律を外れて、時としては無税の商業を許されたるの姿なり。固より今日の有樣にては、居留の外國人とて差したる數にも非ざれば、本人等が無税の營業は姑く之を堪忍するも、爰に堪忍すべからざる事情と申すその次第は、元と外國人が居留地に居るは、外國の品を輸入して日本の産物を輸出する仲立のためにして、前年取結びたる條約面にも專らその邊に就ての便利又取締向を記したることなれども、前に云える如く奸商の輩、現われ出でゝ、輸入輸出の本職をば扨置き、外の奸と内の奸と申合せて奸策を企て、日本品の税の最も高く製作の餘り難からざるものを擇で竊に之を作り、外國品と僞りて賣弘るか、又は公然とその物を製造して居留地より直に日本の内地に持込むときは、之がために内地製造品の價に差響を生じて、税法の根本を動搖することあるべし。例えば今葉烟草を外國人に賣るは公然たる事にして、條約面にも日本の官吏は内外人の商賣に立入ることなかるべしと記しあるからには、政府の筋にて之を禁ずるを得ず。故に外國人はこの葉烟草を買い、日本の烟草職人を雇うか、又は器械を以て之を刻み、風味、葉竝都て日本風に仕立てゝ内地に持込むときは、都鄙の烟草屋の店頭に二樣の刻烟草を竝べ、一方は日本製にして印紙税あり、一方は舶來品にして無税なり、何れにても好み次第と客に示すことならんに、日本の人民は正直忠義なりと云うも、正しく同樣の賣物を見て態と價の高き方を取る者はなかるべし。或は實の價は同樣にても、無税ならばその税金だけ必ず安からんと想像しても、舶來刻みの方に取て掛るは必定ならん。一度び斯る惡習を生じては、内地にて烟草營業人の難澁は如何ばかりなるべきや。姦ましき者共は皆爭うて舶來刻みを取扱わんとし、跡に殘る正業者は唯呆れて業を失うのみのことならん。ぜ、支那製の如くに仕爲して、無印紙のまゝ市中を賣りあるく云々と記したり。この報告若も實ならば、本文に申す奸商の一端なり)。又或は今一段大事を企て、外國人が内地の酒造營業人と竊に組合い、外國の土地に日本酒を釀造して之を輸入する時は、その利益は烟草の比に非ず。今我國にて清酒の税は一石に付き四圓の割合にして、酒一石の原價八圓とすれば、酒税は正しく五割に當る。即ち百圓の酒に五十圓の税を拂う者なり。然るに外國より輸入する酒類は麥酒にても葡萄酒にても、都て五分税の約束、即ち品代百圓に付き五圓の割合なるが故に、日本流の清酒を外國の地に釀造して我開港場に持込み、是れは外國製の酒で御座る、五分の税を拂い申さんと云うときは、條約面の表向きに於て先ずこの方には之を拒むの辭なき姿なり。その輸入人は日本の内地にて五十圓の税を拂うべき處へ、僅かその十分一の五圓金にて公然申開きの立つものなれば、運賃、諸雜費を引去るも十分の利益を見るべし。尚これよりも一層の大膽惡策を運らすときは、外國人が日本人を雇うて、厚ヶ間しくも居留地の内に酒造を始めたらば之を如何せん。元來我國と外國との間に取結びたる條約は、和親貿易の條約とて、雙方の人民商賣上に利益を爭うとは申しながら、その爭う中にも自から懇親の情は相互に通じ合うて、淺ましき振舞はなかるべき筈なれども、治外法權の約束その意味誠に不分明にして際限を知るべからず。假令い斯る約束あるも、その法權は唯内外の人民が相互に喧嘩爭鬪などしたるときの處分に限ることにして、直に政府の法を犯してその行政を妨ぐるが如き罪人をも構いなしと云う意味に非ずと主張すれば、この方に十分の申分あれども、又一方より治外法權の居留地は、外國の軍艦又は公使館などゝ同樣にして、假令い何れの國の領内に在るも、之を一區の外國と視做して、何事を行うも勝手次第なり。