「東京高崎間の鉄道開業式」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「東京高崎間の鉄道開業式」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東京高崎間の鉄道開業式

日本鉄道會社の東京青森間の線路中にて上野より高崎に至るまでの鉄道は此程既に落成し去五月一日より運輸の業を始めたるが今般更に其開業式を執行するに付て忝なくも 天皇陛下の臨幸を仰出され本日午前八時を以て 陛下乘御并に閲從の貴顯紳士が陪乘する別仕立の列車上野停車塲を發し熊谷を經て正午十二時高崎停車塲に着、午後三時又同停車塲を發し熊谷を經て夕刻七時上野停車塲に歸着し目出度開業を祝するの手筈なりと云へり

日本鉄道會社の起るや全國の官民爭てこれを贊成し明治十四年十一月に至り我政府は該會社の創立を許可すると同時に工部卿より該會社に與ふるに特許條約書を以てして該會社の事業始めて其緒に就くを得たり該條約に依るに東京青森間全線路の工事は條約書下付の月より六か月以内に着手し滿七か年間に落成する筈なれば該會社は直ちに工事に着手して落成を急ぎ明治十六年七月下旬に至り始めて上野熊谷間の工事竣りて直ちに列車の運轉を始め尋で本庄新町より更に高崎迄の線路落成して去月一日以後運輸の道開通し遂に今日此開業式の盛典を擧くるの運びに達したるなり

東京より高崎に至るの鉄道は其延長僅かに二十餘里甚だ短しと云ふも長しと云ふべからず殊に其列車の運轉を始めたるは僅かに五十日以前に在るが故に今日にして此鉄道の効驗を考え日本の人事に何等の影響を與へたるかを知らんとするは尚ほ少しく早計に失するの恐れなきにあらずと雖も近來續々我輩の耳朶に達する所の報道に依れば此鉄道落成して運輸の便開通したるの影響は漸く將さに遠近に著しからんとするの兆候あるが如し本年夏季の初候より榛名山麓伊香保の温泉塲は世間不景氣の歎聲あるにも拘はらず浴客俄かに雜集し其繁昌平年に幾倍せんとするの有樣ありと云へるが如き伊香保の平年に倍して凉きにもあらず平年に倍して風光の愛すべきにもあらず其原因は唯此鉄道に在て存するならん」又高崎前橋地方は從來米價高直の土地にて北海道を除くの外は日本國中にこれと肩を比する者少なき程なりしに近來次第に價格下落して漸く全國の平均點に近つき昨今に至り同地方の米價は東京の相塲と比較して格別の相違を見ざる程のものとなりしと聞くは兼ねて期する所の變動なるとは云へ銕道の功用の速かにして且つ大なるを驚くに足るべし」又仙臺よりの報知に依れば同地方海濱にて大漁のありたる時は魚價非常に下落して土にも如かざるものとなり魚を以て市を埋むるの例なりしが近來東京より上州までの銕道成り又東京仙臺の間を航する三菱共同運輸兩會社等の汽船發着の度數を加へたる以來は其影響著しく仙臺市塲の魚價に及び折角の大漁ありても魚と土と相伍して其價を均くするの憂を免かれたりと」又越後より歸京したる人の話に信州善光寺、上田邊にて生魚類貝類を鬻くを見受けたるゆゑ何れの處より輸入し來りたるやと尋ねしに鉄道を經て東京より來りたるものと答へたり從來此地方の魚鹽米穀類は大抵皆越後より輸入したるものなるに魚類既に東京より輸入し得れば米も鹽も皆其供給を東京に仰くを得べし斯くては越後の衰減立て待つべしとて越後人民は今正に心痛の最中なりと云へり仙臺の魚價と云ひ善光寺の生魚貝類と云ひ二十餘里の銕道早く既に日本の一部分に其効力を感せしめたるものと云て可ならん」以上は唯我輩が一二■(つつみがまえ+「夕」)々に聞き得たる僅の記事なれとも東京高崎間の銕道の人事に影響する大概を推知するに足るべし尚ほ各地の状况を精細に調査することあらば彼の事も銕道のためなり此事も銕道のためなりとて大となく小となく我々が尋常想像にも及はざる邊にまでも既に影響し又影響しつつあるを見出すことならん

東京高崎間の銕道開業誠に祝すべし此銕道の人事に影響する所大となく小となく皆我日本國の富強文明を増進するものなるが故に其影響の何樣なるを問はず我輩日本國人として先つこれを喜ばざるを得ず日本銕道會社の我日本國に大功勞ある我輩又决してこれを忘れざるなり然るに爰に該會社に向て我輩の祝意を表すると同時に一言以て其注意を企望するの事あるなり今や日本銕道會社の繁昌なる實に人の意想外に出るものあり株券は其價を引上けて拂込金額の二倍にも達し新たに株主たらんことを熱望するの人心は全國到る處湯の沸くが如し社運日に繁榮慶賀至極なりと雖も唯此際我輩が該會社に對して聊か不服なりとする所は銕道工事の落成甚た遲緩なるの一事是なり該會社か工部卿との特許條約書の約束に依れは東京より青森に至るまでの全線路は滿七か年即ち明治二十一年を限りて落成せしめざるべからず然るに東京より熊谷まで十餘里の工事に一年半を費し熊谷より高崎まで十里未滿の工事に又十か月を費し特許條約成るの後既に二年半を費して落成の鉄道僅かに二十餘里に達するが如きは我輩はこれを評して甚だ緩慢なる處置なりと云はざるを得ず若し從前の如き速力を以て永く今後の工事を急くことならんには未だ全線路の半分をも竣工せざる時即ち銕道の東北端未た仙臺に達せざる前に約束の七年は暮れ果てて不愉快に明治二十二年の春を迎ることならん斯くの如きは則ち獨り該會社が政府に對して違約の責を免かれざるのみならず日本全國人に對しても故らに富強文明の進歩を遲々せしめんとするの謗を免かるること難かるべし我輩は甚た該會社のためにこれを惜むなり思ふに今日までの二年半は創業の際諸事整頓せざるもの多くして心ならずも斯の如く工事の遲緩を致したりと雖も既に諸事整頓の今日以後は鋭意力の及ふ限りを盡して工事を急ぎ必ず明治二十一年を待たすして東京青森間の全線路を落成するの覺悟なるべきや疑を容れざるなり是我輩が今日の慶事に際して故らに該會社の注意を請ふの一事なり