「治外法權撤去の直訴」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「治外法權撤去の直訴」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

治外法權撤去の直訴

我國は今や與國との現行條約を改正するの機に際し先つ治外法權を撤去せざる可らずとは我輩の最も熱望する所なりと雖とも十年以來條約改正の歴史に遡りて其成跡上より推考するに我輩意中の條約改正は遺憾ながら容易に其實行を見る可らざるものの如し然りと雖とも退て又之を再思するに彼の治外法權なるものは三十年前別天地の遺骸にして爾來皮肉の一變したる今の我日本國に成立す可きものに非ず若しも永く成立せんには僥倖穿■(あなかんむり+「兪」)の或る外國人に向て其奸策を孕むの地を與へ或は内外人民の間に租税の平均を保つ能はすして爲めに我國の税法を紊乱し不祥の極度を想像すれば日本國の存亡に係ることなしとも云ひ難し左れば我輩が今日より尋常一樣の手段にては其初志通りの改正を見る可らずと承知して急言竭論敢て所見を陳述し毫も屈撓する所なからんとするも事態の極めて莊重なるが爲めなるのみ

さて條約改正の事は我國と與國全體との關係なりと雖とも目下この與國の盟主とも稱せられ條約改正の局面に立て敢て其牛耳を執るものは衆手衆目皆な英國を指視することならん我輩因て爰に日英両國の條約を見るに其開卷第一條に日本天皇陛下英國女皇陛下及び其繼嗣と相互の所領臣民の間には永遠の平和懇親ある可しとあり此第一條は日英條約の冒頭にして其全體の精神を包括するものならんと雖とも其中鄭重に平和懇親の語を掲くるを見れば此條約たる素と區々の小利を較計するに出たるに非ずして両國臣民の便益幸福を計るに出たること亦疑を容る可らず殊に又常時両國陛下の間に贈答徃復する國書親書に両國の安寧幸福を祈望する懇篤なる詞意の濫るるを見ても両國交際の本旨の在る所を知るに足るべし然るに彼の治外法權は其第四條の日本に在る英國臣民の間に起る爭論は英國官吏の裁斷たる可し又其第五條の(前略)日本或は外國の臣民に對して惡事を行ふ英國の臣民は領事或は其他の官吏之を糺し英國の法律に隨て罪す可し云々とあるに起るものにして條約文中の一枝葉たるに過きざるなり然るに此小枝葉の治外法權が今や奇妙に害兆を現はし且つこの法權下の外國人は其居留國の租税をも免るる所あるが故に内外人民の課税、輕重を異にし財政の料理度を失ふて其影響の及ぶ所は或は一國の存亡に關することなしとも云ふ可らず左なきだに奸商其蔭に匿れて理不盡の惡策を施すに於ては爲めに内外の交情を冷却し甚しきは双方の敵意をも挑發するの恐れなきに非ずとすれば右第四條五條の結果は正しく第一條の精神に撞着して同時同處に両立す可らざること疑なし故に若し第四五條を保存して治外法權を撤去せざれば條約全體の精神たる平和懇親の交際を奈何せん第一條を没■(しょうへん+「又」)して之を第四五條の犧牲とせんか是れ豈に與國相交るの道ならんや乃ち今日に於て十分なる條約改正の必要なる所以にして光風霽月■(しろ+「檄」の右側)然として両國交際の精神を諒するものは徒に其改正を拒むことなかる可し、否、唯當に之を賛成して與國相交るの信義を表し之を改正するが爲めに一臂の力を貸すことを憚らざるべしと信するなり