居留地に居て日本産の牛皮を買い、之を靴と名くる製造品に仕揚げて、復た日本人に賣るも勝手次第にして、税の沙汰に及ばず。日本の麥を買うてビールを釀し、之を居留の外國人に賣り又日本人に賣るは多年の事なれども、日本政府へは一度も税を納めたることなし。左れば日本の米を買うて清酒を作り、日本の葉烟草を買うて刻烟草と爲し、之を居留人に賣るも日本人に賣るも勝手次第なり。清酒は麥酒に異ならず、刻烟草は靴に同じとて、義理も人情も外にして横樣に出掛け、例の惡代言人の口氣にて鳴り立るときは、無理無法ながらも一應の申分あるが如し。詰り議論の喧しくして聲の高き方が勝利と申す位の樣にして、取留めたることあらざれば、外國の奸商が誠に奸にして、我國在留の公使、領事も之を咎めず、本國の政府も知て知らぬ風を裝い、その國全體の人民も日本の事情に心を留めずして噂する者さえなき程の次第とあるときは、我方にてその奸を差留めんとするに何の方便を用ゆべきや。甚だ困難なり。假令い之を差留め得るとするも、夫れまでには餘ほどの苦勞なるべし。是れも前に云える如く、その酒の釀造高は固より些少のことなるべしと雖も、國中に無税の酒と有税の酒と打交りて賣ものに出るときは、之がために政府の税法を紊るのみならず、全國酒造營業人の害を被るは實に何とも申し難き程のことならん。巧者なる酒屋の話を聞くに、酒造の工手間を石數に平均すれば、玄米より清酒に作り上るまでに、上酒は一石に付き十人役、下酒は同五人役なりと云う。日本國中清酒の石高を大掴に五百萬石として、一石の工手間を押しならし七人役とすれば、三千五百萬人役にして、酒造の期節、冬より春に掛けて、毎人に百日働くものなれば、三十五萬の男は酒造にて渡世する者なり。是れは唯荒働きの話なれども、この外に酒商賣の關係を云えば、資本金を貸して金利を取る者あり、海陸に運送して運賃を取る者あり、問屋、卸賣、小賣の商賣、その手廣くして利益の洪大なるは、實に國中に比類稀なる大商賣なりと云うべし。然るを爰に萬々一にも外國より清酒を輸入するか、又は居留地にて釀造を始むる等のことありては、内國の酒造并にその賣買の仕組もがらりと變動して、三十五萬の酒男が渡世の道を失うのみならず、資本金主、海陸運送方より末々の小賣商人に至るまでも途方に暮れて、必死の難澁に苦しむことならん。その有樣は饑饉に農民の苦しむが如くなるべしと云うも過言には非ざるべし。恐ろしくも亦憐むべき次第ならずや。我輩は常に我酒税法の當然なるを贊成する者にして、自今この税は次第に増すことならんと信じ、又酒造家の中にても少しく思慮ある者は、酒税の酒屋税ならずして飮酒税たるの道理を合點して、毫も不平なきのみか、收税の法さえ今一段便利になることならば増税も苦しからず、寧ろ酒造家よりこの旨を出願せんと思立たる者もある程のことにて、官民の間柄甚だ以て平和なるその最中に、僅に一、二の奸商等が治外法權の蔭より惡策を運らすときは、我大日本國の租税法も之が爲に紊れて、無數の國民をして饑饉同樣の難澁に陷らしめんとするの氣遣なきに非ず。沙汰の限りと申すべきなり。一通り考えたる所にては、若し萬一も外國人が治外法權の蔭に居て日本の税法を遁れ、酒にも烟草にも又その外の物にも、輸入品の銘を付けて脱税を目論見たる者あらば、その品物に限りて輸入税を増すか、又は之を輸入したる上にて内國の税を掛れば子細なしと思わるれども、この事に付き難澁至極と申すは、我國開港の初め外國と條約を結びたるときに、輸出入品の税則を作りて之を條約書に結付け、斯く税則を定めたる上は今後十四ケ年の間之を据置き、若しその間に不便利を覺えて之を改正せんと欲するときは、期限に至り内外雙方の政府相談を遂げて之を處分すべしと約したるが故に、日本