「支那の鉄道」

last updated: 2019-09-08

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時事新報に掲載された「支那の鉄道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那の鉄道

支那北京天津又は上海地方よりの報道に依るに同國政府は此程彌々鉄道敷設の事に意を决し先つ其手始めとして首府北京より最近の海港天津に至るまで支那里法二百四十里(日本里法四十里餘)の地に一線を通せんとて既に攝政西太后より適任の吏員へ工事着手の沙汰ありたりと云へり支那の新聞紙は異口同音に此企を賛成し唯一日も速かに此工事の成らんことを希望し此線路既に落成の上は其實例を以て一般の人心を皷舞し民間の私有資金を以て全國に鉄道の普及を謀らんと期するものゝ如し中にも漢字新聞紙の如きは連日陸續として鉄道功用論を記載し或いは鉄道列車等の圖畫を挾みて實際の仕組みを説明し或いは日本の事例を引きて鉄道の文明富強に必要なる所以を説くなど其熱望の状况想見るに餘りあり殊に其鉄道功用論中時に我時事新報の論説を攝譯しあるなどは坐ろに我輩をして同情相憐むの感情を催さしむるなり

支那國内に始めて鉄道を布設したるは明治九年に上海在留の外國人等が同居留地より呉淞に至るまでのものを布設せんとし其年七月に上海カンワン〓〓里の線路を開業したるを以て始とす然るに支那人は此新業の成るを見て甚た悦ばず其故障の點は彼の風水説とか唱えるものを信して鉄道工事のために其道に當たる墓地を堀發せらるゝを〓むと鉄道一たび通すれば其沿道の宿驛舟子馬夫の輩を始め幾千万の人民は忽ち其産業を失うべしと云て只管これを恐るゝに在り上海呉淞地方の支那人は此等の故障を言立てゝ一意に此鉄道に妨害を加へ人心甚た穩かならざるより其翌年支那政府は外國人に談して此鉄道を買上げこれを臺灣島の石炭坑に用ると稱して折角布設しある線路を取毀ち鉄道其外を船に積みて臺灣に持行きたるが其後如何にこれを處置したるか今日に至るまで更に聞く處なし斯の如く支那にて鉄道の創業は頗る不首尾を極めたるを以て爾後絶えて鉄道布設の談を聞くことなかりしに明治十三四年の交魯西亜と伊犂事件起り既に兩國開戰の沙汰にも及ぶべき勢なりしが幸にして無事に其局を結びたる後老臣劉銘傳は支那政府に奏議して國内に鉄道を布設するの要を唱へたり劉氏の議に依れば北京を中心として先つ左の四條の長鉄道を布設すべしとあり即ち北京より東北に向ひ直隷、盛京兩省を貫き盛京府に達するもの一條又北京より東南に向ひ直隷、山東、江蘇の三省を貫き揚子江畔の鎮江府に達するもの一條又北京より西南に向ひ直隷河南湖北の三省を貫き揚子江と漢江と合流の〓漢陽府に達するもの一條又北京より西に向ひ直隷、山西、陜西甘肅の四省を貫き黄河の上流蘭州府に達するもの一條以上四個の線路是なり然るに政府は此議を取て通商大臣等に下し各其意見を上らしめたるに北洋大臣李鴻章は無論銘傳の議を賛成したるも時の南洋大臣劉坤一は彼の風水説又は舟子失業等の説を取てこれを非難したるを以て銕道敷設の議遂に行はれずして立消となり今日に至るまで東洋第一の廣土衆民を有する支那帝國にして未だ一尺の銕道だに布設なきは文明進歩のために實に痛歎に堪えざる事柄なりと云ふべし

然るに今回支那政府は他人の勸誘を俟たずして自から大に奮發し斷然他の風水説失業論等の迷霧を排して文明の利噐を採用し先つ北京天津間四十里の地に銕道を布設せんとす其决意甚た嘉すべし盖し今回東京事件に關して佛國と紛議の際北方の兵士軍機を南方に廻溜して竊かに〓旗兵の後援を爲さんとするも海路は佛國軍艦の巡邏するありて進むべからず迂路を内地に取りて行軍せんとすれば往くに三ケ月を費し返るに又三ケ月を費し時と金とを消費すること〓けて計るべからず而して仮令此不便を忍ひて用を辨せんとするも到底今の軍事の急需に應ずるに足らず遂にオメオメ安南全土を擧げて佛國の手に渡し尚ほ其上にも南部の諸省を開きて佛人の自由貿易に供したるなど其〓態見るに堪えず是に於てか流石の支那政府も含垢忍辱の饑惧に堪えず〓〓意を决して銕道布設の事を思立ちしなるべし北京天津間の銕道にして一たび落成せん〓其便利の洪大なる今日支那政府の夢想の外に出てんこと必然なり支那政府にして一たび銕道の便利を〓〓せんか曩きに劉銘傳の奏議したる四条の〓道は勿論尚ほ進みて浙江、福建、江西、湖南、廣東、廣西、雲南等揚子江南一帶に地に線路を延はし必ずや銕道の鎖を借りて至大の土壤を統括するの工風を怠らざるべし一たび銕道の必要を知れば其資本を得るの法决して難からずこれを四億の人民中に得ざれば去て歐米の金穴に〓て〓る〓〓なり支那政府の銕道公債なりと云はゞ〓〓の金額〓〓〓〓にして集まらんこと論を俟たず銕道は文明を〓送する第一の噐械なり銕道の往く處文明往き銕道の在る〓〓〓在り支那四億の人民にして一たび文明の門に入〓ん〓其影響果して如何ばかりならん獨り支那全〓〓〓の大變革を生するのみならず漸く全世界の人事を動搖せしむるの時節も來らん支那人の前途は春色海の如しと云ふべきなり我輩は今銕道布設の報知を得て先つ隣人に向て我賀意を表せんと欲する者なり