右の次第なるが故に條約改正の局面に當る我外交官の盡力は今更改めて申すに及はず各條約國を代表する在日本の外交官も亦其職掌上に於て自他臣民の情誼を厚うするには條約改正の事を以て决して等閑に付せざる可しと雖とも我輩の獨り怪む所は我國在留の外國人等が兎角此改正に對して不承知を言張る事なり抑も此外國人は何人ぞや一時を僥倖して旦暮れの計を爲すものなる歟法網を漏脱して不義の富貴を貪らんとするものなる歟千百に十一は斯かる人物なきを期す可らすと雖とも一般の居留外國人は萬里資本を齎らして我國に來り懇親平和に彼我の貿易を營み大に其富を成さんとするものにして利害を永遠に期し恰かも我國の農商工社會と其盛衰の運命を與にするものなり然るに今此外國人は治外法權の我れに利ならざるを見て之を割愛せんとはせで兎角の口實を設けて其撤去を拒むが如きは抑も何の心ぞや穿■(あなかんむり+「兪」)狡猾なる者はいざ知らず苟も正當なる外國人ならば我國人と共に其商業上の甘苦を分たざる可らず我財政の紊るるは外國人に利なる可らず我商業の衰ふるも亦外人の福に非ず治外法權の流毒より我内政に不都合を生して其影響の遂に自家に及ぶを忘れ靦として一時の甘味を貪るが如きは自から其手足を喰て其口腹を充たすに異ならず畢竟無稽の甚しきものなれとも居留外國人相率て法權撤去を拒むの意あれば其外交官も自然に亦之に順適するの意味なきを期す可らず治外法權撤去の遲々たるも决して偶然に非ざるなり

條約改正の事に關して我輩は最早徒に東京駐在の外交官を責むるのことを欲せず居留外國人の淺見に至ては我輩之れと與に談することを欲せず去り迚は口を緘して默然たらん歟我輩亦其可なるを見ざるなり元來條約改正は日本全國の大事にして其利害得失は全國人民に關するものなり左れば日本の人民は條約改正の責任を擧けて皆な之を我政府のみに歸し徒に手を袖にす可らず果して然らは其手を出して之を何處に下さん歟我輩請ふ試に其着手の點を示さん抑も我日本帝國が獨立國に似もやらず皮肉一變したる今日に於て尚舊天地の條約に依り之を改正するに苦しむものは敢て他事あるに非ず我國は不幸にして東洋の一隅に僻在するが故に我有りの儘の状態を擧けて之を西洋國人に示し其實價を知らしむるの便に乏しく條約各國の帝王統領特に與國の盟主とも稱する英國女皇陛下にても身西洋に在て我國を遙望すれば東洋路遼にして雲山隔絶し其音耗亦耳に入ること稀疎なるが故に四聰を達し四目を明かにせざるには非ざるも尚未た其事情を曲盡せざるの憾なしとも申し難し左れば我々日本人は國内に蟄伏して徒に條約改正の成らざるを嘆せんよりも今日の勢に於て迚も十分なる改正を望む可らずと覺悟したらば愛國の衷情袂を奮て海外に赴き先つ與國の盟主とも稱する英國女皇陛下の鳳闕に伏し東洋なる日本の事情を陳し十分なる條約改正の果して今日に巳む可らざる所以を訴へ奉らんには兼て聰明仁慈の聞高き女皇陛下、如何で其衷情を洞察嘉納せざることやはある、既に陛下の聰聽を煩はし奉り又内閣諸卿國會議員其他朝野有名の紳士に就き細かに我事情を陳して條約改正の賛成を請ふときは人間何の處にか義侠の徒なからん正議の士所在に相應して日本條約改正論は立談の頃にして龍動政治社會の與論と爲ることもあらん我輩今斯く述へ來らば世人或は之を難して外臣私人の資格を以て外國帝王に訴ふれば僭越の罪免る可らずと云ふものもあらんと雖とも非常の塲合には自から非常の處置なかる可らず苟くも我日本國の爲めに奮て此大義に任するものあらば何そ其目的を達するの方便なきを患へん且つ夫れ一國の弊端を防くは亦自から其時機あり一旦其時機を誤まらば南面の尊を以てすと雖とも復た之を矯む可らず例へば彼の英商が阿片を支那に輸入するが如き現に英國人にして既に其非擧たるを悟り非阿片會社を創立して之を廢棄せんとするものもあれとも今は既に其勢を成して之を矯正する能はざるに至れり是に由て之を觀るに治外法權の弊害も今は只其萌芽を見るのみなりと雖とも一旦其積弊重害を致すに至ては最も畏きことながら英國女皇の嚴命にても亦之を一掃する能はざることともならん左れば我々日本人は條約改正の機正に熟したる今日を看過せず、治外法權の害漸く萌したる今日を延引せず東京の改正會議十分に整はずんば一片の丹心袂を拂て英國に赴き「バツキンハム」の鳳闕に伏し直に條約改正を訴へて聰明仁慈なる「ヴヰクトリヤ」女皇陛下の明斷を煩はすの覺悟なかる可らざるなり