政府の一了〔簡〕管にて輸入税を増すことは固より出來ず、又この上にも條約面には、一度び輸入税を掛けたる外國の品物を内國に運送するときに、色々の名義を設けて再び税を納めしむることなかるべしとの明文ありて、外國人はその國産の品を我開港場に持來り、之を賣拂うて代價をば受取れども、その賣拂うたる日が品物を手放すの日に非ず、尚又その品物の行付く先きを心配して、この品物は日本に來りて既に一度び納税の役を勤めたるものなり、如何樣の事あるも再度の役を勤めさすること不相成と、丁寧に之を保護するその有樣を喩えて云えば、老親が祕藏息子を旅に出し、その行く先きまでも樣々に工夫して綱を引くものゝ如し。息子の門出は親が子を見放すの日に非ず、開港場の賣買は外國人が品物に別るゝの日に非ず。一は人情の厚きものにして、一は用心の深きものと云うべし。斯る次第なるが故に、日本國内の品物なれば、その製造所に税を取りその賣捌所に税を取り、二重にも三重にも税の掛かるものありて、我官民共に之を怪しむことなしと雖ども、外國の輸入品に限り、入港のときに一度び五分の税を拂えば、その品が誰れの手より誰れの手に移るも誠に安全にして、税を促さるゝことなし。故に今奸商等が清酒、烟草など作りて、之を輸入品又外國製と申立るときは、唯その輸入外國の名義を以て日本國中に横行して、之を差留るの方便に苦しむことならん。難澁至極と申すべきなり。

抑も開港の初に斯く税則を定めたるは、米國の條約がその發端にして、今より思えば甚だ不都合至極にして、米人が斯る條約を求めたるは、その國柄にも似ず失敬千萬なるが如くなれども、是れも治外法權の由來に同じく、實は當時内外の人民相互に情を知らざるより起りしことにして、日本の攘夷家は只一筋に外國を嫌い、外國の品とあれば手に取ることさえ穢らわしと云う人情に加うるに、國政の中央たる徳川政府にても、叶うことならば外國人をば謝絶せんとするの意味を含て、その交際上の擧動甚だ穩かならざるもの多し。既に彼の浮浪の徒と唱えし攘夷家は江戸の市中に横行して、洋學者を暗殺せんとし、又舶來品を取扱う商人の家に押掛け、主人を斬ると嚇して閉店せしめ、長州、下の關にては外國船に發砲し、徳川政府にては公書を外國公使に贈りて、開港以來、我國民通信貿易の利を見ずして唯その害を被るが故に、港を鎖して外國人の居留を斷ると掛合に及ぶなど、實に驚くばかりの時勢なりしことは、皆人の記憶する所ならん。開港以來、斯る有樣なるが故に、そのはじめ條約を結ぶときに、輸出入の税權を日本政府にばかり任せて勝手次第としたらば、政府は得たり賢しとて、海關の税を重くするのみか、舶來の品には二重税も三重税も取立て、開港は唯名のみに遺して、その實は重税を以て鎖港の本望を遂げんとするなどの奇談もありしことならん。左れば外國人が税則を條約の附録の如くにしてその割合を限り、改正は必ず雙方熟談の上と定めたるも、決して無理とは云い難し。我輩とて三十年前の外國人に向ては少しも不平なきものなり。

然るに我日本國人の氣輕にして判斷の速なること、實に世界中の案の外に出て、開港以來、十年ばかりの間、頑固とも剛情とも名の附けようもなかりし士族の輩が王政維新の變革と共に銘々の心をも新らたにし、昨日まで目に見るも忌まわしかりし夷狄共は、今日忽ち心の底より慕わしき朋友と爲り、手に取るも穢らわしかりし外國品は、之を飾りて人に誇るの器と爲り、黒雲忽ち晴れて明月を出し、氷雪頓に解けて春暖を催うす。是れより日本は眞實正銘の開國にして、外國の人をも招き物をも買い、開港場の貿易日に繁昌して以て今日に至りしことにして、既に今日と爲りては全國の人民が皆舶來品を用ることに慣れて、之を止めんとするも止むべからず。例えば英國より來る唐絲金巾、佛蘭西のメリンス、亞米利加の石油の如き、我國に缺くべからざる日用品にして、その輸入を妨げたらば人民は忽ち不自由を覺えて大苦情の起ることならん。左れば今日に爲りては、海關税の權を日本政府の一手に握りて、その上げ下げを勝手に任すればとて、無法なる處分せざるのみか、輸入品に税を掛くれば品物の價はその税金だけ高く爲り、その高く爲るだけの金は日本國人より拂うの道理も固より明白なれば、政府にても成るべき丈けは之を輕くせんと欲すれども、凡そ國を治めて税を取立るには大抵釣合いのあるものにして、國用次第に増して國民より取立る税の高を増さんとするときは、一方に重くして一方に輕くすべからず。地租も取り、雜税も取り、戸數割税も取り、印紙税も取り、その割合は年々増加し、又新に税法の出來るその最中に、獨り外國貿易の運上は開港の初に定まりたる通りにて之を動かすべからずとは、何と不都合至極の譯けならずや。今の日本は三十年前の日本に非ず。國の勢の根本より入れ替わりて、一切萬事、昔の面影もなきこの國に對して、貿易運上の法だけは昔の法が至極相當にして改革不相成とは、外國の人も少しく無理なるが如し。或は日本人が内地にて何かの製造工業を企て、政府に於てその業を保護するためにとて、外國より同樣の品を輸入するときに、態と過分の税を掛けて輸入を妨ぐるなどの政略を行うが如き事實もあらば、時として輸入商人の苦情も尤なれども、夫れさえ米國などにては頓着することなく、自國の都合次第にて保護税を掛けながら、日本に限りて今日は保護税の沙汰もなく、唯國中税法の釣合を程よくせんが爲に、海關税をも相應の割合にせんとするまでのことなるに、外國人は何を心配して日本國の税則を日本政府の一手に任せざるや。實に文明の人にも似ず無理非道なる仕打にして、我輩は唯その剛情に驚くのみならず、近年我國の人も次第に外國の事情に通じ、次第に諸外國の振合を見聞するに從て、獨り我國が無理を被りつゝあるとの事實を發明するときは、實に以て心の中に愉快ならず、兩國相對して懇親など云うは唯口の先きばかりにて、その内實は外國政府もその帝王もその人民も、日本の爲筋を思う者とては一人もなし、表向は朋友にして裏に廻れば仇敵に異ならず、頼甲斐なき西洋人なりとて、早合點にも敵對の心を起し、一切萬事の交際に如何なる故障を招くやも計るべからず。左りとては日本の不幸は勿論、外國人も千辛萬苦して日本國を開きながら、之を開て遂に敵國を得たるに異ならず。雙方の失望これより大なるものはなかるべし。

我日本國に外國人の治外法權を許す限り、今の税則のあらん限りは、内外の交際上に萬事不都合を生じて、その箇條は逐一記すに遑あらず。就中差向の大不都合と申すは、前にも述べたる税法の一條にして、開國以來、差したる大議論に及びたることもなかりしかども、是れは唯たまたま然るの僥倖と申すものにて、確なる抵當とするに足らず。今日の處にては治外法權の意味誠に不分明にして、外國人が居留地に居れば如何なる事を爲すも勝手次第の姿なれば、今後如何なる事の現われ出ずべきや前以て測るべからず。或は外國の商人にして是れまで多年、横濱、神戸等に出入し、不仕合にて損毛したる者も少なからず。この者等は唯日本國を

相手にして商賣の掛引を覺え、今更本國に歸り又他國に行くも差向き見込も立ち兼るが故に、日本に損毛したるものは是非とも日本にて取返すの外に道なしとて、所謂餓えたる虎の勢にて、苟も利益の在る所と見れば眞一文字に進て顧る所なし。外に餓虎あれば内にも亦空腹なる狼あり。虎狼狐狸、内外相應援して、或は名を貸し金を貸し、神變不思議に出沒するときは、何事を企てゝ成らざるものあらんや。我輩は治外法權の行わるゝ外國人の居留地を形容して、大日本帝國の化物屋敷なりと評する者なり。左れども爰に人の心を高きに置き、人間普通の道を以て考れば、化物屋敷は唯化物のために便利ならんなれども、人類のためには甚だ忌まわしきものなり。日本の國を開て諸外國と交り、和親貿易の條約を結で相互に往來するは、元と人間の事にして、外國にも人あり、日本にも人あり、その人と人と附合して永く文明の恩澤を被らんとするその最中に、少數の虎狼狐狸をして化物屋敷に我儘を逞ましうせしめ、却て人間の利益を妨げらるゝとは殘念至極ならずや。本來我輩は外國人を惡むに非ず、唯治外法權を惡むのみ。治外法權を惡むに非ず、唯法權の蔭に居て永久の外國交際を妨ぐる内外人を惡むのみ。巣窟を覆すに非ざれば狐狸を狩り盡すことは難し。治外法權を廢するに非ざれば奸商の跡を絶つべからず。是れ即ち我輩が熱心に論辨してこの仕來の不利益を計え立て、既に上流の學者士君子に談じ盡して、尚今回は兼て外國交際の事に深く心を用いざりし人にまでも注意を促がさんが爲にとて、數日の社説にこの文を記す由縁なり。

扨我日本國中の人がいよいよ以て治外法權の不利を合點し、いよいよ以てこの仕來りを廢して諸外國と同等の交際を爲さんとするには、唯一遍に彼れの方に向てのみ不平を鳴らすべからず、自分の方をも顧みて、我日本國人の方には一點の申分なきやと、注意に注意を加えて落度なきようにするこそ緊要なれ。この一段に於ては我輩は日本の人民に向て尚遺憾なりと思う所のものなきに非ず。三十年前の日本と今の日本とは全く面目を改めたりとは申しながら、今日に於ても尚外國人を嫌う者はなきや。假令い之を嫌わざるも、外國人なるの故を以て之を疎遠にする者はなきや。内外の人の間に喧嘩爭論を起し、又は商賣の取引に間違の出來たるときなどにも、日本の人は何となく日本人に加勢して、外國人の迷惑になることはなきや。日本人同士の貸金なれば隨分取立の出來るものにても、外國人の貸金なるが故にその始末に困る等のことはなきや。店頭に物を買うにも旅籠屋に宿料を拂うにも人足に賃錢を渡すにも、外國人なるが故に相場の異なることはなきや。外國の宗旨とあればその信仰不信仰に拘わらず之を忌み嫌うの情はなきや。日本人にして外國人と縁組すれば、表向に之を咎めざるも、内實は之を止めんとし、又これを止めたるの例はなきや。我日本は仁義禮智信の國なり、西洋は耶蘇十戒の國なり、道徳の根本相異なるとて、少しく之を賤しむるの情はなきや。是等の箇條に於ては我輩聊か疑なきを得ず。又開港以來、誰れの唱え始めたる言にや、日本の婦人にて外國人の妾たるものを名づけて、俗にラシヤメンと云う。その字義不分明なれども、何れ獸類の名なるが如し。人の妾たる者は世に珍らしからず、唯外國人の妾たりとて之に獸類の名を附るとは、實に言語に絶えたる話にして、斯る不禮無法なる言葉を放つ者こそ、人間の道理を知らざる獸類にこそあれ。愼しむべきことならずや。又金錢の事に付き、先年、横濱居留の或る外國人が、多年雇いの番頭なる日本人を信用し、その名前を以て居留地外に地面家藏を買い、舶來品の店を開て隨分利益もあり、都合よく商賣を營み居たる折柄、その番頭が久しく店の勘定を納めざるより、或る日主人が店に行て諸帳面を改めんとせしに、番頭は何思いけん、以前に打て替わりたる挨拶にて、主人に向い、そもそも貴殿は何れの人なるや、この店は拙者の店にして、地面家藏は拙者の私有、店の仕入品も固より拙者の所持にして、他より故障のあるべきものならず、然るに貴殿は外國人の身分として、妄に居留地外の日本店に蹈込み、店の帳面を改めんなどゝは法外千萬なる擧動なり、早々引取られよとて、理不盡にも己が大恩受けたるその主人を店頭より突出したるに、主人の心中憤りに堪えず、打殺しても足らぬ奴とは思えども、元と日本の法律を犯して利益を謀りしことにて、表沙汰にすれば却て恥辱たるべきを勘辨し、莫大の資本金を空しく他人に取られながら、己が損毛したる次第をも極祕密にして人に語ることもなかりしとて、我輩は現にその時の事情を探り得たることあり。是等は畢竟外國人の奸策より生じたる禍にして自業自得なりとは雖も、その番頭たる日本人の不人情も亦甚だしく、實に極惡大罪と申すも可なり。隱すより顯わるゝはなし、或は外國人の中に之を聞傳えたる者もあらん。一を聞て二を推察し、日本人は善にも惡にも依頼するに足らず、油斷のならぬ者共ばかりなりとて、幾分か全體の信用を減じたることならん。苦々しきことならずや。我輩固より奸商一人の擧動より起りたることを以て、外國交際の萬事を判斷するに非ず。又日本國民相互いの間にも、西洋人同士の中にも、奸商は澤山なれども、知らぬ事に疑を抱くは人情の常、西洋の人は兎角日本の事情を深く知らずして、左なきだに疑い危ぶむその折柄に、一ケ所にても法外千萬なる事の出來しては、その疑心はますます高まりて、ますます内外の疎遠を助くるに足るべきのみ。

右に記したる事情を細に考れば、外國人の治外法權は實に忌まわしきことなれども、反て我方の有樣を顧れば、日本の人民も外國人に對して十分の情を盡したる者と云うべからず。我れと彼れとは同樣の人にして同樣の國なり。日本國の英國に於けるは、英國が佛國に對するに異ならず。日本、英佛正しく同樣なりと云うと雖ども、その英人が佛に行き佛人が英に住居して相互に交る有樣は、英佛の人が日本に來り住居して内外相交るの樣に同じかるべきや。内外の區別を立てゝ内の贔屓するは、何れの國の人情に於ても同樣なりと雖ども、英國に住居する佛人と英人との間に爭論を起し、又商賣の取引に間違の出來たるときに、英國人は申合せたる如く佛人の迷惑を釀して、佛人は常に外國人なるが故に貸金の取立にも困ることあるべきや。英人が佛の都の巴理に來りて物を買い旅籠屋に止宿するときに、佛人は之を英國の客と認め諸商店押并べて常に法外なる價を求むべきや。佛の宗旨が英に異なり、英の宗旨が佛に同じからずとて、夫れが爲に互に之を忌み嫌うて、その人をも疎遠にするの情あるべきや。英佛の人が相互に婚姻すればとて、兩國の人情に於て之を怪しみ之を咎むる者あるべきや。英佛の學者には固より主義の相異なる者多しと雖も、之がために雙方の國民が道徳の根本同じからずとて、互に輕蔑するの情實あるべきや。我輩のこれまで見聞する所にては、左樣なりと答るを得ず。左れば我日本人は開國三十年來、大に外國の情に通じて、よく外國人を親しみ、毛頭惡意なしとは申しながら、その交際の有樣を西洋諸國の人々が相互に交るの風に較れば、尚未だ至らざる所のものありと云わざるを得ず。一言に之を評すれば、日本の外國交際は今日尚未だ人情の打解けたるものと云うべからざるなり。

内外の交際に人情の相通ぜざるは禍の根本たること既に明白なるその上に、我條約面にも亦大に交際を妨るものあり。即ちその箇條を云えば、外國人は唯開港、開市の居留地に住居するのみにてその外に家を持つことを許さず、夫れより外へ遊歩せんとすれば十里の限を踰るを許さず、又外國人は居留地の内にて地面を借用するのみにて、その外に於ては地面を買うを許さず、又日本の法律にて地券若しくば公債證書を外國人に賣ることを許さゞれば、外國人は之を抵當に取りて金を貸すことも叶わず。何れも甚だ窮窟なる譯けにて、斯る約束は唯日本國に限り外國人に仕向けたるものにして、西洋諸國の間には絶て無きことなり。本來人間普通の道理を云えば、凡そ太陽の照らす所、寒暑の人の身に適うて舟車歩行の通ずる限りは、行て行くべからざるはなく、住居して住居すべからざるはなき筈なり。然るにこの地球の面に日本と云う國ありて、この國に五港二市を開き、その周回僅に十里だけの往來を許して一足もその外へ出さずとは、今の文明の世の中にも似ず甚だ無理なるが如し。又物の賣買も人間世界の普通にして、金さえあれば賣人と熟談の上更に故障なかるべき筈なるに、外國人は日本に來り又住居しながら、何程の金を出さんと云うも日本の土地山林をば買うべからず、公債證書を買わんとするも是亦許されず。外國人の身に成替わりて考れば隨分迷惑なる次第と申すべし。西洋各國の間柄を見ればこの邊は誠に便利を極め、内外人の間に毫も差別なくして自由自在なるに、その西洋の人が唯日本人に交るが爲に斯くまでも無理窮窟を被るとは、我方に於ても之に對して聊か氣の毒なりと云わざるを得ず。然りと雖もこの窮窟なる約束も、その發端の初に溯りて考れば、攘夷論の盛なるときに外國人を全國中に通行せしめ又住居などさせては、如何なる間違も計り難しとの掛念より起りしことにして、又土地を賣らずとは、當時日本人の考に米麥の輸出さえ恐れたる位なれば、日本の地面を外國人に渡さぬと云うも決して無理もなかりしことなり。唯今日に至りては最早その邊の心配もあることなし。今の日本人は之に勸めて攘夷せしめんとするも、事の道理を聞くに非ざれば容易に手を出す者なかるべし。又地面を外國人に賣ればとて、之を携えて本國に歸るべきにも非ず。いよいよ國を開くと覺悟を定めたる上は、内外の人が雜居することなれば、地面が誰れの手に入るも恐るゝに足らず。是位の度胸なくては迚も外國に對して同等の附合は難きことなり。左れば我日本人がいよいよ一致して外國人の治外法權を廢せんとの決定ならば、彼れの無理不法を論ずるは固よりの事にして、又心を平にして我方の落度をも思慮分別し、彼れの方に向て道理を促すときは、我方にも道理を盡し、雙方一點の無理なきようにするこそ、人間社會交際の法なれば、我方に於て人民一般に心を和らげ、萬事打解けて附合の道を開くのみならず、條約面に於ては十里の遊歩規程を廢し、全國何れの地に外國人の旅行し又住居するも勝手次第、地面を買うて家を建るも、荒地を開て田地を耕すも、學校を設けて教授するも、寺を建立して説法するも、自然の交際の成り行きに任せて之を妨ることあるべからず。或はこの方より外國に行かんとする者あれば之を勸め、彼の方より我國に來る者あれば丁寧に之を取扱い、行く者も來る者も共に交際の方便と思えば悦ぶべき事にして、内外の雜婚歸化の如きは情を通ずるの端緒なれば、是亦目出度き次第なり。斯くまでに我方より仕向けて、尚外國人に異議あるべきや。我輩は必ずその異議なきを信ずるなり。即ち我日本の外國交際を新にして、西洋各國の例に傚い毛頭相違なきものなれば、異議を述んとするもその口實なかるべし。英の佛に於ける、佛の米に於ける、尚この外に特別の事情あるか。我輩これあるを信ぜざるなり。然らば則ち今の治外法權は誠に我日本國の禍なれども、我上下の人民が心の底よりその禍たるを合點して、力を合してその撤去に打掛り、政府の官吏は無論、日本國中、津々浦々の小民に至るまでも、之を自分の身に引受けて心配するときは、決して難き事には非ず。國民一致すれば舊幕政府をも倒したり。今の治外法權の難題などは至て輕少の事柄と申すべし。若しこの輕少事にして、爲めに永く日本人の窘めらるゝことあらば、他人の罪に非ず、日本人民が自から爲せる怠惰の罪と申すべきものなり。

通俗外交論終